第273話 魔法に焦がれる者
なぜだ。なぜなのだ。
バルサム・エンガスは、答えの出ない問いを心の中で何度も繰り返していた。
思い返すのは、あの日。
モカラが連れてきた少女──リアスティーン・ファルシュ。
ファルシュと聞いて、心臓が跳ね上がった。
辺境を治める王弟の家筋、王家に最も近い伯爵家。遠い存在と思っていた名を、まさか自分の家の者の口から聞くことになるとは。
最初は、ただの偶然かと思った。
だが、彼女は実際に王家に連なるものの証である金色の髪を靡かせていた。ファルシュ辺境伯の娘ありながら、驕ることなく、控えめで、それでいて人を惹きつける。
気づけば家族も心を許し、いつしか娘のように振る舞わせることに、バルサム自身も違和感を覚えなくなっていた。
息子達は誇らしい仕事には付いているが、段々、新しい宮廷相談役のおかげで仕事の作業か減っていく。新たな仕事が出来ない限り、給料は減る他ない。
素晴らしい偉業。
我が家はぜひお近付きになりたかったが、宮廷相談役はご多忙でお会いすることはついぞ叶わなかった。
資金面は常に苦しかった。
だが、彼女がデビュタントとして公の場に出るならばと、借金をしてでも既製服を整えた。
新しい布地も宝飾も、本来なら手を伸ばせぬものばかり。それでも彼女を飾るためなら惜しくはなかった。
……いや、惜しむ余裕が無いほどに、彼女は家にとって希望に見えたのだ。
だというのに──。
そして迎えた、今宵のデビュタント。
バルサムは密かに期待していた。
「婚約者を決めるらしい」という噂が立ち上り、場の空気がわき立った時、周囲がエンガス家の名を囁くことを。
少なくとも、彼女と関わりを持ってきた家として一度は注目を浴びるはずだと。
だが。
耳に届くのは他家の名ばかりだった。
王族、名門、そしてエルフの名までが浮かぶ中、エンガスの名は一度たりとも出てこない。
まるで存在しないかのように、誰もこちらを見向きもしなかった。
リアスティーン本人も同じだった。
舞台の中心に立ち、光に包まれる彼女は、かつて屋敷で見せた穏やかな笑みのままに貴族や王族に微笑んでいた。
そして許せないのが──我々のリアスティーン嬢のパートナーとしてカデュラが現れたことだ。
あれは、魔法を使えぬ出来損ない。
家を継ぐことも叶わず、切り捨てたはずの次男。
その男が、いまや憧憬の的となった彼女に寄り添い、従者として控えている。有り得ない。
なぜお前が隣にいる!?
なぜ笑いあっている!?
その子はモカラの嫁になる子だ!
頭が熱に浮かされたように真っ白になり、気づけば舞台へと詰め寄っていた。リアスティーン嬢や王族の存在など忘れて。
「──ご機嫌よう」
軽やかで、あまりに冷たい響き。
まるで物語に名も無き端役へ声をかけるように。
それは決別の合図にほかならなかった。
しかも彼女は、ただの令嬢ではなかった。
エルフとの繋がりを持ち、あの気難しく人付き合いを避けることで知られる伝説のエルフ。フェフィアにすら師事していたのだ。
羨ましい。羨ましい。
「愛弟子よ、デビュタントおめでとう。プレゼントに屋敷用の結界魔法道具を作っておいたから、受け取れ」
登録した魔力以外のものを通さない優れもの。
A級の魔物の魔石を使った?
これだけで屋敷が建つくらいの?
そんなわけがあるか!
王城の防衛設備ですら、同等の品は数えるほどしかない。
あれを一つ持てば、屋敷どころか一国の要塞をも守れる。
フェフィア様は軽く「屋敷を護る程度の物」と言ったが、それは謙遜にすらならぬ虚言だ。
あれは城を立て、軍勢を退け、歴史を変える力を秘めている。
そして今、それを受け取ったのはリアスティーン嬢と、その傍らに控えるカデュラ。
リアスティーンは「ありがとうございます」と微笑み、カデュラは無造作にそれを両手で支えていた。
いつの間にか開花した空間魔法の才能。
おそらくリアスティーン嬢があれを拾いあげたのだろうということは容易にわかった。
そして陛下が現れ、モザブーコ男爵が麻薬を取り扱っていることを聞いて、呆然と立ちつくす。
そんな、まさか。
合同事業を乗り出す寸前で、今日は売り込みに来たと言っても過言ではなかったのに。
「……エンガス家と、モザブーコの合同事業計画……か」
「この、体力回復薬。微量ですが、麻薬が」
冷たい言葉が胸に突き刺さり、視界が揺れる。
今になってようやく気づく。
ずっと前から、見えぬ手で首を締め上げられていたのだと。
気づいた時にはもう、逃げ場などどこにも残されてはいなかった。