第198話 遅咲きのカーネーション
かつ、かつ。
階段を登る。
目の前に見えるのは重厚で、威圧感もある謁見の間への扉。クアドラード王城と違い、黒く重苦しい。
曇り空の夜は、暗い。壁に飾ったロウソクがゆらゆらと影を揺らめかせている。
「…………。」
この奥に、ルナールは居ない。
いるのは国王。きっと、ただ一人。
近付けば近付くだけ、扉が大きく私に覆い被さる。
私はそっとその扉に触れた。
〝サイコキネシス〟
魔力消費のでかい空間魔法だけど、やっぱり便利だ。
円卓の場所よりもずっと重たい音を立てて扉が開かれる。
赤いカーペットの敷いてあるだだっ広い空間の最奥で、気配なんて分からない私が気付く程の存在感。
玉座で足を崩し、膝掛けに肘を置いて男が私を見下ろしていた。一挙一動、それら全てを見られている。
「よく……ここまで来た」
「っ」
瞬時に胃がキリキリと音を上げた。ちょっと早すぎませんかね。胃痛さん。
このプレッシャー、正直きっっつい。なんだこれ。自然と手足が震える。
こんな、化け物に会うとか、私正気? 最早魔王とかラスボスじゃん? いやラスボスだったわ。
「トリアングロ王国、国王、フーガだ。愚かな敵対者、その勇敢さに免じて名を聞いてやろう」
「……。ただのFランク冒険者リィン、です。この場に身分も、地位も、名誉も、生憎釣り合う様な肩書きは持ち合わせるすてません」
「ほう?」
真っ黒な男、トリアングロの最上位が私をずっと見続ける。小娘だと油断もしてくれない。
「なら名乗り直そう。俺はフーガ。ただの、人間だ」
フーガは玉座から立ち上がり、雑に転がされてあった武器を手に取ってトン、トン、と段を降りてくる。
「この戦争の行先に、お前は何があると思う?」
「先に、ですか?」
「あぁ。俺たちは降参をしない。勝者か敗者、終幕をいつ迎えるのか一切予想出来ない戦争を仕掛けた。支配者となるのがクアドラードでもトリアングロでも、はたまた両国が滅ぶでも、俺たち2国は既に一蓮托生! 引き返せない位置にまで来た。運命で、宿命だ」
トリアングロの支配者は口角を吊り上げながら降りてくる。
トン。トン。
変わることの無いリズムが私を追いかける。決して逃げてるわけじゃないのに。
「一体偽りだらけのこの世界を、俺たちはどう過ごす?」
その問いかけに、私は応えた。
「別に、何もないんじゃ無きですかね」
怖い、強い、怖い、逃げたい。
拳を握りしめて体の震えを誤魔化した。
「人間って、もっとしぶときでしょ。暮らせぬ場所で暮らすことを可能にする知恵も、技術も存在する」
確かに環境が変わって肌に合わない人も沢山いるだろう。水の質が違ったり、気温が違うだけで体調を崩す軟弱な生き物だ。さもありなん。
「適応するぞ。人は、必ず。それが当たり前だといわんばかりに」
「……ほう、随分確信した回答だな」
私は確信している。
カナエさんはまだ適応出来てなかったけど、私は記憶も無かったから魔法のある世界に適応出来た。魔法のない異世界からの来訪者。段々、少しづつ、人は慣れていく。一歩ずつ、混乱しながらも確実に。私はそれを知っている。
「だって、人に魔石があるという真実を受け入れる事が出来たのでしょう、人間は」
「…………? どういうことだ? 俺は認めちゃいない。世界が妄想で隠し込めた魔石を、俺たちは受け入れることなく拒んだ。魔石の影響たる魔法を拒んだ」
「そこですぞ」
地動説、天動説。真実と事実は違う。人は自分達の暮らす星が動かず空が動いているのだと言う事実を胸に生きていた。空ではなく、太陽を中心に星が動いているのだという真実を知り、拒否し、そしてそれでも受け入れた。
「この国は、魔法を殺すために魔石を封じているでしょう。ご存知? それ──現実逃避っていうです」
「……!」
「現実、つまり真実だと知っているって事です。鎮魂の鐘が魔石を秘密にするのもきっとこういうことでしょう。『魔石があると認識出来たから隠す』」
隠すってことは、問題点が浮き彫りにならないと出来ないことだ。
トリアングロの国王は眉間に皺を寄せて私の一言一言を取りこぼさないように足を動かしていた。
「それと」
私は『人に魔石がある』と聞いた瞬間、ひとつの疑問が浮かんでいた。
「──魔石が存在する事を人間の常識だと認識させなかったのは、一体誰?」
初めからそこにあったんだ。この世界の人間の体に。
本物の人間は心臓の存在しない人型の生命体だったのだ、なんて言われて、私達は納得出来る?
