第212話 リアスティーンとヴォルペール
春。それは新しい季節。
季節の節目が春なのはこの世界でも変わりなく。穏やかな気候、晴れ渡る空、鳥のさえずりに花の香り。
そんな新たな命が芽生える中。クアドラード王国の王都スィリディーナのアリストクラット学園という、リィンの語彙力を破壊する気満々のその場所で、新たな学生達が期待と思惑を胸に教師を見た。
「じゃあ。まずは、この学園の目的を話そう」
レイジ・コシュマールは教壇に立って生徒を見回した後、小さく息を吸い込んだ。
「(やっべぇぇぇぇぇやべぇやべぇ、死ぬほどやべぇ!)」
本名、アーベント・グーフォ。元トリアングロ王国空軍幹部〝梟〟だ。
最終戦争でトリアングロ陣営だとバレる前に戦争が集結したせいで、にっちもさっちもいかなくなった不憫な男である。
なお、片腕はトリアングロの作戦で切り落とした。
「(やばい、やばい! 嘘を見抜けるヴォルペール第4王子がいるってのに、そんな生徒の担当教師赴任かよ!! なんっで騎士退けられた! 片腕だからですね分かります!)」
心の中で血涙大放出である。出血サービスも大概にしろ。
「(最前列やべぇだろーーー!! 王子にあのロークの娘、それと互いの従者! やべぇしか無いだろ!)」
あれ、おかしいな。胃がキリキリする。
グーフォは小さく涙を流した。
「(幸い、不幸中の幸いがロークの娘が病弱であるって事。化け物じゃなくて本当に良かった、王子にだけ注意を注げる)」
張り詰めた笑顔でグーフォは説明をしながら焦りを吐露する。吐き出してはないし飲み込んだのだが。
結託されるとまずい組み合わせであることは確か。せめて権力を分けろ。いいや侯爵及び公爵家がこの教室に振り分けられなかっただけマシだけども!
「(楽に……楽になりたい……! トリアングロが敗北したのは思う所があるが、長く続いた戦争が終わったのはいい事なんだ。だが、俺がこのままどうにも動けずクアドラードにいるのはおかしいだろ! 早く! 俺を! 見つけろ! スパイここにいますよーーーー! まぁスパイ元の国、滅んだんですけどね!)」
グーフォは空を見上げた。
敵国に見つからない俺、優秀すぎて辛いな。泣いた。
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穏やかな笑顔を浮かべた元騎士らしい先生の説明を簡単にまとめると。
『学園は人脈重視です』『学内で身分による権力差は存在しません』『先生は家関係なく敬意を持って接しましょう』と、言った感じ。
自分なりに噛み砕いて考えた結果。これらの中で一番重要な項目は──身分差無し。
これは学園内であって、学園外では適応されないの。そして身分差は無いが、身分の高い者に取り入るにはきちんと好かれないようにしないとね。卒業したら大変な事になる。
俺は王子と同レベルなんだぞ! って身分差が無いから威張り散らしてもいいけど、卒業後は身分差あるんだから。分かってるだろうな? って事。馬鹿は身を滅ぼすだろうなぁ。
「では次は授業に関しての説明だ」
先生はさらに説明を続ける。
「授業は選択制。毎日2時間は必須科目が入っている。その日により座学か実技か決まる。皆さんがどの授業を選択するかは自由だ。必須科目だけでもいいし、それぞれの得意分野を伸ばすのもいい。ただし、授業は毎週ランダムに決まる。選択科目の時間までは好きな所で時間を過ごしていい」
ここがこの学園の怖い所だよね。
重要なのは授業の時間じゃない、授業の無い時間。その間にどれだけ人脈を広げられるか、が重要になってくる。自分の実力を上げたいのならば授業をいくらでも取ればいいが、今後の人脈に影響を受ける可能性がある。
「寮に関しては男子寮と女子寮のふたつ。互いの寮へ入るのは禁止、寮外へでの外泊に特に許可は必要無いが、門限は音無しの鐘。つまり、時刻に直すと夜中の0時だ」
鐘の音は時間を知らせる。
時計という物は存在するけれど、庶民には存在しないから鐘がなる。
朝の鐘が6時、昼の鐘が12時、夜の鐘が18時。6時間周期だ。
そして6時間周期の中で、鐘の鳴らない時間。それが音無しの鐘。0時だ。
「以上、何か質問はあるか?」
予め家で説明されてある、もしくは幼少学部から学園生活をしている者が大半であるため、手は挙がらない。
そう、この学園。幼少学部と中等学部がある。ふたつの学部は入学自由。
学園の義務教育は高等学部だけなのだ。
