第280話 元トリアングロ
魔力が空間をねじ曲げる感覚。慣れたようでいて、本質的には未だ不快な転移の震動が一瞬、骨を軋ませる。視界が一転し、乾いた風と石の匂いが鼻腔を打った。
ライアーは即座にここが第二都市の外れ──旧グルージャ邸の崖上であると理解した。
「うわあああああ!!??」
若い男の悲鳴に聞こえないフリをして、ライアーは咄嗟にリィンを抱える。
ぐらりと揺れる体が前に倒れる瞬間小脇に抱えたそれは
「うお!」
「きゃ!」
「っ!?」
背後で同行者転倒音が続いた。尻もちをつく者、荷物ごと転げる者、散々である。最初から「座ってろ」と命じておけば良かったと考えるが、すでに起きた後ではどうにもならない。立っていられるのはリックとヒラファ──月組だけか。
腕の中で気絶したリィンを抱え直し、ライアーは短く命じた。
「全員、荷物持って降りろ」
ライアーはキュウ……と意識を飛ばしたリィンを抱え直して指示を出した。
「全員、荷物もって降りろ〜〜」
崖下までの道を見て、舌打ちが喉元まで出た。この屋敷の立地は孤立要塞向きだが、輸送には致命的に不便だ。荷馬車ごと転移してきたせいで余計に厄介だ。
ライアーは軽薄そうな表情を浮かべてヘラヘラ指揮をする。
「急がなくていいから、安全に気を付けてな」
「いーーーや急いで貰えます!!??」
そんなライアーの指示に噛み付いた声は、何故か馬車の下から聞こえた。
それもそのはず。
リィンの〝瞬間移動魔法〟とは元々視認出来る範囲へ移動する空間魔法だ。
しかし、改良と奴隷入手の結果、『視界内』=『転移先のポイントの認識』だと解釈し、奴隷契約魔法で繋がっている奴隷の位置を、転移先のポイントとして認識して現在の魔法に至っている。
結果、どうなったかというとを
グルージャの真上の空間に、馬車と一行がまとめて出現した。
「重い重い!! 重いですって!」
「リック、飛び跳ねろ」
「おうとも!」
「おうともじゃないですよリック君! ルナールさんもさっさと降りてくれません!? 化け物みたいな身体能力は持ち合わせてないんですよこちとら!」
馬車の上で遊んでいたライアーとリックは、その言葉に渋々、躊躇いながら、ゆーっくりと、元気よく飛び跳ねながら降りていった。
グルージャが荷馬車の下から這い出し、服についた砂埃を払いながらぼやいた。
「はー、酷い目に遭った」
「ここに突っ立っていたお前が悪い。避けなかったのも悪い」
グルージャからすれば理不尽な変事がライアーから聞こえた。
屋内だったら悲惨な目にあっていたのは間違いないが、それにしたって場所の問題はあるだろう。
「じゃああんたは避けられるって言うんですか……!」
「リィンの魔法なら大まか読める」
その張本人であるリィンは、いまライアーの腕の中で顔面蒼白になっている。完全に魔力酔いだ。新しい奴隷たちとヒラファは不安そうに様子をうかがう。
「リィン様、大丈夫ですか……?」
「リィン? ……気絶してる?」
「ヴィシニス、これは魔力切れで合ってるな」
「はい、合ってます先生」
ヴィシニスが即答した。
魔力量の桁が違うとはいえ、長距離の大人数転移は相応に負担が大きい。一年前は視界内へ三回飛べるかどうかだったことを考えれば、異常な進歩と言えた。
「あの、ライアー? これ、どういうこと? もしかしてここ、トリアングロ?」
ヒラファの言葉に頷いたリックが「この景色懐かし〜」と言いながら崖下を眺めている。
「そうだ。リィンの魔法で飛んで来た」
「ばっ、化け物かよ……」
ヒラファは青ざめた。無理もない。彼はただの平民ではなく元騎士団所属の冒険者で、魔力や魔法に対する最低限の知識はある。それでも理解を超えた魔術行使を目撃すれば、そう言いたくもなる。
