ep118.ベルン王城へ
目標:錫食い鉱を王都に納品しろ
嘗て、この世は偉大なる一人の名もなき神の献身によりて作られた。その世界は混沌の海に覆われており、ただ闇の中に蠢く虚無のみが存在していた。
その光景を嘆いた三人の神が、この地を切り開き人を作り生活を産んだ。
一人は、混沌に大地を作り、海に流れる水より出でし蠢くものどもを生命と呼び人と名付けた豊穣の神ディアーナ。
一人は、混沌に光を与え昼と夜を作り、夜から隠れるための家屋を人に与え、繰り返す昼と夜を生きる術を授けた生活の神ウェスタ。
そして最後は、始まりの槍を作り、混沌から溢れた魔なる物と決別するための知識と抗う力を人に授けた戦乱の神マルス。
こうして天と地とフェニリアの大陸が完成した。
以て、神の子たる我々フェニリアの民は授けられし命を善く生きるために使うべきである。
道中で、神話について尋ねた俺にオルドは一瞬だけ嫌そうな顔をして、それから諦めたように語ってくれた。
その語り口はどこか慣れているようで、すらすらとさわりをそらんじて見せた虎の言葉を聞きながら、俺はそれが聞き覚えのある神の名前でないことに複雑な気持ちを抱いていた。
安心したような、がっかりしたような。あの神々どもに送られた地というくらいだから、所縁ある土地なのだろうと思っていたのだがそうではないというのがなんとも肩透かしだった。
ではあの神々は、故も知らぬ異世界に勝手に地球人を送り込んだということなのだろうか。いや、いくら神々だろうとそんなことが許されるのか?
第一、あの神々の名前はギリシャかどっかの、地球の神話の神々だったはず。そのような神が存在するのならば、このアパシガイアの星にだって同じことが言えるのではないだろうか。
その神々は、ディアーナ、ウェスタ、マルスらといった神々は地球の神々による横暴を黙って見ていたというのか。
「……あー、気持ちはわかるぜ。そもそも神が命を作ったんなら、魔物はどこから来たのかって話になるからな。それどころか、なぜ獣人と原人とでお分けになられたのか、っていう疑問については前も言った通り神学者の命題だ。お前がそう思うのも無理はねェな」
「あ、いや……」
虎は俺の顔が険しくなったのを見て取って、そのようなことを口にする。
いや、俺は俺で思う節があったわけだが……この場はそういうことにしておいたほうがおとなしく収まるだろう。俺はオルドの言葉に控えめに頷く。
「その辺が気になるなら、ミハエリスの野郎も言ってたが教会にでも言って聞いて来たらいい。学者どもが熱心に討論し続けてる一説を丁寧に教えてくれるだろうよ」
わかった、と返事をしつつ、獣人どうこうの話もそうだが神々についての話はもうちょっと詳しく聞いてもいいかもなと胸に留めておくことにした。
どこかに地球の神々と、俺達をこの世界に送り込んだ連中との関連性があるかもしれない。そこから、もしかしたらこの世界と神々の遣いを選ぶきっかけになった主神のことについても何かわかるかもしれない。
もっとも、それを知って……どうしようというのは、いまいち思いつかなかった。
オルドに連れられてなだらかな坂を上る俺は、ひとまず自分の思考を切り上げて視界の先の大きな城門に目を向けた。
建物が立ち並ぶエリアを抜けて、その街並みに緑が増えて小さな森が続く石畳の道をしばらく歩いていたときからそこに聳え立つ目的地は見えていたが、巨大な門まで数十メートルという距離まで近づいた俺は改めてその城構えに息を呑む。
「でっ……かいな」
「そりゃそうだろ」
大小の石を無数に組んで積み上げた石垣は見上げるほどに高く、城壁の最上部の胸壁からはわずかに動く見張り兵の頭や弓の先端が見え隠れしている。
