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別れとポニーテール

 銀のかわうそで働き始めて3ヶ月。大皿だって片手で持てるようになったし、ビールをジョッキに注ぐのだって上達した。何度もグレタに怒鳴られながらくじけずにがんばった甲斐があった。


「はい、4番テーブル」


 グレタが厨房から羊肉のからあげを出してくる。山盛りの肉の乗った皿を慣れた手つきで運び、テーブルを囲む男たちの前に置く。


「お待ちどおさま!」

「ララちゃんありがとう! 今日も美人だね~」

「あら、ジョッキが空いているじゃない。飲み物がないとお肉が進まないんじゃない?」

「そんなこと言われたら飲むしかないよー」

「こっちもおかわり!」

「ララちゃーん、こっちも!」

「はーい!」


 クラーラは片手を上げて応える。始めは戸惑った庶民の言葉も今はすらすらと出てくる。ビールを次々とジョッキに注ぎ、泡が消えないうちに運ぶ。運んだついでに空いた皿をどんどん下げて手早く洗った。


「ララ! 料理あがるよ!」

「はい!」


 厨房からきれいに盛り付けられた料理を出してきた男はこの店の主人でありグレタの夫のマウロだ。大柄で短めの銀髪で、ちょっとだけカワウソっぽい顔をしている。店名の『銀のカワウソ』とはまさか……と思ってはいるが、確認はしていない。


「お待ちどおさま! たくさん召し上がれ!」


 子供連れの夫婦のテーブルに料理を置くと、子供が目を輝かせた。この店は酒も出すので酔っ払いもいるが、泥酔する客はおらず、ガラの悪い客も来ないので家族連れも多く訪れる。これもグレタが厳しく目を光らせて秩序を守っているからで、つくづく良い店で働くことができたなあ、とクラーラは実感した。


 夜の営業を終え、クラーラは二階の自分の部屋に戻った。店の出入り口から少し歩いて店の裏に周れば二階への階段へ行けるのだが、常連のおじさんたちはいつも送ってくれる。クラーラが階段を上り部屋に入り、窓から手を振るまで待っていてくれる。すぐ近くだからって油断しちゃだめだ、と言って、ララ親衛隊と名乗る常連の男たちがローテーションを組んで見守ってくれているのだ。


 私は本当に昔から恵まれている。

 家族にかわいがられ、店では店主夫妻と常連にかわいがられている。


 母にはいつも、自分の身分に驕らず感謝して真摯に接しなさい、と教えられた。今は母が積んだ徳の恩恵を受けているだけだ。これからは自分で信頼を得ていなかければ。クラーラはエプロンのリボンを固くしばって気合を入れた。


 朝食と夕食は自炊するようにしている。

 初めのうちは夕食もグレタたちと一緒に賄いを食べていたが、グレタとマウロが味見と称して料理を食べさせあったり、昔話に花を咲かせていたり、要するに目の前でいちゃいちゃされるので、遠慮して自分で作って食べることにしたのだ。


 夫婦っていくつになってもああいう感じなのかしら。


 クラーラの物心がついてからは国王はほとんど離宮にはやってこなかったので、両親のそういう姿は見たことがない。王宮では陛下とジネビラ様は人目もはばからずいちゃいちゃしているのだろうか。


 お母様は陛下のことをどう思っていたのかしら。


 今となってはもう確かめようがない。ジネビラ様には忠誠を誓っていたけれど、国王のことは聞いたことがない。




 昼のランチ営業が一息つき、クラーラは店の看板を『昼休憩中』に替えるために外に出た。すると、庶民の街には不似合いなドレスを着た女性が日傘をさして店の様子を窺っていた。


「ソフィア様!?」

「クラーラ様、ごきげんよう」

「どうして、ここへ?」

「どうしてって、あなた様がお手紙をくださったからですわ」

「そうでした」

「本当に働いてらっしゃるのね。しかも意外と馴染んでいらっしゃる」

「そうでしょう、髪も切ったんです」

「ええ、お若く見えますわ。お可愛らしいこと」


 ソフィアが口に手をあてて笑うと、大きな胸が揺れた。


「お店に入りませんか? 庶民の店ですが」

「身分を隠されているのでしょう? 私が行ったらご迷惑をおかけしてしまうのでは」


 確かにそのドレスでは店で浮きまくるだろう。まずこの店の前でさえ浮いているのだから。


「今日はわざわざどうなさったのですか」

「私たちが公爵邸を追い出されたのはご存じかしら」

「えっ!?」

「ふふ、とうとう、ですわ。公爵様も私たちをかばいきれず、屋敷を追い出されました。でも、公爵様がたんまりと慰謝料をくださったので、全員大手を振って実家にもどることになりました。お姫様はキーキー騒いでましたけど。アリアもラウラもすぐに実家が迎えに来まして、最後に私が本日屋敷を出ました」

