第274話 家族の絆
シアンは、床に崩れた元父親──エンガス家当主バルサムを見下ろしていた。
情けなく取りすがるような視線も、哀願の言葉も、もはや届かない。
失言を重ね、判断を誤り、冷たい目で見られ続ける男。
その姿は、シアンにとって痛快ですらあった。
この男の最初の過ちは、自分を生み落としたこと。
次の過ちは、自分に魔法を期待したことだ。
耳の奥に、かつての怒声が甦る。
『カデュラ! なぜ魔法が使えない!?』
『モカラはもう使えるというのに、恥を知れ!』
幼い自分を罵倒し、弟と比べるその声。
あの日から、シアンは魔法を滅ぼしたいと願うようになった。
そら、堕ちてこい。
お前たちの誇り高き魔法が崩れ落ち、何もかも失った世界で。
生きる意味を見失ったお前たちを踏みつけにして、私だけが高みに立つのだ。
魔法の国も、お優しい世界も、搾取される側も。シアンにとっては不快でたまらない。
特大マウンティング精神でトリアングロの幹部を務めた。
リィンの交渉に乗ったのは気まぐれだ。
トリアングロは『敗北は死』という価値観でいるがらシアンは元クアドラード。下克上の国に馴染めば馴染むほど、その考えはぶっ飛んでて面白かったが、理解はできなかった。
実際、己は魔法に敗北していたのだから。
だから交渉で一旦負けたことにするのに腹を切るほどの悲壮感も覚悟も要らなかった。
『(どうせ、すぐこの女は死ぬだろう)』
わざわざ自分の手で殺すまでもない。
そう思っていた。
だが、蓋を開ければトリアングロは敗北。
かつての幹部たちは皆、奴隷の首輪をはめられ、服従を強いられている。
流石におもろかった。うけた。
どうしてそうなる? と。
そして交渉にあった『復讐』の場に、今シアンは立っている。
「エンガスよ──申開きはあるか」
王の声が低く、玉座の間に落ちる。
言葉は重く、天井に反響して誰の耳にも逃げ場がなかった。
「……い、いえ……ございません。すべて、不徳の致すところにございます……!」
バルサムは膝をつき、額を床にこすりつける。
その姿は見ていて滑稽なほど小さく、情けなかった。
「ヴォルペール、来なさい」
王の声が次の名を呼ぶと、広間の空気がざわめいた。
第四王子──ヴォルペールが、静かに歩み出る。
リアスティーンは驚いた顔を見せた。
第四王子は不貞の子。メイドとの間に生まれた婚外子だ。
お優しい王家は決して仲間はずれにはしなかったし、冷遇もほぼ無かったのであろうが、外野はそうでは無い。
シアンはヴォルペールに『出来損ない』という共通点を見出していた。実力云々の話ではなく、望まれたか望まれていないか、という話だ。
「はい、陛下」
「隣に」
傍に控えた第四王子を気にせず、王はさらに問いかける。
「エンガス、モザブーコとの関わりを申せ」
「は、はい……今回の事業が初めてにございます」
「何を企図していた」
「体力回復薬の開発と、販売網の構築を……」
「その薬に、麻薬が混じっていたと報告を受けているが」
バルサムの顔から血の気が引いていく。
「そ、存じ上げませんでした……! 断じて、知らぬことでございます!」
広間が静まり返る。王はしばし目を閉じ、重々しい沈黙のあと、静かに口を開いた。
「本当に、か」
その一言で、バルサムの喉が鳴った。
「ま、まことにございます。陛下、この命に代えても!」
「命に代えてもか……ならば、この場で命を絶つ覚悟もあると聞こえるが?」
「っ……!」
言葉に詰まり、膝ががくりと落ちる。汗が床にしとしとと落ちた。
「潔白と言い切るか、虚偽と認めるか。今ここで答えよ」
「け、潔白にございます……陛下!」
おそらくこれは事実だ。
リィンの打った手はあくまでも『騎士団に所属しておきながらなぜ見抜けなかったか』『犯罪の片棒を担がされかけて救われたバカ』などという不名誉を植え付けること。
だから家を無くす程のダメージを出すとは思えない。知って関わっていたら終わっていただろう。
だから、エンガス家はこれからじわじわと落ちていく。
一気に終わるよりも、その方がずっと苦しい。
王は、ゆっくりと第四王子を振り返った。
頷きひとつ、第四王子もまた黙って頷き返した。
「家は残す。だが騎士団と宮廷魔法士の籍は、今宵をもって剥奪する」
「そ、そんな……! それでは家の名誉が……!」
バルサムの顔は真っ青に染まり、必死に縋るような声を上げる。
「不満か?」
王の一言に、バルサムはぐっと言葉を飲み込み、ぎこちなく首を縦に振った。
その様子を、シアンは薄く笑って眺める。
ほら見ろ。お前が誇りにしていた騎士団も、宮廷の席も全部なくなったぞ。
かつて、自分を助けなかった母も、バカにしていた兄弟もその言葉には顔を青くする。あぁ、いい眺めだを
いや、モカラだけはリアスティーンを手に入れられないという当たり前の結果に気付いて絶望しているようだ。
名誉も職も、恋も金も、全て失ったお前らを。
『エルフの恩人』で『クアドラードの英雄』で『王弟の娘』で『宮廷相談役』で『伝説のエルフの弟子』のリアスティーンの従者として。従える気はないが従っているフリをして。お前たちの使えない空間魔法を使って。
落ちぶれ、悔しさに喉を裂き、いっそ死にたくなるその日まで。見ていてやるよ。だって家族だろう?
だから、せいぜい生きろ。見せ物としてな。