前世と真逆なのには理由がある。ここが貴族のための学校だからだ。貴族は家で家庭教師とか十分に雇えるから。
「では、今日はここまでにしよう。入寮の準備が必要な方も居るだろう。一週間は特別授業でだが、来週からは通常授業に変わる。それまでに選択科目の提出を。それでは、ご機嫌よう」
チリン、と教卓に置かれたハンドベルを鳴らすと、先生は急ぎ足で教室の外へ向かった。
あのハンドベルは時間の区切りに鳴らす様だ。要するに、今から放課後。
「リアスティーン様、このあとどうなさいますか? 早めに寮に戻って休まれますか?」
「……えぇ」
学内を見回って見たかったけど、倒れた直後であることを考慮してヴィシニスの言葉に頷く。
「ヴィシー、ちょっとまっ、」
「ヴォルペール殿下! 戦争でのご活躍、耳にしましたわ」
「流石殿下ですね、僕も見習いたいと思います!」
「さ、行きましょうリアスティーン様」
「ヴィシー!?」
ヴォルペール殿下とお近付きになりたいクラスメイトが詰め寄る。殿下の従者がヴィシニスに声をかけたけど、普通に無視したな。
「あぁ、皆さんすみません。少し道を開けてもらってもいいですか?」
ヴォルペール殿下が声を出した。
優しい声色だ。本当に主戦場で戦った男なのだろうか、と考える。
「失礼、ファルシュ嬢」
「……!」
その殿下は、私に近付いて声を掛けた。
「ヴィシー、なんで無視するんだよ」
「蛆虫に興味はありませんので」
「いや俺もお前には微塵も興味無いけど」
あそこの兄妹のやり取りえぐくない? 私だけ?
そう思ったけど他の人たちもそう思っていたらしい。
「……ご機嫌よう、殿下」
「ご機嫌ようファルシュ嬢」
目が合う。
「……?」
「…………?」
そしてお互い、疑問符を浮かべた。
すっごい、なにこれ、違和感すごい。
なんだろう、モヤモヤすると言った方が正しいのかな。
「(リアスティーン・ファルシュ嬢。噂に聞いていたが、病弱なのは本当っぽいな。だけど、なんだろうこの感覚)」
こいつ。
「(こいつ)」
目を離さないまま私たちは思考を凝らした。
「(猫かぶってるな)」
──偽物臭い笑顔だ。
「殿下? 大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。私はヴォルペール・クアドラードと言います。お会いしたかったですよ、従妹ですからね」
「えぇ。私はリアスティーン・ファルシュ、よろしくお願いしますわ」
語彙力の無い私に公衆の面前で会話を求めないで欲しい。
語彙パターン10個も無いんだよ!
あ、そういえば殿下のエルドラードの名前知らないな。
そんな気持ちを込めて視線を向けると、気さくな笑顔を向けてきた。
「あ、自己紹介が遅くなりましたね。今後とも深いお付き合いをしていくでしょうし、是非俺の事は覚えてくださいね」
そして殿下のエルドラードは、名前を言った。
「──クロロス・エルドラードと言います」
「ゲホッ!? ゲホゲホッ、ごほ……」
思わず吹いちゃったし噎せちゃったよ。
その名前、めっちゃ知ってるーーーー。
クロロス。
それは王都で出会った冤罪最中の私の監視役。
っていうか私の記憶の中にあるクロロス、黒髪じゃなかった!? そもそもクロロスってヴォルペール殿下の従者なの!?
「リアスティーン様大丈夫ですか!? ……クロロス」
「何もしてないんだけど!? え、ファルシュ嬢大丈夫ですか?」
ちょっと激しく動揺しただけなので大丈夫です。そんな気持ちを込めて頷いた。
「申し訳ございませんわ」
お気になさらず、という思いを込めて笑顔を浮かべる。心配そうな表情を浮かべていた殿下は、その表情と雰囲気を戻した。
「それで本題なのですが……えーっと、体調さえ良ければ場所を変えて話をしても?」
「……!」
ピンと来た。
これ、国王陛下だな。
他の貴族には漏らせない話題で、ここ最近リアスティーンが王族と関わる理由って言ったら、婚約命令しかない。
私が気付いた事に気付いたのだろう。ヴォルペール殿下は小さく目を見開いたあと笑みを浮かべた。
「えぇ」
私が頷いて肯定すると殿下は手を出した。エスコートらしい。
私は無言で手を取った。
「少し歩かせるかもしれません、体調が優れなくなったらすぐに言ってくださいね」
「えぇ……。申し訳ございませんわ」
「お気にならさず」
私の貴族生活、なるべく目立たないで行きたい。
婚約者を見つける必要も無くなったし、シンクロ家に嫁いだ後、家が栄える必要も無いから人脈増やす必要無いし。
ありがとうライアー! 今だけは感謝する!
