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ep11.ご注文はネコ科ですか

目標更新:異世界に向かえ→???

 鳥の鳴き声。木々の揺れる音。

 頬を撫でる風は湿気が高く、肌に感じる気温を少し蒸し暑く感じた。


 閉じた瞼を刺す光が収まってきたころに目を開けた俺は、飛び込んできた景色に驚く。

 それから腕を中途半端に上げて目を覆った姿勢のまま、森の中にぽつんと立っていた俺はすぐに周囲を警戒するが、襲いかかってくるような気配は感じられなかった。

 場所はなるべく被らないようにすると言っていたし、何より姿を消した獅子の矢ですら感じ取れたのだ。

 今殺気を感じられないということはここは無事だと考えていいだろう。


 改めて周囲を見渡した。

 枯れ葉と落ち葉が土を疎らに覆い、剥き出しになった木の根がぼこぼこと地表に凹凸を作っている。苔むした木から好き放題に伸びだ枝が蔦を垂らし、何かわからない黒ずんだ果実をぶら下げていた。

 甲高い鳥の鳴き声の他に、時折ばさばさと何か生き物が草木の間を動く音や気配がして落ち着かない。


 うん、森だ。

 果たして異世界天性の物語の中で一人ぼっちで森からスタートする立ち上がりはどの程度なのかはわからないが、俺が読んだ物語は最初から王宮に召喚されてそのまま親切な人々と出会っていたので、それに比べたら明らかに劣後するだろうことは間違いない。

 無意識にどこかの村とか街、あるいは王宮に降り立つものと思っていた俺は、ひと気のない環境に困惑した。


 しかしそんなことを恨んでも仕方ない。いきなり肉食獣とかモンスターの眼前、とかよりは遥かにマシなはずだ。

 周りにひと気がないとなれば、次に優先すべきは衣食住の確保だ。

 それからこの世界について知らなければならない。地理は、文化は、技術レベルは、そしてどのような情勢なのか。


 そのためにはここに暮らす人に出会う必要があった。

 まずは人里を探すか……と一歩踏み出したところで、ようやく気がつく。


 踏み出した足が、これまで裸足だったのに今はしっかりとした運動靴を履いていることに。


「あれ?」


 それだけじゃなかった。俺が着ているのはくたびれた入院着ではなくなっている。

 いつ着替えたのか、詰襟の黒い装束に袖を通していて、確かめずともそれが糊の効いた新品同然の学ランであることはすぐにわかった。


「これ……俺のやつだ」


 襟につけたままの暗い銀色の校章と、服のタグに書かれたサイズを確認して思わず独り言がこぼれる。

 間違いなく、どうせ成長するから大きめのでいいと寝たきりのまま両親を説得して、入学式に着たあとずっと病室に掛けていた学ランだった。

 最初に着た時は袖が余って丈も長く身幅もまるで合っていなかったのに、今はまるで測って仕立てたようにぴったりの着心地だった。

 しかしなんで学ランが、と考えてみたもののすぐには答えが出そうにない。

 ひょっとしてほかにも何か役に立つものが、と周りを軽く探してみたが、有用そうなものは何もなかった。


 探索を打ち切って、俺はとりあえず人里を探すべく歩き出した。


 足を動かしながら思い返しても、衣服については何も説明されていなかったはず。

 俺が聞き逃しているのでなければそれは確かだった。であればあのライオン野郎が着せてくれたのかと思ったが、そんな殊勝なことをするようには思えない。


 ではあの女の声の神、ペルセポネが着せたのだろうか? なんで俺に?

