第6話 叫びすぎて喉が痛い
男は目を覚ました。
体に昨晩の疲労がまだ溜まっている。
顎を触るとゾリッとした髭の感触。欠伸。生理的な涙。ギシッとベッドと共に軋む体。地面。頬に当たる床の感触。
「……久々に筋肉痛だわコレ」
数時間かけた逃走劇。
ワイバーンの群れに追い掛けられるという普通なら死んでいる体験を生き延びた男、ライアーはいつもより早く寝落ちたというのに太陽の位置が普段から変わらないという疲労具合にため息を吐き出した。
え? これより遅い普段の深夜? それは良い子には秘密である。
床に転がったままライアーは唸った。
運が非常に悪い。自分はかなり運に好かれていると思っていたが、それ以上に運に嫌われている少女に出会ってしまった為、総合的に負けてしまったのだろう。ド畜生、もっと熱くなれよ俺の運。ライアーは無茶なことを考え始めた。
「はぁ、起きよ」
腹が減ってはなんとやら。
ライアーは宿で昼飯でも食べようと思った。
ここで注目すべきは寝起き早々、朝飯ではなく昼飯だという点だ。
階段を降り、宿の食堂スペースに近づくといつもより騒がしい気配を察知した。こんな寂れた宿に人が……? 大変に失礼な思考回路だ。
男は嫌な予感に駆られる。
出来ればこのまま部屋に戻りたい気分だ。
ガヤガヤ。
ザワザワ。
「……。」
男は覚悟を決めて食堂を覗き込む。
「リィンちゃんこっちにも卵巻き!」
「はぁい!」
「リィン、次3番に配膳しな!」
「おじさん、鶏肉の薬草炒め美味しき?」
「おう、エグ味は強いけど」
「あー!」
「かっわいいな!? 1口食べてみな! あげちゃう!」
「お姉ちゃん、リィン喉乾くすちゃった」
「いくらでも!!! 飲むんだよ!!!」
「女将さぁんっ、私トマト嫌う故に2番のおにーさんのトマト煮込むぞ変更ー! ミルク煮込むぞ出すしてー!」
「客のメニュー勝手に変更しな……。頷くんじゃないよ全く!」
「お嬢さん頑張ってるね、チップあげるから好きなの食べなさい」
「わぁ! えへへ、おじいちゃんありがとうっ! ほっぺにちゅーすちゃう!」
「えっ、俺もチップ出したいんだが????」
「リィンちゃんこっち座って一緒に食べよ〜?」
「俺の天使……」
なんだこれ。
ライアーは目を擦ってもう一度見た。
いやなんだこれ。
目を擦っても現実は変わらなかった。
「あ、ライアー。おはようござりますです!」
なんだこれ。
「……は? え、は?」
動揺した。そりゃもう動揺した。
昨晩まで一緒にいた小憎たらしい少女が宿の食堂で大人気だ。
「よぉライアー!」
冒険者仲間が声をかける。ニコニコ笑顔だ。ライアーはうげぇと嫌そうな顔をした。
なんせこの男、クランの人間だ。
クラン『ザ・ムーン』は拠点まで構えているダクアの一大勢力。もちろん国の中ではそこそこ。むしろF〜Cランクの集まりであるから、逆に低い方かもしれない。
世界的に見てもとてもじゃないが比べ物にならない。なんせあまり戦闘しないクランだから。
だが団結力はやばい。そりゃもう、やばい。
クランリーダーの人格がぶっ飛んでるからそれをフォローするために全員が協力し合うのだ。団結しなきゃやってけない。
ちなみにクランリーダーは街の外でリィンとライアーが出会い、知らぬ間にファンクラブを設立してるリックという男であった。
「うちのリーダーに聞いたぜー? お前こんな可愛い子とコンビ組んでんのかよ。手が早ぇな! クズ野郎!」
「組んでない組んでない」
むしろ組みたくない。
この人気の中で口に出すのは流石に止めた。懸命な判断だ。
「えー、つーか。……ほんとにどうなってんだ?」
「……。」
「おいなんで目を逸らした月組」
ザ・ムーンは通称月組とも言われている。ライアーも例に漏れずそう呼んでいた。
大体リックが馬鹿やらかすせいで正式な名前を言いたくないのが市民の本音だった。つまるところお叱りの際の呼び名だ。
「美少女ちゃんが配膳してるの街中に自慢しに行った」
「ストッパーは!?」
「グレンなら引き摺られて行ったさ。リックの話だから街中ある程度聞き流してるだろうけど、今日がこの様子だと噂広まるのあっという間だろうナー」
HAHAHAと乾いた笑いを浮かべる男に思わず同情した。同情したが所詮そこまでだ。あとは頑張ってくれたまえ。
「そもそもあの小娘に人気なんて出ないだろ」
「お前正気か?????」
「その言葉そっくりそのまま返すが?」
何を不思議そうな顔をしているんだ。
どちらもが同じことを思った。
「見よ!」
男はリィンを指さす。
「あのキメ細やかな肌! ほんのりと色付くふっくらした頬! 果実のような瑞々しいプリっとした唇! 伏せた瞬間も見開いた瞬間も全てを虜にする黒曜石みたいな瞳! そして金を糸にした様なふんわりと風をはらむ綺麗な髪! 細い手足! くるくると色んな所を歩き回る姿はまさに天使と言っても過言じゃない!」
過言である。
「あの天使みたいな笑顔で近寄られたら動悸と息切れが激しくなり」
「病気か」
「あぁ分かる。恋は病とか言うもんな。それに近い」
全然近くない。
「あんな天使に近くで口を開けられてみろ。魅力に抗えず思わす餌付けをしてしまうだろう」
既にフルーツを1口献上した男が握り拳を作り力説する。
ライアーは無言だった。
……いやそうはならんかったが?
「ライアー! そのそうはならぬでしょうみたいな顔面はないないすて!」
現状を見ろ現状を!
まぁリィンのとんでも不思議語という特殊スキルのせいで、意味と同じ言葉を叫べたかどうかは置いておく。
リィンの叫びが宿に響き、女将に怒られた。
「なんで喋るのド下手くそなのにコミュニケーション能力は高いんだよッッッッ!」
ライアーもついでに怒られた。
それが答えだった。