第265話 センス部分は全部人任せでもなんとかなる
ゴーン、ゴーン。
王都中央の時計塔が、澄みきった鐘の音を空へ放つ。
夏に近い夕刻の空はまだ群青には染まりきらず、橙色の名残が石畳の上で金色の光を跳ね返していた。
王城へ続く大通りは、この夜だけの舞台装置と化している。
石畳は水を打ったかのように磨き上げられ、道端の横では街灯の光がゆらゆらと揺れている。沿道には市民が集まり、通り過ぎる馬車を息を呑んで見送っていた。
夜会用に飾られた馬車が列をなし、車輪の軋む音や馬の嘶きが絶え間なく重なり合う。
それぞれの馬車には家紋を刻んだ旗が立ち、汚れ一つなく真っ白に塗られた車体には、金糸や銀の細工が施され、夕陽と燭台の灯りに照らされて宝飾のように輝いている。極彩色の百鬼夜行みたいなもんだ。
城門の警備は戦時中にも匹敵する厳しさだつた。
選ばれた騎士たちが槍を直立させ、来訪者ごとに刻印付きの招待状を丁寧に確認している。それでも、笑顔と礼節は忘れない。王家の威光と品位を示すための、完璧な動作だった。
エンガス家の馬車が石橋を渡り、城壁に囲まれた中庭へ足を踏み入れたとき──思わず息を呑む。
噴水の水は魔法で金色に輝き、宙に舞う花弁が淡く光を放っている。庭の両脇にはシャンデリアにも劣らぬ輝きの灯柱が立ち、音楽隊の奏でる弦楽が微かに夜風に混じって届く。
「これは……、デビュタントパーティ所の話じゃないな」
室内も凄かった。天井からは幾つもの巨大なクリスタルシャンデリアが垂れ下がり、まるで流星群が室内で止まったように煌めいているのだ。
床は鏡のように磨き上げられた黒大理石で、女性客のドレスの裾や宝石の反射を何十倍にも増幅して映し出す。あちこちできらきらと光が跳ね、目がチカチカする。慣れない人なら、三分で目が疲れて涙ぐむレベルだ。
あまりの規模にバルサムが低い声で唸る。
城内から漏れ出す香水と花の香り、シャンパンの弾ける音、笑い声と拍手。
そのすべてが、この夜がただの社交界デビューではなく、戦後初の大規模な戦勝祝賀であることを物語っていた。
「大規模ですね、父上」
「貴族のほとんどは招待されているかもしれないな」
バルサムが腕を組みながら人波を眺める。
そこにカメリアが首をかしげた。
「でも……見ない顔がいくつかありますよね?」
子爵とはいえ、この国の社交界を長く渡り歩いてきた者なら、ほとんどの顔ぶれは知っているはずだ。
ところが、ちらほらと耳慣れない姓や、服装や仕草が微妙に違う人々が混ざっている。
しかも今日は珍しく、パーティに必須のパートナー指定が無かった。
そのため、独りで来る者、友人同士で固まる者、果ては侍従をパートナー代わりに引っ張ってきた強者までいる。エンガス家も実際家族だけでやってきたのだ。
人の海に紛れれば、隣が誰であろうとあまり気にならないほどの密度だ。
「──恐らく、元トリアングロの貴族だろう」
これが最大の理由である。
「なっ、トリアングロが!?」
「馬鹿者、声が大きい。……敗戦国にも投降した貴族も一定数いるだろう。二つの国が統一されたのだから、全ての国民を処刑する訳にはいかんだろう」
「なるほど、言われてみれば確かに……」
「それにしても不思議ね、トリアングロの貴族は、なんというか……弱々しいわ」
カメリアの発言にバルサムは頷く。
確かに彼らは背筋も伸びず、笑顔もどこか引きつっており、グラスを持つ指が妙に細い。
戦争国家、野蛮な国の者。物理負け無し。そのイメージが先行しているせいか、弱々しいトリアングロの貴族に違和感を抱いた。
「それよりもあちらを見てみなさい。エルフの方々がいらっしゃっている」
「エルフが……?なんてことだ!」
お近付きにならねばならない。これは新しい伝手を手に入れるチャンスだと、魔法家系の彼らは楽しそうに笑みを深めた。
そんな噂話に花を咲かせていた最中──場の空気を一瞬でさらう声が響いた。
「リアスティーン・ファルシュ様のご入場です!」
呼び上げられた名前に、ホールの視線が一斉に扉へと集まる。
デビュタント。社交界という大海原に、今日初めて漕ぎ出す記念すべき瞬間だ。
緊張して背筋をぴんと伸ばす者、笑みを浮かべて祝福を送る者、口元をにやりと歪める貴族たちも混ざっている。
エンガス家は顔を見合わせ喜びの表情を浮かべた。
未来の娘、未来の妹、未来の伴侶。
期待を胸に、全員が同時に扉へと顔を向けた。
──そして現れたのは、真夏の陽光を抱きしめたような少女だった。
金髪はゆるやかな癖があり、光を受けてふわりと揺れる。髪先にまで淡い輝きが宿り、動くたびにまるで小さな金の羽が舞っているかのようだ。
黒目は黒曜石のようにつややかだ、見返せば吸い込まれそうだ。笑みを浮かべるでもなく、かといって硬くもない。絶妙な柔らかさをまとった表情が、彼女の歩みに浮世離れというイメージを押し付けていた。
その身を包むのは、白銀を基調に、水面の揺らぎを思わせる水色と、芽吹く若葉を思わせる淡い緑が差し込まれたドレス。夏を感じるような爽やかでありながらも、布地をふんだんに使った豪華なドレスだ。
妖精が絵本から飛び出たかのような、キラキラと輝く。なんか、そう、めっちゃキラキラ。
真っ赤な宝石が耳元に控えめに揺れている。白と水色と緑の世界に、たった一滴落ちた情熱の赤だ。人々の視線は自然と吸い寄せられた。
「美しい……」
誰が口にしたのか、わからない。だが全員の心の声は一致していた。
そして同時に、自分たちが財布をひっくり返して拵えたドレスが、一瞬で親戚の結婚式に着ていくような無難なワンピースに見えてしまったのも事実だった。
目が奪われていたのは一分か、二分か。もしくはもっと長い時間だったのかもしれない。
はっ、と正気に戻ったモカラは、リアスティーンの横に控える白銀の騎士に気付いた。
そっと手を添え、エスコートをしている。
「……カデュラ?」
妖精のような可憐なリアスティーン。そんな彼女をエスコートしているのは、16年前に家を出ていった、出来損ないのカデュラ・エンガスだった。
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「無理無理無理無理!!」
時は数刻前。
そんな妖精のなり損ないは真顔で王妃に直談判していた。
「聞いてなき! 聞いてなき! こんな人くること! ご存知無きです!!! やだぁ! 帰る!!」
「観客は多い方がいいと思って〜。ほら、うちの国の恩人なんだから、戦争勝ったよ会みたいにしようと思って」
「祝賀会!! 王妃様!? 王妃様無視禁止ですぞり! ライアー助けるすて!!」
「あそこの壁あるだろ。──あそこに向かってリィン蹴り飛ばした所」
「うんこ野郎がよぉ!!!!!」
扉の向こうで胃痛と共にギャン泣きしながら。
ところどころ描写力尽きてますが許してください