第60話 獣の牙を研ぎ澄ませ
──トリアングロ王国、要塞都市、王城
城壁がぐるりと囲んだ街。防衛設備の整った美しくも機能的な集中式城郭。
その中心。様々な議題を話し合う会議室に大きな円卓が一つ。
そしてそこには、ずらりと錚々たる顔ぶれが並んでいた。
ピリピリと緊張感の漂う空間。
半音チューニングを間違えたかの様な不調和が部屋に蔓延っている。
──バタン
扉が閉まる。
王が、現れたからだ。
カツカツと歩を進める王の姿を彼らは見ていた。その視線は尊敬では無い。ましてや信仰や崇拝でもない。
硬く、固く、堅く。閉められた重厚な扉は侵入者を通さない為か、部屋の中から逃がさない為か。
「よく、生き延びたな同志達よ」
真っ黒な髪に真っ黒な瞳。
王と呼ぶには少々無作法で小汚い。着崩した服装など、庶民でもしない。
なのに。
彼の登場で部屋の中の空気が数度下がる。冬を思わせる様なヒヤリとした眠気を覚ます特有のオーラが、不調和を全て入れ替えてしまう。
全員が全員、唾を飲み込む。
「──刻限だ」
時が、満ちた。
「報告しろ」
その重圧的な声を聞き、反射的にガタリと立ち上がった男が口を開く。
そして報告は次々と届けられた。
「まずは我が報告をしよう。我が隊の準備は万全。火器も倍は用意してある」
空軍〝鷲〟アクイラ。
「──今すぐにでも、攻め入れよう」
白髪に黒のメッシュを入れた巨漢が、丸太の様な腕を組んでそう言い放つ。目じりにできた小じわが深くなる。
「そんなものは大前提だ戯けが」
細い目を更に細めて、緑の髪をした細身の男が毒を吐く。
アクイラがムッと隣を見下ろした。
「蛇が告ぐ。白蛇がやらかした。同じ蛇の名として恥ずかしい限りだ……。白蛇はグリーン領で作物の輸送をこちらに送り続けていたが、手下の盗賊とも連絡が取れん」
陸軍〝蛇〟サーペント。
「俺の情報網では、狐の名も出た、と聞くが。犬、報告を」
鋭い眼光が円卓の向こう側に座っていた男を立ち上がらせた。
「では、犬が告げる。狐の者がスタンピードを起こした。グリーン領の作物にかなりの被害を与えた様だ。少なくとも半年は新たな食料を生産出来ないだろう」
陸軍〝犬〟シアン。
「忌々しい。魔法などという非人間的な物で何とかしようと動かしているらしい。狐の者は次の計画のために王都に向かっただろう」
淡々と、だけども嫌悪を滲ませ。
「はんっ、若造に王都での仕事が出来るもんかね」
隣に座っていた茶髪の獣人が馬鹿にしたように鼻で笑う。シアンは眼鏡を直し、睨みつけた。
「猫の者に比べれば誰だって若造だろうに……」
「猿野郎が課題をクリアした。薬学メインの街あったろ、あそこで現状を解決させちまいそうな婆さんを誘導して白蛇野郎の奴隷に襲わせたらしい。よく放浪する癖があるようだ、バレやしねぇな」
陸軍〝猫〟コーシカ。
「国境さえどうにかしちまえば、クアドラードの南東は機能しなくなる」
はぁい、とゆったりした動きで女が手を上げる。
「海蛇が報告。残念ながら亀がやらかしたみたいでなぁ。亀の担当しとった北の街道は残念ながら、おじゃんや」
海軍〝海蛇〟アダラ。
「ああでもその代わりやけど、うちの可愛いヘビちゃんがえらい頑張ってくれて。──岩で街道、潰れてはるよ?」
北側の街道を使えなくした、と年齢が全く読めないアダラがニコリと微笑んだ。
「誰がお前のヘビだ」
「いややわ、蛇の事言うてるんとちゃうよぉ?」
「当たり前だ海蛇。あのチビ助は俺のだろ」
「はて、そないな事知りまへんわ。次、報告してくださる?」
「おい!」
蛇同士が言い争いをしている中、まん丸と太った男が立ち上がろうとして腹が円卓に突っかかり、諦めて腰を落とした。
「私が報告しよう。私と鯉で地雷の設置は完了したのだ。こちら側の国境の先においたぞ」
海軍〝蛙〟フロッシュ。
「まぁ、設置場所は海蛇の姉さんの指示通りだが」
「このデブ本当に火薬だけは上手いんだよな……。「当たり前だ私の体格で肉体労働が出来るとでも」──うるせぇよおデブ。一応忠告しておくが、お前らの兵はきちんと言い聞かせておけよ。場所は南側。俺の兵が囮になるから、奴さんらがハマるまで」
海軍〝鯉〟クラップ。
「──絶対に、邪魔すんな」
黒寄りのグレーの短い髪をかきあげ、ご自慢の筋肉を見せつける様に腕を捲る。
隣に座り言い訳を未だ零しているフロッシュを引っぱたくと、白髪のガタイのいい男が口を開いていた。
「べナ……えっと、鹿は相変わらず王都に根を張ってるわよん。内側から腐ったうみどもを利用しようって魂胆ね。誘拐の手筈も整ってるわ」
陸軍〝牛〟ヴァッカ。
「再戦のスタート? をあげるのもアイツなんだってね?」
「だからお前はバカって言われるんだよバカ」
クラップの揶揄う声にムッと表情を歪める。