「まあ、急なことだったのね」

「わかっていたことですわ。クラーラ様と仲良く老後を迎える予定だったのですが、人生とはどう転ぶかわからないものですわね」

「ええ……本当ですわね」


 自分が思い描いていた未来はいとも簡単に覆される。明日どうなるかなんて、誰にもわからないのだ。

 クラーラが眉をひそめぎゅっと口をひきしめたが、ソフィアはいつもと変わらないとろりとした笑顔を見せている。


「一応報告に参りましたわ。他の二人は貴族ですから、なかなか来るのはむずかしいでしょうけど、私は庶民ですから。またそのうち伺いますわ」

「ええ、ぜひ。その時はもっと気楽なドレスで」

「そうね、ふふ。今日は公爵様に最後のお別れを言ってきたので、このドレスですの。明日からはエプロンをして父の商売を手伝いますわ」


 ソフィアは白く細い手を伸ばしてきた。クラーラはその手をぎゅっと握った。


「では、また、お会いしましょう」

「ええ、私はきっとずっとここにいますわ」

「どうかしら、あなた様ならすぐにいい人見つかるんじゃないかしら。ふふ」


 ソフィアは日傘を、さようなら、とばかりに高く上げて去って行った。


 クラーラは看板をひっくり返して店に戻った。グレタが心配そうに眉を寄せていた。


「大丈夫かい、絡まれていたんじゃないだろうね」

「い、いえ、以前、お世話になった方が、あの、お引越しされるそうで、そのお知らせに来て下さったのですわ」

「本当かい? おかしな奴がきたらすぐに言うんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 比較的治安のいいこの辺りではおかしな奴には遭遇しないとは思うが、グレタは娘がいるせいだろうか、ちょっと過保護ぎみである。





 ソフィアが来た後、アリアからもラウラからも手紙が届いた。クラーラが屋敷を出た後、3人の元にも公爵はめっきり来なくなったらしい。無理をすれば会いに来れたのだが、それがバレたらバジョーナ国の姫がキレて何をしでかすかわからないので、おとなしくしていたらしい。3人は追い出されたというよりは、姫が愛人たちに危害を与える前に、と公爵が大金を持たせて逃がしたようなもので、やはり公爵様には感謝しかない、と綴られていた。


 愛の形っていろいろあるのね。


 恋を知らないクラーラには、遠い話にしか思えなかった。


 アリアからの手紙には、メリッサを知己の侯爵家へ優秀なメイドとして紹介したと書いてあった。心配していたメリッサの処遇が分かって安心した。顔の広そうなアリアに任せて正解だった、と胸をなでおろした。ただ、優秀とは言いすぎだと思う。

 クラーラは部屋の窓から外を見下ろした。

 季節は夏が終わり秋になっていて、手をつないで寄り添って歩いていく恋人たちが見えた。お母さんと子供が手をつなぐのとは何が違うのだろうか。恋人たちは、穏やかで、でもとても熱い視線を交わしているように思える。


 ストーブの上に置いた鍋がぐつぐつと音をたてた。

 昨日の夜に作ったスープの残りを温めて朝食にした。店でもらってきた残り物のパンはすでにカチカチに固くなっているので、スープに浸して食べた。離宮にいた頃は固いパンなんて出てこなかったので、食べ方を知らなくてグレタに呆れられた。スープを浸して食べればパンも柔らかくなるし、おいしいし、最後スープをすくうように食べれば皿もきれいになって洗うのも楽になる。なんて効率的で経済的な食べ方だろう。


「世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいあるわ」


 クラーラは洗った皿を布巾で拭きながらしみじみと思った。

 そうした世間知らずのところや、何気なく出てしまう言葉遣いや優雅な所作のせいで、店の人たちにはクラーラが貴族の出だとうっすらバレてしまっていた。本当は王族なのだが、まさか姫がエプロンをして給仕をしているはずがないので、結婚を反対されて駆け落ちしたものの失敗して戻るに戻れなくなった貴族令嬢の体で振舞っている。


 クラーラは鏡の前で髪をひとまとめにしていつもよりも少し高い位置で縛った。この髪型は「ポニーテール」と言うらしい。髪は毎日侍女が香油をつけて丁寧に梳いてくれたのでしばったことなどほとんどなかったから知らなかった。


 馬のしっぽだなんて、うまいこと言うものね。クラーラは頭を振って髪を揺らしてみた。確かにエルネスト兄様の馬車をひく馬に青鹿毛がいて、しっぽがこんな感じに揺れていた。

 そのしっぽに今日は水色のリボンを巻いた。初めての給料で買ったリボンだ。王女だった時には触れることすらなかったであろう安価なものだが、自分で働いて得たお金で初めて選んだ物は世界中探してもこれだけだ。どんな高級なものよりも価値がある。澄んだ湖のような水色に白いレースがあしらわれていて、一目ぼれしたお気に入りだ。


 クラーラは兄姉に比べれば比較的好きなようにさせてもらえていた。それでも離宮を出る時には服装も髪型も決められたものだったし、明日の予定も来月の予定も勝手にどんどん決められていた。

 こうして自分で選んだ物を好きな時につけることができる。今日出かける事だって自分で決断したのだ。


 これからたくさん増えていくお気に入りに、クラーラは想いを馳せた。一人で生きていくのは大変だけど、それ以上にわくわくする。


「そろそろ行かなきゃ!」


泥酔するとグレタにフライパンで尻を叩かれます。


誤字報告ありがとうございます!

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