第263話 片道切符
「──当主様、招待状が届きました」
静かに扉が開かれ、執事サンバンが恭しく頭を下げる。その手には、分厚く装丁された一通の封書があった。
広間の奥、安楽椅子にもたれたモザブーコ男爵は眉ひとつ動かさずに言い放つ。
「くだらん。どうせ場違いな下級貴族の饗応だろう。余に持ってくるなと何度言えば──」
言葉の途中、ちらりとサンバンの指先に目が止まる。
──白銀の封蝋。王家が使う、特別な紋章が、そこにあった。
途端に彼の表情が変わる。のそりと椅子から立ち上がり、足早にサンバンの手元へ歩み寄る。
「……これは。紋章こそはファルシュ家だが、王家の蝋を用いてる。本物か?」
「はい。拝見するに、正式な文様かと」
「貸せ!」
がさりと乱暴に封筒をひったくり、中を開く。羊皮紙の上質な香り。淡い銀砂で縁取られた招待状は、たしかに本物だった。
中身を確認すればファルシュの末娘のお披露目を、王城で執り行うというのだ。
モザブーコの目がぎらりと光る。戦後初の、本格的な社交の場。その利点を察した。
まだ流通こそしていないが、例の薬は完成している。魔力による治癒ではない。純粋な体力の回復に特化した新薬。もちろん麻薬入りだ。うまく売り込めれば、貴族社会での地位も跳ね上がるかもしれない。
「サンバン! 息子たちを呼び戻せ! 衣装も新調だ。試作品も運び出せ! 大舞台の幕が上がるぞッ!」
背後で控えていたサンバンが、かすかに眉をひそめた。
──まるで、自分が主役であるかのような振る舞いだった。
それでも忠実なサンバンはただ静かに頷く。モザブーコはすでに満足そうに椅子へ戻り、再び羊皮紙を撫でながら、何かをぶつぶつと唱えている。
その顔には、不安の影も、警戒の色もなかった。
まるで、自分が断罪されるなどという未来など、想像すらしたことがないとでも言いたげに
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昼下がりのサロンに、香り高い紅茶と薄いバターケーキ。
この上なく優雅な家族の午後は、ひとつの来訪者によって中断された。
かつてはそれぞれの職務で家に揃うことなど稀だったが、近ごろは違う。戦後の再編と新設された制度、そして宮廷相談役が行った魔法改良のおかげで、仕事の数も減り、家族の時間が増えた。──良くも悪くも。
そんな穏やかな午後を破ったのは、軽やかな足音と共にサロンへ駆け込んできた若い侍女の声だった。
「当主様! ファルシュ辺境伯家より招待状が!」
その瞬間、空気がぱっと張り詰めた。
カメリア夫人がゆっくりとティーカップを置き、メイドの手から封筒を受け取る。
封蝋は王家の紋章、純白に輝く銀の紋が、陽光にきらりと光った。
「リアスティーン・ファルシュ様のお披露目……王城で?」
「しかも、婚約者の存在を仄めかしていると……!?」
「これって……私でしょうか!? いや、私ですよね!?」
「……落ち着け、まだ確定はしてないぞ」
バルサムが苦笑しつつも、どこか嬉しそうな目で息子を見た。
だがその笑顔の裏側で、財布の中身の計算を始めていた。
「衣装を新調しなくてはならないな」
当たり前だ、社交界では同じドレスや礼服を着回しては、金が無いとアピールしているようなものだ。
この機を逃すわけにはいかない。ファルシュ家との縁が確かなものになれば、モカラどころかエンガス家の将来は安泰だ。
リアスティーン嬢と親しいという事実ひとつで、家は持ち直せる。
未発表曲の新薬もある。回復薬。流通の道を探っていたところだ。
あの場で噂になれば、あっという間に注文が入るだろう。……入ってほしい。
「切り詰めて、切り詰めて……馬車を一台売れば足りるか?」
独りごちるようにバルサムが呟く。
「あなた、だめですよ。売るなら宝石か書物です。馬車は見栄えに使いますから」
カメリアが即答した。
「それにプレゼントも用意しなければなりませんよ」
「他の招待客がどれほどいるかは分かりませんが、見劣りしないようにしなければ」
家族の足並みは揃っていた。
かくして、エンガス家は静かなる決戦に挑むことになった。
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「地獄へようこそ〜。なーんちゃって」