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ちょっとお出かけ

誤字報告ありがとうございます!

 バジョーナ国にやって来てちょうど3か月目の早朝。クラーラは大きなバッグに荷物をまとめ、大きなつばの帽子をかぶって玄関に出た。


「ちょっとお出かけしてきますね」

「は。お気を付けて」


 警備の騎士はいつものように送り出してくれた。


 さようなら、騎士様。

 お会いするのは今日で最後です。


 しおらしく帽子のつばを深く下げ、顔を隠す。そして…………にんまりと笑った。


 寝室のテーブルの上に手紙を置いてきた。

 メリッサがいつものようにやってきて、寝室のドアをノックする。当然返事はない。寝坊してるんだな、とあの娘のことだからきっとしばらく放置する。朝食を一人で食べて、紅茶を飲んで、掃除を始めて。あれ、遅いなって思ってやっと様子を見に来るだろう。


 ふふふ、その頃には私はとっくに街に着いているわ。追いかけたって追いつきやしないわ。


 手紙には、執事宛にちょっと旅行へ行ってくると書いておいた。メリッサはアリア様の所へ行くように指示しておいた。


 旅行とは書いたけど、私はもう戻るつもりはないわよ。


 前回、街へ出た時に、求人を出している店を何件かメモしておいた。一度『店員さん』というものをやってみたかったので、商店や食堂を主にまわったのだ。

 クラーラには身元の保証がない。経歴もない。雇ってくれる所なんてそう簡単に見つからない、とは覚悟している。


 もしもの時は、宝石を売ればしばらくは暮らしていけるはずよ。何なら小さな家だって買えるくらいは持っているんだから。


 母からもらった宝石類はしっかりと袋に入れ、ひもをつけて体に巻き付けて服の下に隠している。もしかばんをひったくられてもこれさえあれば、大丈夫。


 まずは、一番最初に目に入った店に入って、腰まであった髪を肩下まで切った。店主はきれいに手入れされた髪を切るのを嫌がったけれど、失恋したのでー、と眉を下げて言うと、気分転換て大事よね! と言ってばっさり切ってくれた。ついでに初めて前髪も作ってみた。鏡の中の自分はちょっと幼い顔で照れくさそうにはにかんでいた。


 次は、第一希望の食堂へ向かった。

 この国に初めて来たときに馬車から見かけた食堂だ。酒に酔った男たちが肩を組んで踊りながら店から出てきた。それを店のおかみさんであろう恰幅の良い女性が笑いながら見送っていたのだ。


 私もあの輪に加わりたい。


 そう思った。

 食堂の入り口には『銀のかわうそ』と書かれた看板がある。店名だろうか。ドアには、従業員急募! 住み込み可、と張り紙がある。


 カラン、とベルの音を鳴らしてドアを開けると、店内には誰もいなかった。クラーラが顔だけ中に入れて中を窺うと、厨房から女性が顔を覗かせた。あの時の恰幅の良い女性だった。


