第130話 敵は遥か遠く
トリアングロ王国、国境軍事基地──国境駐屯地。
真昼間から行われたドタバタ激に情報を飲み込めずにいる人間が殆どの中、1人、理解した男が逃げ去った方向を見て拳を握りしめた。
「クラップ……一体何が」
──ドンッッッ!
苛立ちをぶつけるように適当に生えていた木をぶん殴った。木? それはちょっと大きな音を立ててお休みになった。黙祷。
「何が……何が異世界人だあのくそ詐欺師め……!」
「私ですら状況がよく分からないのだが説明する気はあるのか?」
「あんっっの、馬鹿共……! しかも4匹潜んでやがったっ! 手引きはシラヌイか!?」
それはとんだ冤罪である。
正真正銘自力で潜り込んだことなど知らず、男女平等主義クラップは女だろうが男だろうが平等に殺意を抱いた。嘘だリィンへの割合が大きい。
クラップは大きく舌打ちをして、踵を返した。
「手が空いてる奴らは今すぐあいつらを追え! 最悪死んでも構わねぇ、1人として逃すな!」
混乱している基地内に指示を出す。
苛立ちを押さえきれない足取りでズカズカと厄介物の場所へと戻っていく。
「……! クラップ」
扉の前で待機していたのは問題の王子。
エンバーゲール・クアドラードその人だった。
「……よぉ王子さん。お前の妹なら逃げたぜ」
魔法を使えない国で、魔法の反撃に遭うとは流石に思っても見なかった。
顔に飛んできたそれを咄嗟に手で受け止めたが当然手のひらを負傷してしまった。元々火傷している箇所だ、死にかけの体というのもあって怪我をしたこと自体そこまで重大では無い。
それよりも、クアドラードの姫君が潜り込んだことが何よりも、そして口車に乗せられ懐柔されかけたということが。
……否、口ではどうとでも言えるがクラップは確かに懐柔されていた。心の奥で理解しているが、ひとたび言葉に出してしまえば自分が陳腐な存在になってしまう。最前線で戦う誇り高きトリアングロの幹部が。
クラップは全力で気付かぬフリをした。
「あの娘は俺の妹じゃない」
「ほぉ、敵国にノコノコやってきて、挙句の果てに金髪青眼だ。とんだ言い訳だな」
「はぁ……。本当に信じられないかもしれないが違うんだ。碧眼なのは初めて知ったしもしかしたら本当に妹なのかもしれない。だがあの娘は王家の者ではない」
クアドラード王国の第2王子は金髪と碧眼が王家の血にしかないということを知っていた。
どこから血が漏れたのか分からないが、年齢を考えると自分の父親である王がどこかで子を作った可能性もある。……ヴォルペール然り。
だが確信して言える事は、王家の席に着いていない、という点だった。
「あの娘はクアドラード王国のFランク冒険者だ。クアドラードアドベンチャートーナメントで準優勝を取った。と、聞いている」
なんせ自分は途中退場したので結果をその目で見たという訳ではないのだが。
「つらつらと言い訳を」
「大体、彼女について詳しいのは俺ではなくお前たち側だぞ?」
エンバーゲールのその言葉にクラップは苛立ちながらも言い分を聞く。
そう、彼の中の『クアドラード王国の王族』という説は揺るぎないものであった。ただ、それがちょっと不運とか悪運とか災厄とかで彩られたごく普通の転生者であるという事は、全くこれっぽっちも想像していなかったのだ。
……まぁ、本当の血筋的に言えば『王弟の娘』なのであながち間違いというわけでもないのだが。
苛立ちで足がタンタンと動く。ただしその貧乏ゆすりはエンバーゲールの一言で止まるわけだが。
「──Fランク冒険者のライアー……。お前たちで言うルナールとコンビを組んでた子だろう。べナードも確認しているし、シュランゲだったか? そいつとも交流があったと」
……。
クラップは大きく息を吸った。
「──フロッシュッ! 本部に緊急連絡繋げ!!」
「クアドラード潜入組じゃなくて心底良かったと思うのだな」
なんだそのラインナップは!
