ep109.星空キャンプ
目標:錫食い鉱を王都に納品しろ
川の水を沸かせて飲み水に加えつつ、その晩は残っていた食材でパン粥を作って食べた。
俺の知っている玉ねぎより大ぶりで、縦から潰したように幅広で寸胴なそれを四つに切って干し肉や豆、それからオルドの持っていた塩を削り入れて作ったスープにカチカチに固まったパンを千切って煮込んだものは素朴ながらも安心する味で、気づけば持ってきていた玉ねぎも半分くらい減ってきていた。
代わりに持ってきていたパンやら干し肉は底をついてしまっていて、これは朝飯や昼飯に玉ねぎをそのまま食おうとするオルドを俺が引き留めたためでもあった。
生の玉ねぎをそのままリンゴのように齧って食うなんて信じられない、サラダ感覚にしても抵抗がある。そんな俺のわがままのために比較的保存の効くパンやら干し肉やらを日中消費したため、明日の分の食料は玉ねぎと豆が少し、というところだった。
「王都には明日にゃ着くはずだがな、そう遅くならなきゃ明日は王都の葡萄酒とチーズ料理で一杯やれるだろう」
「ベルンってチーズ料理が有名なのか?」
まだ濡れている俺の服を焚火の上でうまく回しながらオルドがそう言うので、日が暮れて少し冷たく感じる川の水をひと掬いして顔を洗いつつ聞き返してみた。
チーズ料理っていうとあまり出てこないが、どういうものなんだろう。
「あぁ、お前も見ただろ、あの平野っぷりを。ベルン国土は山も谷も少なくて畜産が盛んでな」
「そういえばそんなこと言ってたね。だから肉もよく食べるんだっけ?」
「おう、ただ肉もそうだが……ミオーヌとはまた違う麺にチーズをたっぷり絡ませた一品や、火にかけて溶かしたチーズの海にパンや肉をたっぷり浸して食べる鍋なんかは人気でな、よく食うンだ」
「チーズフォンデュじゃん、食ったことないな」
「そうだな、そのまんまただの溶かしチーズだがこれがうまいンだ。食うと口の中が火傷しそうなほど熱くてな……」
会話に少し引っかかりを覚えたが、チーズフォンデュという単語が溶かしチーズと訳されたのだと理解した。
俺もテレビや料理漫画などでしか見たことがないが、うっとりと語る虎の語り口からそれが絶品であることは想像がつく。滋味溢れるスープやぱさぱさの乾物ばかりの携行食しか食べていない俺は、それに文句があるわけではないが乳製品の味わいをまるごと食べるような濃厚な料理は考えただけでも涎が出るようだった。
「王族の愛した名物料理だからな、食わずしてベルン王国は語れんさ」
「いいな、絶対食いてえな……明日はそれだな!」
「どうだかな、人気過ぎて食えないっつぅこともあるからな」
えっ、とばちゃりと川の水を立てて狼狽する俺に、オルドはお手玉でもするように俺の衣服をぐるぐると回転させながらくつくつと笑う。
「まあ、お前との仕事もこいつを届けるまでだが……互いに王都に留まるだろうしな。俺は腕の治療、お前は冒険者試験。明日食えなくても機会があれば食わせてやるさ」
「やった、オルドの奢りな!」
やれやれ、とでも言うように肩を竦めるオルドは視線をかき回している俺の服に戻す。ごぉぉ、と風鳴りが離れている俺にも聞こえるようで、俺は浅い川の中に座り込んで空を見上げる。
瘡蓋の残る脇腹の切り傷が少し突っ張って、鋭い痛みを発したが、さておき。
すぐそばで火を焚いている以外に明かりのない世界で、夜空に輝く星々と月だけが確かな光だった。
「すっげ……」
星ごとに大小があるなんて初めて知った。
思わず口から感嘆の息がこぼれる俺は、数えきれないほどのそれを見上げながら風と川、そして遠くの焚火の音を聞いていた。
自分が自然の一部になったような解放感は、川の中でくつろいでいるためだろうか。それでもこうして夜空を眺めていると、その漆黒の帳を彩る何万光年先からの光の一つ一つを思わざるを得ない。
現代日本に生きていた時を思えば思うほど、この世界で生きている俺は自分に対して現実味を欠いていく。
やっぱりこれは、都合の良い夢なのではないかと。
あるいはいつか自宅に帰れるはずと思ってしまう寂寥がそうさせるのか、いつまで経っても俺は自分のことをこの世界に招かれた異邦人のように感じてならない。ふとした時にここにいるべきではないと思ってしまう不安が俺を蝕む。
でも、そんな俺も結局は単純なもので。
美しい風景や眩いばかりの夜空を眺めていると俺もれっきとしたこの世界の一員なのだと思えてくる。
この場所に受け入れてもらえているとすら感じてしまう。それが身勝手な慰めだとしても、この夜空はそう思わせるほど美しかった。
「おい、乾いたぞ」
「あ、うん。ありがと」
そしてこの虎も。
色々な思惑や事情があるとはいえ、初めて出会ったのがオルドでよかったと思う。
もちろんそんなことを面と向かって言えるわけもないが、金銭面で、生活面で、そして安全面で大きく救われているのは確かだ。
ただのネコ科の獣人、ではなくオルドという虎の獣人として認識すると共に、恩義を感じてしまう自分がいる。
現代の価値基準に準えるならばどのような存在なのだろう。師というか、年の離れた兄や尊敬のできる先輩とか、そんなもののように感じる。
そしてそう思えば思うほど、単純に友のように感じている自分を隠し切れなくて、相手もそうであったらいいなと思いつつ……大きくくしゃみをした。
「ぶえッ、くしょん!」
「冷えてンじゃねェか、早くこっち来い」
「い、いいよ……ずずっ、濡れたままで」
そしてこの世界で旅を経験した俺が一つ次のために覚えておくとするなら、タオルの一枚くらい持ち歩いておくべきだというところだろうか。
濡れた体を拭くのにちょうどいい布などなくて、そしてオルドは濡れたものを乾かすのにうってつけの風魔法が使える。
俺がいまいち川から上がるタイミングを逸していたのは、そういう理由だった。
「いいワケねェだろ。いくら貴族のお坊ちゃんでも裸くらい他人に見せるだろうが」
「そッ……れとこれとは事情が違うっての」
まあ確かに入院してた時は家族や看護師に色々と世話をしてもらっていたが……オルドにそれをされるのは何か違う気がする。
だってそれは目の前に裸で立って、風であれこれ乾かしてもらう必要があるからだ。そんなことされるくらいなら濡れた体のまま火に当たる方がまだマシで、しかしどちらにしろそのためには川から出ないといけない。
渋々川から上がる俺が頑なに手で局部を隠しているのを見て、虎が嘲るように鼻を鳴らしながら言う。
「何を気にしてンだか……ガキの割りにいいモン持ってンだから堂々としてりゃいいだろ、まあ使ったことねェのは玉に瑕だが……痛ってェ! おい、褒めてンだぞこっちは!」
「うるせえ! ノンデリサツマイモ野郎が言っても嫌味にしか聞こえねえっての!」
「ワケわかんねェぞ!?」
ちょっとした親しみを感じていた俺が馬鹿だった。
その背中を蹴飛ばした俺は、前につんのめって心外そうな虎とぎゃーぎゃーと言い合う夜を過ごしたのだった。
本日はここまでとなります。次回更新は2/9です。