一緒に家を滅ぼそうね!
……大前提、ライアーが婚約を受け入れればの話だけど。
「それでは皆さん、さようなら。また明日お会いしましょう」
「ご機嫌よう」
私達は同学年の男子生徒ナンバーワンと女子生徒ナンバーワンって所。そんなふたりに挨拶されたら返さない訳にも行かず、クラスの生徒は挨拶を返した。
言葉の制限って厳しいなぁ。自然と無口になってしまう。
無言のまま廊下を進む。
学園の地理も把握しておきたいけど、優秀なシュランゲの事だ、寮の部屋の準備を完了させ、地図や情報を手に入れてくれている事だろう。
「……ここでいいか」
殿下が小さく呟いたのは空き教室だろう。
クロロスとヴィシニスが同時に扉を開こうとして睨み合った。
「「……はぁ」」
思わず同時にため息が出る。
「どうぞお2人とも」
「あぁ。すまないなエルドラード」
心の中ではギクシャクと殿下のエスコートに従う。教室と言うよりは談話室の様だった。殿下は私を椅子に下ろした後、正面に座った。
ヴィシニスが部屋の鍵を閉めている。
「すみませんね。倒れたばかりだと言うのに」
「いいえ……」
「さて、本題……と行く前になんですが」
ヴォルペール殿下は訝しげに私を観察して、口を開いた。
「私とどこかで出会ったことはありませんか?」
一昔前のナンパかな?
「本来は覚えて然るべきなのですが、幼少期などは記憶も危うく。ファルシュ嬢とどこかで会ったことが……あるような気がして」
その苦悩は本当なのだろう。
私はリアスティーンとしては表に出たことが無いから会ったことが無い一択なんだけど、小さい頃からリィンとして屋敷抜け出してたからな……。
まぁ、多少嘘ついててもいいや。
リアスティーンとして会ったことは無いんだから。
「いいえ、申し訳ございま」
……その瞬間、こちらを凝視していたヴォルペール殿下の青い瞳の瞳孔がキュウッ……と細くなっていた。
「……ッ!」
反射的に上半身を仰け反り、防御魔法を貼る。
「……! へぇ、なるほど」
殿下は精神魔法の類いを使える様だ。しかも、無詠唱。
「殿下。何やったんですか」
「まぁちょっと。失礼ファルシュ嬢、私の魔法は制御が難しいものでして」
あぁー、なるほどね。そういう感じか。
「あ、そうだファルシュ嬢、妹がお世話になります」
「殿下、愚兄がお世話になります」
「俺結構殿下のお世話してる方だからちょっと黙ってヴィシー」
「リアスティーン様、この男は無視しても構いませんから」
「ファルシュ嬢、この女の言うことは気にしなくていいですから」
兄妹のやり取りに思わず微笑む。
「体調が優れない様ですしたら……。話はやはり後日に……」
ん? 待てよ?
今、既視感の正体に気付いた。
クロロスがそばにいる黒髪で。
……綺麗な、湖の様な、碧眼。
嘘を見抜けることが出来る魔法を使う時は、集中力が必要で、覗き込んだ碧眼には見覚えがあって。
──ガタリ。
「ファルシュ嬢?」
え、嘘だ。ちょっと待って、待ってちょうだい。
これは一種の賭け。ボロが出るし貴族令嬢としては致命的。だけど私は確信していた。
込み上げてくる言葉を、私は心のままに口に出した。
「ペイン!!!???」
殿下は呆然とした後少し考える素振りを見せたあと……顔を驚愕に染め上げて立ち上がった。
「リィン!!!???」
そして互いに指をさしあった。
「──騙したな!?」
「──騙すたな!?」
お互いが正体を確信して、責任転嫁をした。
街で出会ったCランク冒険者の正体は、クアドラード王国の第4王子でした。
………………いやそんなことってある?