「求人を見てきましたー」


 クラーラが元気よく叫ぶと、件の女性がカウンター越しに満面の笑顔を見せた。


「入ってちょうだい!」


 女性はエプロンで手を拭きながらホールに出てきた。


「きれいな娘さんだね、仕事探してるの?」

「はい、住み込みの仕事を探しています」

「まあ、座りなさいな」


 女性はカウンターの椅子をひいてクラーラを座らせ、自分はその隣に太い足を組んで座った。


「あんたどっから来たの? この辺の子じゃないね」

「えっと、ずっと西の方から来て……まだ来たばかりで」


 えへへ、と笑ってごまか……せるだろうか。確かメリッサが西の街出身だったはず。その辺りってことにしよう。


「一人? 家族は?」

「一人です。家族は、えっと、いません」

「今までどこにいたの? 何してたの?」

「えっと……」


 えっと、えっと、ばかり言っている。設定を考える前に浮かれた勢いで店に飛び込んでしまった。


「訳ありっぽいね。犯罪者はお断りだよ」


 女性はグラスに注いだ水をがぶりと飲んだ。


「犯罪歴はありません!」

「じゃあ、男だね。あんたみたいなきれいな女は犯罪がらみか、たいてい男がらみだね」

「え、あ、まあ、そんな、感じですかね」


 確かに男がらみと言えば、そうかもしれない。


「男に騙されたのかい? 借金でも負わされた?」


 そう、騙されたと言われれば、騙された。その説、いただき。


「借金はないですけど、そうなんです。騙されました。夫には実は妻がいて……」

「何てことだい! 結婚しようと思った男に妻がいたのかい!」

「あ、そうです。まだ夫じゃ……ないのかな、夫になるはず、だった人?」

「いるんだよね、そういう男。あんたころりと騙されそうだもんね! かわいそうに!」

「ころりと、というか、周りも一緒になって隠していて」

「あんた良いカモにされてたんだよ! ひどい話だね!」

「それで、ずっと放置されていて……」

「あんた、それ、他にも女がいるんだよ。釣った魚には餌をやらないタイプだよ!」

「ああ、愛人もいるんです」


 3人ほど。豊満な方たちが。


「やっぱりだよ! そういう男にひっかかるなんて、何て見る目がないんだい!!」

「はい、なので、もう彼から離れて自立しようと思いまして」

「偉い!! そうだよ、いつまでもしがみついていちゃあだめなんだ。女は強くなくちゃあね。きっぱりこちらから捨ててやんな! そんな男!」

「はい! 捨ててきました!」

「気に入ったよ! あんた名前は!」

「えっと……ララです」

「ララ! かっわいい名前だ! あんたにぴったりだ。これからよろしく、ララ。私はこの店のおかみのグレタって言うんだ」


 もっと違う名前にすれば良かった、と後悔したが、もう遅い。グレタが分厚い手でクラーラの背中をばしばし叩いている。


「この店の奥に私と旦那の家があるんだ。その二階が空いてるから、そこに住んだらいい。狭いけど最低限の家具はあるから、すぐに住めるさ。おいで」

「はい!」


 クラーラは鞄を抱えてグレタの後を追いかけた。

 第一希望の食堂にすぐに採用されるなんて、これは幸先が良い。これからの新しい生活もうまく行きそうな気がする。


 専用の階段を上がると小さなドアがあり、部屋は小さなキッチンのあるワンルームだった。二階と言うよりも屋根裏部屋で、出窓の横の天井は斜めに下りてきていて、その下に簡素なベッドが置いてある。あとは古びたクローゼットと一人掛けのテーブルと椅子があるだけだ。


「キッチン、シャワールームとトイレはついているから、とりあえずは暮らせるはずだよ。店の休みは毎週水曜日。家賃や光熱費はいらないよ。あんた一人ならたいしてかからないからね」

「ありがとうございます!」

「いつから働ける?」

「早く仕事覚えたいので、すぐにでも」

「いい心がけだ! じゃあ、荷物置いたら店においで。朝ごはん食べたら、ランチ営業の仕込みの手伝いしておくれ」

「はい! すぐに!」

「ははは、元気がいい子は大好きだよ。その調子で店でも頼んだよ」


 グレタは部屋の鍵をクラーラに手渡すと、ダンダンダンと足音をたてて階段を下りていった。


 クラーラはクローゼットに数着の『街を歩いても違和感がない庶民用の外出着』をしまった。

 横の細長い窓から外を見ると、屋根裏部屋なだけあって地面が遠かった。

 市井の人々が歩いている。一人一人が目的を持って、またはあてもなく、それぞれがバラバラに歩いてゆく。

 クラーラはそこからの風景がお気に入りになった。


 動きやすいワンピースに着替えて店に行くと、グレタに上から下までじろじろと見られた。


「あんた、そんな高級な服着ていったい何するつもりなんだい。こっち来な、服貸してやるよ」


 一番着古した地味な服を選んだつもりだったのだが、まだ庶民の感覚とは程遠かったのか。じゃあ、母も私も実は街で浮きまくっていたのではなかろうか、と今更不安になった。


「あったあった、ほら、何とか着れるだろう。これを制服にして着な」

「ありがとうございます。これはグレタさんのですか?」

「それ嫌味かい? 私じゃそのブラウスに片腕さえも入らないだろうよ。娘のだよ。先月まで娘がこの店を手伝っていたんだけど、産休でね。そろそろ生まれるから休ませたんだよ。少し大きいだろうけど、着れるだろ」

「はい、大丈夫です。娘さんがいらっしゃるんですね」

「ああ、一人娘さ。あっという間に嫁に行って、あっという間に妊娠して、私もあっという間におばあちゃんさ」


 グレタは腹を揺らしてがはは、と笑った。クラーラもつられて笑った。


 予定通り公爵に嫁いでいれば、私もそろそろ妊娠していた頃かもしれない。姉たちは嫁いだ次の年にかわいい男の子を生んでいる。


「あんたも悪い男のことは忘れて、一生懸命働きな。あんたくらい美人ならすぐに見初められて男が見つかるよ。でも、すぐに結婚しちゃだめだ。男見る目なさそうだからね、私たちがしっかり見定めてからだよ」


 背中をばしりと叩かれた。知らず知らず、表情に出てしまったのだろうか。励まされてしまった。


「しばらく男性はいりません。私、働いて、早く街に馴染みたいので」

「そうかい、じゃあ、まずはウチの味に慣れてもらおうか。朝ごはんにしよう」


 厨房からのっそりと大柄の男性が両手に皿を持って出てきた。カウンターに並べられた朝食はほかほかと湯気が出ていて美味しそうだ。





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