第269話 ニセモノの王子は理解者である
「(え、めっちゃやるやんこの人)」
「(わかる。エンバーゲール殿下がここまで状況読んでズバッとしてくれるとは思ってもみなかった)」
ヴォルペールはリアスティーンと目だけで会話をしていた。
「(これ、何が怖いって、リィンの企みも何も知らないのが怖いんだよな。俺はある程度知ってるけど)」
「(分かる。ペインの視線の意味にも気付いたみたいだし、わりと社交界の適応能力高くない?)」
社交界初心者が第二王子をジャッジすんな。
心が通じあっている二人は視線で会話をするが、冷めた目でエンガス家を見下ろした。
「(リアスティーンに、他人行儀に『ごきげんよう』と挨拶をされたのが、よっぽど堪えたらしい)」
呆然と立ち尽くし、まるで裏切られ絶望の淵に立ったかのような姿。
だが、まだ甘い。
「(こいつがその程度で終わらせるわけがないんだよな〜!)」
誰だと思ってるんだ? ほぼ単騎でトリアングロを滅ぼした女だぞ?
しかも、骨抜きにした上でさらに嵌めているのだ。これからが可哀想な想像しかできない。
周囲に視線を走らせれば、貴族たちは皆「気付かぬふり」をしている。──いや、しているつもりなのだろう。
実際には耳をそばだて、表情の端々に好奇心や嘲笑を隠し切れていない。
伏し目がちにワイングラスを弄ぶ者。
ハンカチで口元を覆い、肩を震わせて笑いを噛み殺している令嬢。
中には扇子の陰で小声を交わす老侯爵夫妻までいた。
「たしかに……王家に挨拶どころか、リアスティーン嬢にまで無視とは」
「礼を欠くにも程がある。あれでは“田舎者”と呼ばれても仕方あるまい」
「おや、まだヴォルペール殿下にも一礼していないのでは?」
「まったくだ。無礼を重ねに重ねて、気付かぬとは……」
ざわめきは、静かな宴の場に薄い波紋のように広がっていく。
しかし当のエンガス家は、己のことでいっぱいいっぱいで、リアスティーンやカデュラに釘付けになっており、全く気付いていない。
「(まぁ……俺は無視されてるくらいがちょうどいいんだけどな)」
ヴォルペールは心の中で片手にポップコーンを乗せ、完全に観客モードに入っていた。
やがて。
エンガス家の三男が青ざめた顔で、縋るように声を絞り出す。
「り、リアスティーン嬢……どうして……」
呆然と立ち尽くすその姿は、まるで処刑台に連れ出される罪人のようで、哀れにも滑稽だ。
「エリィ」
「ん? なぁにリアスティーンさん」
「エディ様は?」
「お父様ならあちらにいるわ! 行きましょう」
「えぇ」
興味が無いとばかりの表情でエリィ相手に微笑むリアスティーン。
「まっ、待ってくれ、リアスティーン嬢!あいや、リアスティーン様、非礼を許してはくれないか……!」
「…………そう」
このたった一言でエンガス家の当主は震え上がった。
「ゆ、許してくださいませんか……」
途端に口調を直し始める。
ヴォルペールは顎に手を置いた。
「(こいつ、ろくに喋れない癖に言葉の揚げ足取りが上手いな)」
普段は、あるいはこれまで罠に嵌めていた最中は、細かな言葉遣いなんぞ指摘もしなかっただろう。
親子のように談笑していたに違いない。だからこそ今の反応は余計に堪えるのだ。
その父親の姿を見て、リアスティーンに微笑みを向けるカデュラ。
そうかそうか。
己を貶めた父親がこうして膝を折り、腰を低くしている姿が楽しいのだな。
「カデュラ……っ」
恨めしげに見上げる視線に気付いているようで、ふと──リアスティーンは足をよろめかせ、手にしていたグラスを落としてしまった。
地面に落ちる寸前。
傍らで控えていたカデュラが、護衛のような身のこなしで即座に魔法を唱える。
「──〝サイコキネシス〟」
小さな囁きにも満たぬ、予兆のない一声。
だというのに、リアスティーンの手から滑り落ちたはずのグラスは、地面に触れる前にふわりと浮かび上がった。
宙を泳ぐように揺らめき、つい先ほどまで握られていた位置へと寸分違わず、戻っていく。
「まぁ! 今彼、詠唱もせずに魔法を使いませんでした?」
「……っ! な、何今の……!?」
「詠唱してない……今の、無詠唱魔法だ!」
「まさか、あり得ない……あれは相談役が最近完成させた、改良版の〝サイコキネシス〟じゃないのか!?」
ざわり、と周囲に波が立つ。
魔法に心得のある者なら誰もが知っている。空間系統の魔法を扱える使い手がどれほど稀少であるかを。
そもそも、従来のサイコキネシスは詠唱時に触れた物も魔力を使って浮かばせるというものだ。
今回リアスティーンが加えた改良は『魔力を持って触れたことがある過去の物』を対象にしたものだ。魔法の改良は偉大な功績である。だからこそ、この国はその発表を注目していた。
感嘆と畏怖が入り混じった囁きが、貴族たちの間を駆け抜ける。
笑いを堪えていた顔ぶれも、今は目を見開き、震える指で口を押さえていた。
その渦中で、ひときわ苦悶の色を濃くする影があった。
「な……何故だ……」
バルサムの喉が掠れた。
己が一度は「出来損ない」と切り捨て、冷たく背を向けたはずの存在が、今この場で、エンガス家の誰よりも『魔法の才に恵まれた者』として証明している。
「なぜ……なぜお前のような者が……そんな魔法を……っ!」
皮肉にも、見切ったその手で自ら未来を潰したのは他ならぬ自分。
その事実が、鋭利な刃となって胸を抉り続ける。
彼にはもう、目の前の輝きを呆然と見上げることしか出来なかった。