違うんだよ。違うんだ。
この世界にとって、普通なら魔石も込みで人間だと認識出来るはずなんだ!
猿と人間が同じ括りなのに違う存在だと認識されるように。理性や知性なんて曖昧な区別で人間という定義を得たんだ、私達は。
まるで『魔石の存在しない人間が魔石の存在する生命体に人間の常識じゃない』と認識してしまったかのように。
シラヌイ・カナエが、人に魔石があるということに驚いたように。
「貴方達は、そして私達は。魔石が存在し魔法を使用するが可能の人間である、と。本当なら思う筈だった。なんの疑いもなく」
私は軽く息を吐く。
王は、歩みを止めピタリと私と同じ高さに立った。視界の高さは違うけれども。
「魔石の無い世界が当たり前の世界で。魔石が存在すると受け入れるすたからこそ現実逃避で魔石を隠すしている。それって、適応すたって言えるでしょ」
真っ黒な眼光が私を縛り上げる。
笑え、臆病者。弱さを、隙を見せるな。
「……ふ」
長い沈黙を破ったのは、向こうの笑い声だった。
「ふははははっ! 成程、成程な。理解出来る。……確かに人は適応した。だが納得は出来ないな」
「……。」
チッ。
心の中で舌打ちをする。
魔法を無くすために戦っているトリアングロから、無意識下で魔石があることを認めていると納得させれば戦う意義すら消し去ることが出来ると思ってたけど、そんな簡単にはいかないか。
「リィン」
王は私の名を呼んだ。
「ひとつ、俺はお前に礼を言わねばならん」
「へ?」
真剣な顔をした一国の王が、突然私に向かって頭を下げた。
「っ!?」
予想もしてなかった行動に私は慌てまくって挙動不審になってしまう。え、何、その首切り落とせばいいってやつ!?
私の混乱を余所に、目の前の男は頭を下げたまま口を開いた。
「ルナールを、人にしてくれて感謝する。ありがとう」
思考回路が止まった。
「は、……ぇ、なん、何で」
稼働しようと言語を探して、呼吸に似た音が溢れ出る。
ようやく王という立場にいる男は頭を上げて、躊躇いを感じさせながらも言葉を紡ぎ始めた。
「…………。ライアルディは昔から、効率的な子供だった」
「え、らいありゅりーって誰です?」
──まぁその瞬間私がストップをかけましたがね。
「ルナールのこ……いや待てお前まさかルナールの本名を発音出来ない所か知らなかったのか?」
「名乗られるすた覚えなきですぞ!? あと四文字以上の名詞は論外」
「ろんがい」
言語能力が論外であることくらい報告で知ってんだろ今更カマトトぶんな。
やる気が削がれた、と言わんばかりに大きなため息を吐き出すと、続きを口に出す。
「ルナールはな、機械的というか……。効率のいい方や無駄の少ない方を選ぶ節がある」
「……?」
想像出来ないような、しっくり来ないような。
トリアングロに来てから徹底的にルナールと出会えてないことを考える納得は出来るか。
「努力を無駄にすることを極端にまで嫌う。迷いも情も何もかも元から持ってないように。普通、親を亡くし親切にしてくれた従兄弟を殺すことに……躊躇いくらいはあるだろ。ルナールに、それは無かった。ただ淡々と、『幸せにな』と願った従弟を眉ひとつ変えずに殺し、そして『今日からルナールとなりました』って挨拶するような男だ」