「とにかく、崖の上になんか飛ばされたせいでこのままじゃ身動きが取れない。全員で降りるぞ。崖を移動することになる。足腰に自信の無い奴は申告しろ」
そう言いながら、ライアーは昏睡中のリィンの他に、小さな子どもの奴隷を左右の腕に抱えた。
「リック、ヒラファ。それからヴィシニス。目的地は南東にある一回り大きい屋敷だ。馬車は放置でいい。全員に最低限の荷物だけ持たせて護衛しろ」
「護衛……?」
「やれやれ、これだからクアドラード出身者は」
肩をすくめたのはグルージャだった。ヒラファを馬鹿にしたのだが、普段と変わらない笑顔を浮かべていた。
「たしかに法はクアドラードのものになりましたが、ここはトリアングロですよ。『襲われて負けた方が悪い』という国です」
「そういうこった。清くおやさし〜いことより、強奪の方が正義。まぁ、もちろんトリアングロでも強盗はそれなりに罰を受けるが」
「まぁ『決闘』とすれば奪っても問題ないですからね。勝者の言い分こそが正しく認識される国ですから。お子様の遠足気分だと泣きを見るのは貴方達ですよ」
そうしてライアーは、崖から飛び降りた。
「なーーーー!!??」
「安全なルートで来いよ」
風を切る声だけ残し、あっさりと降下していく。
ヒラファは口を開けたまま固まり、新入り奴隷たちも言葉を失っている。
だがリックは肩を竦め、ヴィシニスは呆れたようにため息を吐いた。両者ともにライアーの実力の片鱗を知っているからだ。
残されたグルージャは痛む体をさすり、残された労働奴隷に視線を向けた。
「さて、僕は貴方達の事はよく知りませんが、リィンちゃんが連れて来た上にあの男が特に何も言わないのであれば特別問題は無いのであれば案内しましょうか」
穏やかな声音に割り込むように、低い声が冷たく跳ねた。
「却下。俺、お前のこと嫌い」
当然のように反対したのはリックだった。その物言いはあまりにも直球で、場の空気が一瞬凍りつく。
二人は過去、この場所で戦ったことがある。その時はリックは虚しくも敗北まで追い詰められたが、結局リィンによって最終的にグルージャは敗北となった。
そんな因縁を持った二人とは露知らず、ヒラファが動揺した声を上げる。
「ちょっ、リック! 失礼なこと言うなよ!?」
慌てて口を挟む。視線はあたふたとグルージャとリックの間をさまよい、慌てて取り繕いに走った。
「この人あれだろ、よく家にくるクラップさんのパーティーメンバーだろ?」
「クラップさんとは組んでませんけど、大まか同じですね」
グルージャは微笑しながら訂正するが、その声に熱はない。どこか距離を取るような態度だったが、ヒラファは気付かず続けた。
しかし、それを上書きする勢いでリックが叫ぶ。
「俺、こいつ嫌い! 俺は騎士爵! こいつは奴隷! ──つまるところ序列逆転、俺の方が偉い! 偉い俺がノーって言ったらノー!」
「どんな冗談だ」
否定の声は冷たいというより、呆れ混じりだった。
冗談じゃない、とリックの耳が主張していた。表情で語るタイプではないが、魂で訴えている。。
「身分を持ち出すのであれば、僕が先導しましょう。地形自体は頭に入ってますから」
静観の姿勢を保っていたヴィシニスの助け舟に、リックは初対面ながらもぱっと人懐っこい笑顔を浮かべた。
「あ、それならお願い! えーっと、ビビちゃん?」
「ヴィシニス・エルドラードです」
「蜂ちゃんね。よろしくな」
エルドラード……?
その瞬間ヒラファはひっくり返るほどの大声を出した。騎士団にも、もちろんエルドラードは居た。つまるところ。
「伯爵令嬢居んじゃん!! 助けてリィン!」
「「「(その人物も伯爵令嬢ではあるんだけどなぁ)」」」
リックとグルージャとヴィシニスの心がひとつになった。