「ああぁぁぁぁぁぁ嘘だろまじかよ嘘はついてない」
「うぇぇぇえなにゆえ、えぇ、有り得ぬ。そのガラの悪さで王子とか詐欺!」
「その言語で貴族とか詐欺はどっちだよ!」
アワアワと混乱したまま手を伸ばすとペインは私の手を握った。
顔をじぃっと観察する。先程の穏やかな王子様フェイスと違って猫が逃げ出したその姿は、ペインとよく似ている。
驚くと瞬きが多くなる所も、手を握る時親指から曲げる所も、体温も、身長差も。
「え、ほんとにリィン?」
「私の言語って唯一無二の証明だと思うませぬ?」
「思うわ」
「でしょ」
思わず真顔で言ったら真顔で返された。
「えっ、もしかして、黄金の君……」
「クロロス、リアスティーン嬢」
「リアスティーン嬢……」
その言い方だけはやめろ。本当にやめろ。
驚いたクロロスの横で混乱しているのがヴィシニス。嘘だ瞳孔がん開きで私たちを見ている。さながら興奮を抑えるように。
「えー、リィンってリアスティーン・ファルシュだったの?」
「そうですぞ。ペインこそ第4王子?」
「そうそ…………え、待って、めちゃくちゃ面白い事になってんじゃんリィン。あっだめだツボに入っ、ブホッ!」
「でーんーかー?」
急に笑い始めてお腹抱え始め出した。
過呼吸気味に笑っている。
この野郎。何に思い当たったのかすぐに察した私の頭脳が憎い。私でも笑うんだもん。
「ヴぃち、びしに、うーん。私のエルドラード」
「え、はい、私ですか」
「ヴィシー猫かぶるなよ。リアスティーン嬢聞いて、こいつ普段僕っ子なんですよ」
「クロロス」
「殺気立つなよ」
ヴィシニスに私は指を立てた。
「内緒、ね? 約束」
「拝命しました」
さて。
私は未だにツボに入っているペインを見下ろす。ふと、ペインと出会った時のことを思い出した。
そういえば初見で女狐の情報探られて、嘘ついてるのがバレて、断定してはないけどほぼ確定で女狐の事バレてたなー。というか王子だったんなら私の冤罪くらい庇ってくれても良かったのに。おかげで第2王子の事で巻き込ま……れて……。
「ペイン冤罪の真犯人!? 女狐の情報ぞ知るのお前しかいねーんだよわざとですぞね!?」
「あ、今気付いた?」
「殴るぞ」
「品行方正の王子様で通してるから勘弁して」
わかった、後で殴るね。
私は椅子にボスンと座った。テンションが急展開過ぎて非常に疲れた。
「なぁ、病弱ってのは」
「私とっても病弱デスぞ」
「あっなるほど」
嘘を見抜いたのでペインは勝手に納得した。
「それでさリアスティーン」
「なぁにヴォルペール?」
他人行儀な呼び方から変わって名前呼び。それに呼応した私に向かって、ペインは肘をついて顔を突き合わせた。
「お前、ライアーと結婚するらしいじゃん?」
「んぐっ」
ペインは私の反応が面白かったのか揶揄う様に子供っぽい笑みを浮かべる。
「リアスティーン嬢とルナールの婚約、ならどうでも良かったんだけど。リアスティーンがリィンなら話は別。めっちゃくちゃ、面白いじゃん?」
「具体的には?」
「ライアーの反応」
……。
「否定、不可避……っ!」
怖さ半分、愉快半分。
揶揄ういいネタが出来たのは出来た。めちゃくちゃ楽しみではある。
「さ、本題に入ろう。リアスティーン、国王陛下に会ってもらう」
「あぁ、命令ぞ頂戴する感じ?」
「そういう事。話が早くて助かるよ。……貴族ってのは嘘じゃないんだなぁ」
「まだ疑うすてたの!?!? 貴族の学園で話すておきながら!?」
「ぶっちゃけ」
素直で結構。お前、本当後で覚えとけよ。冒険者のペインには容赦しねぇぞ。
「戦争の経緯の説明と、後ライアルディ・シンクロ子爵の正体とか、監視役としての命令とか、そういう感じ。俺経由で呼び出す形だったから、今日は倒れた後だしって思ったんだけど」
「原因は胃痛」
「ならよし。行けるな?」
私は少しため息を吐いた。
「ペイン、私、言語駄目でしょう?」
「うん」
「学園生活、助けるすてね」
「いいけど、代わりに俺のことも助けろよ?」
「…………。」
「おい無言」
私は顔をパシンと叩いた。
「大臣さんの子供である2人に本性ぞ知られるすた訳ですし、そこ経由で大臣さんに話がゆく前に……」
私は、忍びくる胃痛を抑えながらペインと笑いあった。
「ネタばらし、と行くしましょうか」
もう隠すことは無理なので国王陛下にぶっちゃけに行きます。
それにしたってペインが王子は流石に詐欺でしょ。