市街部もかなり広大な街だと思っていたが、その中にこれほどのスペースがあるのかと驚いてしまうほどにその城壁は長く続いていた。街を取り囲む市壁よりも高く積み上がって見えるのは坂の上に建てているからだろうか、それでも天然の岸壁を思わせる迫力に満ちていた。
今俺達の眼前に開かれている門は城の正面に位置する正門で、四、五人の見張りの兵士達が槍を持って立っている。
街に入るときの衛兵より鋼で覆う部位の多い甲冑は細かい傷に溢れているのか鋭く光を反射するようなことはなかったが、それでもぎらりと重厚な光沢を放っていた。
門を通り抜けようとする通行人の多くは馬車や背負い鞄に大量の荷物を伴った人がほとんどだった。
城に用がある冒険者というのは珍しいのか俺達のような軽装な人影は他に見受けられず、しかもそれが黒髪黒目の見慣れない顔立ちの男ともなれば荷運び中らしい彼らの目がちらちらとこちらを窺うのも仕方のないことだろう。
翻ってオルドは腕も動かないというのに背中に大剣を渡したまま、のしのしと石畳を渡り城の門に近づいていく。
見張り台を伴った城壁と、その奥に見える王城や塔の様子に目を奪われていた俺は、迷いのない足取りで手の空いている兵士に向かっていく虎の後を慌てて追った。
「なあ、城に入りたいンだが」
虎に話しかけられると、槍を持った鎧姿の門番がかちゃりと鎖帷子を鳴らして首を巡らせた。
面頬を上げもせず、話しかけてきたオルドの顔から足元までをじろじろと眺めると、傍に立つ俺にも同じような目が向けられる。
分厚い板金を張り合わせ甲冑のせいか、それとももともとの肉付きのためかオルドに負けず劣らずの体格をしていた。
「……用件は?」
「ここの魔術師のユールラクスってのがいるだろう、そいつに呼ばれている」
俺達の行く手を阻むように斜めに槍を構えた兵士が警戒を緩めずに聞くと、オルドがさらさらと答えた。それからオルドは自分の銀板を取り出して「中位冒険者のオルドだ」と名乗った。
「こいつは俺の付き添いで冒険者見習いのスーヤだ。名前を伝えてもらえればすぐにわかると思うぜ」
門番は表情の読めない兜を被ったまま、ぶら下げられた冒険者の証に手を伸ばす。
冒険者ギルドの紋章、そして名前を彫られた銀板を検めつつ、俺とオルドを見比べるように目を向けるのがわかった。
「……お前、異国のものか?」
「はっ、はい。そうです」
「どこの国だ」
忌々しげな顔をするオルドの横で、少し迷った後で俺は「日本です」と包み隠さず答えた。
「ニホン……?」
「えっと……はい、海を越えた先にある国……です」
多分、と付け足した俺を他所に、門番は聞き慣れないその国名を口の中で繰り返していた。
何か覚えがあるのだろうか、と期待するまでもなく、苛立った様子でオルドが言う。
「ここで問答するくらいならとっとと俺らを通すか、ユールラクスの奴を呼ぶかした方が互いの仕事の邪魔にならんと思うンだがな」
表面上は穏やかに、しかし明らかに剣呑な様子で虎が言うと、門番は少し考えたあとで僅かに槍の穂先を下げる。
それから何かに気づいたように顔を上げると、兜越しのくぐもった声を張り上げた。
「テオドア、今日はもう上がりか?」
門番の顔が向く方に目を遣ると、来客で少しだけ混雑してきた道を割って堂々と歩く男がこちらへ振り返る。
比較的軽装な男は声に呼ばれてこちらへ足を向けて、脚を守る鋼をがしゃりと鳴らして門番へ歩み寄った。
「あぁ、そうだが……」
「こちらの冒険者達を案内してほしいんだが頼めるか?」
門番に言われて、ばさりと背中から生えた一対の翼を震わせた鷹頭の兵士が鋭い目を俺達に向ける。
「……ん、お前たちは」
「あ、さっきの……?」
乾いた木の枝のような薄い茶色の羽毛は、街に入るときに見かけたものと同じ色をしていて。
獣人の外見の違いはよくわからないが、その凛とした声の響きには覚えがあった。
本日はここまでとなります。次回更新は2/19です。