 いや、もしかして俺だけではなく参加者全員に制服を着せているのかもしれない。

 既にセーラー服を着ている女子もいたし、仔細に見たわけではないが何人かは同じような年齢の男女だったような気がするからだ。


 ただそうなると、無作為に死んだ人を呼びつけているわけではないということになる。十二の神々が偶然、全員日本人の学生を遣いに選ぶとは思えない。

 であれば答えは二つ、そもそも学生ばかりであるという俺の見立てが間違っているのか、あの白獅子が無作為に人を選んだと嘘をついているのかのどちらかだった。


 悩んでも答えの出ない思考を暇つぶしに、俺は森の中を当てもなく歩いた。

 あからさまに木々が生い茂って、行く手を阻むように枝が伸びている方は避けて、なるべく開けている方を目指して歩く。


 森の中を歩くサバイバルの知識があるわけではないが、けもの道を歩けば川にぶつかると聞いたことはある。

 川があればひとまず水の確保はできるし、そのまま川沿いを歩けばどこかには出るだろうという浅い考えを行動指針とした。

 もっとも、今歩いているこれがけもの道である確証なんてないので、もしかしたらてんで的外れな道を歩いているのかもしれなかったが。


 歩き続けて暫く経った。

 木々の隙間から、久しく思える太陽が俺の真上を通り過ぎて更に傾くので時間の経過が辛うじてわかるが、厳密に何時間経ったかというのはわからない。

 日時計でも、と思ったが影が何度動けば一時間なのかというのも定かではなかったので、それも諦めてただ足を動かし続けた。


 数時間はこうして森の中を歩いているがそれでもまだまだ目の前の景色が開けることはなく、頻繁に唾液を飲み込んで喉の渇きをごまかしながら、相当広い森だなと思った。

 そんなに森のど真ん中に飛ばされたというのか。あるいは、方向もわからず森の奥に進んでいるだけなのか。

 当然ながら確かめる術はなく、地図もなくただ歩き続けた。


 こうしてただ足を動かしていると、遠い昔に獅子に殺されたことで怯えて逃げ出したことを思い出す。

 あの頃は太陽もなく時間の経過もわからなければ腹も減らず喉も渇かなかったが、今はしっかりと太陽は傾いているし腹は鳴り喉は渇いて掠れてきているので、それまで俺に欠けていた現実味がここにはあるように思えた。


 森の中を彷徨い続けて更に数時間が経って、太陽の位置が低くなり始めた。

 木々と葉を照らす斜陽に、汗を拭いながらそろそろ何か発見しないことには夜が来てしまうと焦りが出てくる。


 こんな野生動物の気配だらけの森の中で、学ラン一枚で過ごせる自信は全くない。

 せっかく異世界に来て生身の肉体を得たというのに、一夜にして野生動物に食い殺されるなんてあってはならない。


 そうだ、あそこではいくら死んでも蘇れたが今はそうは行かないのだ。

 死んだら正真正銘の終わり、今度こそ無に還ってしまう。


 ぞく、と久しく感じていなかった死の恐怖が俺を揺さぶる。

 死ぬことに慣れすぎたような気がしたが、どうやら俺はまだちゃんとそれを恐ろしいと感じることができるようだった。


 もしかしてこの世界、人とかいないのか? という恐ろしい想像も頭をよぎる。

 この地は他に人がいなくて、ゲームみたいに自分で色々なものをクラフトして文明を興す必要があるんじゃないかと突飛なことすら考えてしまう。


 であれば歩き回るのは愚策かとも思われたが、水がないことには仕方がないのでこうして探索するのは間違いではないはずだと自分に言い聞かせて一歩また一歩と森の中を歩く。

 このまま体力が尽きるくらいなら目についた果物とか食べれそうなものを探しながら進むべきだったな、とふらふらと歩きながら後悔し始めたころだった。


「……! …………!」


 俺の進行方向から少し左に逸れた方角で木々のざわめきや動物の鳴き声とは違う、わずかに人の怒鳴り声のようなものが聞こえた。

 それから、鳥の鳴き声にも似た高い叫び声が呼び合うように断続的に上がっていた。


 ついに幻聴が聞こえ始めたか? と思ったが、聞こえたその音の発声源を確かめるべく俺の足は早足でそちらへ向かっていた。


 額に浮かぶ汗を拭いながら、僅かに傾斜のある道をふぅふぅと登りきって音の方に向かっていくと、傾斜を下ったにある開けた原っぱに人影を認めた。

 より鮮明に叫び声が聞こえたが、しかしそれは人のモノではなかった。


「……あれ、って……」


 周囲を坂と木々に覆われて、すり鉢状になった原っぱでギーだのギャーだのと叫び声を上げて動き回っているのは、俺の腰から下ほどしかない小さな人型の生き物だった。

 まるで人のように手足があって、布を腰に巻いていることからそれなりの知性があることはわかるが、それにしても。


「ゴブリン、だよな……?」


 自分の目が信じられなくて、問いかけるような独り言が口から漏れていた。

 ゴブリン、それは冒険者の、いや異世界転生の最初の敵。

 尖った耳に緑色の肌で、腹だけが膨らんだ不格好で気味の悪い小人は俗に魔物やモンスター扱いされている生き物で、俺の知っているフィクション作品ではぷよぷよ動く軟体の魔物と並んで雑魚扱いされている連中だった。


 しかしゆっくりと傾斜を降りながら木の陰に潜んで観察した限りだと、ゴブリンどもは手に石を括りつけた木の棒や、削りだした棍棒のようなものを手に持っていて、十匹ほどで取り囲むように何かに襲いかかっていた。

 ゴブリンが襲うものと言えば人間と相場は決まっている。


 俺はやっと出会えた現地民の兆しに高揚しながら俺に背を向けている人影に目を向けて、それからげっそりした。


「……~~! ……ッ!!」


 ここから声は聞こえないが何かを宣いながら剣を振っているそいつは……虎の、頭をしていた。


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