「20年だ。タイミングさえ時間通りなら、誰が狼煙を上げようがどうでもいいんだよ。タイミング的にゃ、鹿か狐だろうが」
「俺は両方とも……それどころかクアドラード組にゃ会ったことねぇな」
コーシカが耳をピクピクと動かしながらあっけらかんと言い放つ。
「そりゃ、あんたが古参にも関わらず会議を欠席するからやろ? あのイカれとったやつよりも参加率低いて……。頭いとぉなる」
「あー……そのイカれたやつの引き継ぎが失礼します。梟さんが青の騎士団で副隊長に就任出来たそうです」
空軍〝鶴〟グルージャ。
「赤、青、緑、黄。それぞれの騎士団に怪しい動きはないそうです」
黒髪の1番若い男がそう告げれば、そこらからほぅと感心した声が上がる。
「あの、やはり自分はこの場に立つのは不相応なのでは」
「ガッハッハッ、何言ってんだ鶴坊!」
「いって!」
バシン、とアクイラの手がグルージャの背中に思いっきりぶつかる。小さな悲鳴を上げたが、意にも介さない。
「お前んとこの兄貴の後釜とは言え、実力がねぇやつにはこの席に座れねぇ。幹部の名を得ようと下のやつらは虎視眈々と狙っている。──食い殺されんなよ」
弱肉強食主義国。
部下であれども敵であり、国民であれども敵。いくら重要な案件を任されていたとしてと、国は幹部の身を守ってくれはしない。殺されたくなければ強くあれ。自分の任された誰にも漏らせぬ仕事を守り通せ。その命ごと。
だから、円卓に座るトリアングロの幹部は皆、強いのだ。
「……上等ですよ。兄が再び舞い戻ったとしても、決してグルージャの名は渡さない」
「まぁお前は蛙の者より弱いけどな」
「うぐぅ……! それは言わないでください犬さん……!」
グルージャの兄は、クライシスと言う。
クアドラードでイカレポンチと名高い狂人だ。
「ということはあいつの暗殺任務は失敗したってことか……」
「おそらく奴隷となっただろう。やつの持っているこちら側の情報は漏れていると考えていい」
サーペントの考え込む声にクラップが言葉を足す。さて、漏らしておくべき情報を選ぼうか。
続々と上がる報告に。
1人。恐れを成している男がいた。
「(……まずい。こんな、こいつらの狙い通りに被害が行っているなら!)」
空軍〝烏〟クロウ。
「(それに青の騎士団の副団長だな。そこに居られるとまずい。どうする、ここから王都まで最短ルートを使っても再戦まで間に合わない……! そもそも再戦のタイミングっていつだ……!)」
青黒い髪を短く切り揃えたクロウ。
その正体は、クアドラード国王直々に内情を探る役目を仰せつかったスパイだった。
「──王よ」
アクイラが同じ円卓に座り同じ目線で座る国王に声をかける。
「そうだな……。まずは、再戦と同時にローク・ファルシュ対策をしよう。シュランゲの報告ではローク・ファルシュは20年前と随分違うらしい」
地図は広げず、全員の頭に入った地形を基に話を進めていく。
「クアドラードのやつらはこの国に入れば無力化したも同然。国内で警戒すべきはエルフだ。ただし、ローク・ファルシュは例外とする」
緊張で誰かの喉がゴクリと大きな音を立てた。
「まずは全軍捨て駒でファルシュ領を襲え。ローク・ファルシュを引っ張りだせ。出てくりゃ後は力技だ、魔導銃で貫け。魔法と物理は同時に防げねぇはずだ。鉛玉の中に魔弾を仕込め」
スナイパーは建物の中からだ、と告げる。
「魔弾には魔封じを込めるのを忘れんなよ。この国で暴れさせればヤツの魔法は封じているが、今回でケリをつける。防戦だけじゃなく城攻めもしなきゃなぁ?」
まずい。
国の防衛であるローク・ファルシュ辺境伯が開幕で潰えるのはやばい。昔のファルシュ辺境伯であれば、街が荒らされても知らぬ顔が出来たであろう。
だがファルシュ辺境伯の子が王都に入学している!
内部に敵がいたら、いっそう不味い。兵士でもなんでもない子供を人質に取られて平気である親などいてたまるか。近年は特にその傾向があるし……!
まずい。
あの人であれば魔法が封じられたところで平気だろうが、戦力がガタ落ちすることは間違いない……!
「んで、おびき出すのを失敗した場合は──」
様々なパターンを想定し、その都度最適な動きを説明してゆく国王。いや、元帥。
クロウは焦る。魔法の使えないトリアングロで動くには時間が必要。早く、早く伝えなければ……!
「おっと、忘れていた」
パチンと風船が弾ける様にその場の空気が一気に変わった。
「クロウ、お前は優秀だと思っていたんだがなァ。非常に残念だ」
「………………は、」
「いけずやなぁ王様。本当に残念やと思うとるん?」
「馬鹿言うなアダラ。こんなにも悲しんでるじゃねェか」
クスクス。
あはは。
全員の目が、クロウを向く。玩具を眺める様な目で。
口元に浮かんだ笑みは。
「裏切りには、罰を」
──嗚呼。クアドラード王国に幸あれ……。