それは人の心が無い。
流石に揺れ動け。
「その妙に人間味のねぇ所が、俺は一個人として心配していた。国にとっちゃ感情に振り回されねぇ兵士は大歓迎だ。だが俺たちは人間。迷う事こそ理性のある人間だ」
だが、と困った様に、仕方ねぇなと呆れた様に王は笑った。
「お前が此処に来る前にルナールが現れた。人らしさがなかったルナールが、一体俺を前にして何を言ったと思う」
私が答えを予想する前に王が答えを言った。
「『──トリアングロと幹部の地位を裏切るという事は、生まれから今までやってきたこと全てが無駄になると理解した上で、言いたいことがある』」
ルナールと同じ色をした瞳で、私と同じ色をした瞳で。私を捉えながら王は言葉を続ける。
「『俺はリィンと離れがたかったんだと自覚した』……だとよ」
「…………ライアーっ!」
なにそれ。
そんなのって。
「あいつは覚悟決めた面をしていたな。ルナールの主張を簡単にまとめると、『この感情は裏切りだから罰しろ』って事だ」
心から、色んな感情が湧き上がってくる。
私はこの感情の名前を知っている。
「裏切り行為ではなく、己ではなくお前に傾いた感情を持って、罪だと認識した。不器用だよ……」
今までも、変わらなかった感情。
そう、これは……。
「──あのどぐされうんこ野郎自覚が遅せぇんだよ変な所で義理通すな大迷惑ぞボケッカス」
怒り。
「……そう来たかぁ」
力の抜けた声が聞こえてきた気がしたけどきっと気の所為だろう。
せめて! 自覚するなら! 再戦宣言前に! しろ!
主にお前のせいでクアドラードは大変なことになってるし私が大変なことになってるのは徹頭徹尾お前のせいだからな!!!!!!?????? この自分本位国出身者め!!!!!!
「いやまぁ俺ももっと賢く生きようぜ何不器用な生き方してんだよとは思ったが」
「それな!」
完全に同意を示してしまう。今、心の距離が縮まった。
「ルナールは今、お前らがいた牢屋で罰を受けている。さて、ここで問題だ。……トリアングロの国王たるこの俺が、子も同然の幹部に手を出され、手篭めにされと恨みつらみ溜まった敵国の女を、易々と逃がすと思うか?」
見逃して、は、くれなさそうだな。
「俺たちは魔法に怒っている。魔物を嫌っている。魔法に苦しんだ。嫌いなものが一致している組織ってのはな、強いもんだ。目的がふわふわしているクアドラードよりずっとな」
敵は武器を抜いた。
鞘から取り出したのはここらでは早々見ない武器。細く、軽く、しかし片刃のついた鋭い切れ味の……刀。
「戦争に、戦いに勝つのは強さでも戦略でもねぇ。──勝つのは、意志の強さだ」
揺るぎない強さを持ったこの国のトップ。
私は口角を上げて好戦的に笑ってみせた。張り合うように。釣り合うように。そして自信を持って。
「私の意思は、出会うすた頃から変わらぬぞ。ずっと、ここまでずっと同じ意見。何がなんでも、ルナールを……ライアーを殴る。その意志の強さは絶対誰にも負けぬです」
「はっ、ほざけ! 心してかかれ、俺を前にして刃を砕くなんて真似をしてくれるなよ!」
「上等っ、その奢り上がるすた顔面、地に叩きつけるっ!」
プライドの高い者同士のぶつかり合いが、始まった。