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トリアングロ王国 要塞都市 王城
議事の円卓の間で、滅多に使えないめちゃくちゃ高価な緊急連絡用魔導具が鳴り響いた。
その場に待機している幹部達は息を飲む。
「蛇、どこのだ」
「国境だな」
トリアングロ王国には野生の魔物がいない。魔導具自体は発達しているが、魔法を封じるという特性上魔物から採れる魔石の恩恵にあやかり憎い。
よって、複数の魔石が使い捨てになってしまう転移用の魔導具や連絡用魔導具は温存している。エルフのご機嫌取りも大変な事だし。
そんな緊急事態にしか使わないようなイレギュラーが起こったということだ。一体なんなのか。
考えるよりも早く連絡を取った。
魔導具に映し出されるのは国境にいるクラッ──
『──ルナールそのツラ貸せやぁッッ!』
……荒れている。非常に荒れている。
円卓の間にいる幹部は王都待機組の7人。
参謀や情報をメインで活動する犬や蛇、海蛇。ひと仕事終え、誰かのフォローとして待機している鹿と狐。基本的にやる気がないため中央でサボっている猫と猿。
魔導具が音割れを起こす程の叫び声に、その全員がご指名のルナールを見る。
「……お前そんなに世渡り下手だったか?」
サーペントの言葉に渋顔を作った。
人から、特に幹部から恨みを買っても得は無いしなんなら無駄そのものだ。自分的には『害なし』と評されるポジションをキープしていた筈なんだがな。
「ルナールだ」
『よぉルナール。随分雑な仕事をしてくれたなぁ?』
ピクリ、と眉間にシワが寄った。
多少の誤差はあれど仕事は終えた筈だ。スタンピードは不発に終わったが、結果的には作物や土地を荒らす事になった。
否定も肯定も出来ないその糾弾。わざわざ魔導具を使ってまで責めるとは思えない。
「一体なんだ、要領を得ない説明はやめろ」
「鯉、ちょぉっと落ち着き? 何があったん?」
『鼠が国境基地に潜り込んでたんだよ、しかも4匹』
「……それはお前の不手際じゃないのか」
蛇2匹を両サイドに迎えることになったルナールは普通に嫌な顔をした。
『あぁそうだ不手際だ! だがな、お前が後始末をきちんとつけてりゃこんな事には』
「これ結構パニックってんな」
「それで、鼠は捕まえたんやろ? クアドラードのどこの手やったん?」
アダラのその言葉にクラップはグッと息を詰まらせた。
「…………まさかあんた程の男が取り逃したん?」
クラップは軍人だ。恐らく、下剋上で成り上がってきた幹部の中で1番軍人らしい男だ。情に絆されずどんな残酷な命令だろうと下せ、国家への忠誠を掲げた男。
そんな男がまさか。
クラップは自分を落ち着かせるように息を吸った。
『──報告する。国境基地に潜んでいた鼠は国境の町方面へ逃亡。仲間は緑髪のエルフ、赤髪の冒険者、白髪の冒険者、そして恐らくリーダーが金髪のガキだ』
「なんだと?」
犬、シアンが声を上げた。
シアンは貴族でもあるため、クアドラードの金髪碧眼の情報は入手していた。この中でその情報を知っているのはシアンとサーペントのみだろう。なぜならそこまで重要視する情報じゃないからだ。
「金髪だと? それは本当か」
『あぁ、堂々とな。碧眼で金髪、ついでに言うと青いリボンをつけている。暇してる奴らは全員そいつを探してくれ。……更に付け加えると、シラヌイも逃亡の際現れた。赤髪の冒険者は魔法を使える。以上だ』
頭が痛くなってきた。
しかし、それが一体ルナールとなんの関係が……。
「………………まずい」
ルナールは顔を青くした。
「おい、そいつは本当に碧眼だったのか」
『ぁ? 流石に見間違えるかよ』
「──あいつの本来の瞳の色は黒だ!」
焦るように叫んだ。
また、無駄にされてたまるものか、と。
ルナールの動揺っぷりにその場の幹部は思わず目を見開いた。
『ルナール、てめぇやっぱり知ってやがるな?』
「……まさか、その娘、めちゃくちゃ不思議な言語喋ってなかったか?」
『べナード、てめぇも知ってるらしいな。あれ素かよ』
「いや、俺はあまり関わりがないんだが」
クラップとべナードが会話を交わす中、ルナールが顔を上げた。
「あいつはクアドラードにいる冒険者と視界を共有している。あいつの見た景色はリアルタイムでクアドラードに送られる様になっている」
『──は!?』
「冒険者は貴族の息子とも繋がっている。下手すりゃ王宮にすぐ情報が届く」
『なんだそれは!』
「魔法に決まっている。今すぐ全力で捕まえるべきだ。あいつは、全ての計画を意図せず狂わせる」
「分かる」
頷いた。うん、それはわかる。
「ぶっちゃけ国境基地何やってんだとか思いましたけど、あれが絡んでいるなら致し方ないですね……」
べナードはガバしかけた所をルナールに救われたが、予想もつかない行動に出る。戦場を狂わせる。
「その鼠、一体誰なん?」
「あいつは俺の…………」
アダラの疑問に答えようとしてルナールは言葉に詰まった。
相棒やらコンビやら、形容する言葉は沢山ある筈なのに。ルナールとしての言葉は出てこない。コンビは組んでいたが、所詮は偽物の関係。
俺の──……。
「その娘の名前はリィン。ルナールがクアドラードの潜伏中コンビを組んでた隠れ蓑ですよ。ちなみにシュランゲの主人でもありますね」
「あぁ……。前に言うとったあれか。魔法職なんやろ、よぉクアドラードに来ようなんて思うたな」
『ともかく、報告は以上だ。魔導具の残りも少ない。そっちで縛り上げるなりしていろ、こっちはこれ以上手を割けない。──いいかルナール、姫さんの細かい報告あげてこっちに情報寄越せ』
「その子の目的は?」
『分からねぇんだよ、あまりにも情報が無さすぎて。本来のスパイの行動や目的と逸脱しすぎて。報告はあげる。ただ、姫さんを逃がすな』
そう言い残すと魔導具はぶつりと切れた。魔導具人間ついてる魔石が限界を迎えたのだろう。
「鹿、お前その娘探しに行け」
「えっ嫌ですけど。あれと関わるなんて冗談じゃない。先程言ってたでしょう、赤髪の冒険者が魔法を使った、と。無理ですよ、エルフまでいるのに。何よりあの娘と関わったって痛い目を見るだけです」
「はあ〜〜〜〜〜? 情報部に逆らう気か?」
「無駄に疲れるだけだから、すまんな」
「お前その無駄を楽しむ質だろうが!!」
べナードは完全拒否の姿勢を保った。全くこれっぽっちも関わりたくない。
「ともかく、最重要任務だ。金髪の女とその仲間を捕まえる。鹿、猿、お前らが動け」
「俺も嫌なんだけど! なんで好き好んでクアドラードの奴を探さなきゃなんないの!?」
自称魔法アレルギーの猿シンミアが悲鳴を上げた。
「じゃ、その任務俺が貰うわ。悪いな若造共」
猫、コーシカが席を立った。珍しいその姿に思わず言葉を忘れる。
「幹部が揃い分で嫌な顔する女だ。面白いじゃねぇか。それに、あの白蛇野郎がやられたってんだろ?」
ピルッ、と獣人特有の耳が震えた。
面白くていいじゃないか。その面拝んでみたい。
「分かった。それはそれとして鹿も猿も動いて貰うからな。──それで狐。お前は待機だ」
「……!」
「お前から情報を取る必要があるのと、流石にここまで続くとお前まで監視する必要がある」
全て1人の少女による任務の影響なのだ。この場でルナールの次に理解しているべナードが反論をしようとして。
「妥当だな」
「……随分素直に頷くな」
「手引きした、と思われても心外だし。何よりあいつの目的は──」
ルナールは思い返した。
あの日々を、そしてもたらされた情報から。
簡単な話だ、ルナールは理解している。リィンの考え方を、知っている。
「──俺だ」
プライドの高いリィンの事だ。
裏切られたまま燻っているほどお利口ではない。そこに思い至らなかった訳ではないが、魔法の使えない国にわざわざ出向く程の無謀を、貴族が許すわけないと思っていただけで。
クラップは報告の際、リィンの特徴をこう言ったのだ。
──金髪、碧眼、そして……。
ただのご機嫌取りに与えた、青いリボン。
裏切り者のプレゼントを身に付けてわざわざ国までやってきたんだ。
考えられることはひとつ。迎えに来た。殺意の刃と共に。
「俺を殺す所か文句すら言えない状況は、辛いだろうな」
可笑しくて可笑しくて。涙が出そうだ。