ハズレの姫
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次の日も、その次の日も公爵は来なかった。
「大変申し訳ございません。明日こそは必ず、と申し上げておりましたので」
「あ、来る気はあるんだ」
思わず言ってしまった。
この離れは「クラーラ様の館」と呼ばれており、文字通りクラーラしか住んでいない。やる気のないメイドたちを放っておいて、3日目からはクラーラ自ら居室の掃除を始めた。どうせ来ない公爵のためにドレスを着るのも面倒なので、以前通り動きやすいワンピースにした。今は窓を磨いている。
「掃除が行き届いておりませんでしたか。すぐにやり直させますので、クラーラ様はおかけになってお待ちください」
執事が申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいのよ、私が好きでやってるの。公爵もメイドさんたちもお忙しいようだから」
そんなつもりはなかったのに、ついつい嫌みが出てしまった。執事がさらに頭を下げる。このままでは額が膝についてしまう。
「頭を上げてちょうだい。私は元々こういう事するのが好きなのよ」
執事の顔色が悪い。彼も板挟みで大変なのだろう。
「あなたも忙しくて大変ね。これは嫌味ではなくて、本当に心配して言っているのよ。わざわざ来るのも時間がもったいないでしょうから、今度からは誰かに伝言でもいいわよ?」
「いえ、むしろこちらにずっといたいくらいでございまして……」
「……そ、そう。だったら好きにしてちょうだい。よくわからないけど」
「はい、そうさせていただきます。ありがとうございます」
執事は礼をして母屋へ戻って行った。
「クラーラ様、お茶をお淹れしました」
そばかすが掃除が乗ってきた真っ最中に声をかける。味のない紅茶に耐え切れずに、あの後すぐにお茶の淹れ方を教えた。まだまだ下手だが、紅茶の味のするお湯を出すことはできるようになった。今度はお茶を淹れるタイミングを教えなければ。
「メリッサ、ありがとう。休憩にするわ」
そばかすはメリッサという。西の街出身の16歳の平民だった。しつこく話しかけているうちに、怯えることはずいぶんと少なくなった。
クラーラがソファに座るのを確認して、メリッサも向かいのソファに座る。
これは、クラーラが命じたのだった。まずは自分の淹れた紅茶を飲んで勉強するように、と言ってはみたものの、実際はただ話し相手に飢えているだけなのだ。
隣国の王女という身分にひたすら怯えていた彼女は、素直にその王女の目の前で同じソファに座って紅茶をすでに飲んでいる。勝手におかわりもしている。その無邪気さに救われて、クラーラは自分を偽ることなく素のままでいることができる。
「公爵様、来ませんねぇ」
「来るつもりあるのかしら」
「いつかは来るんじゃないですかぁ」
クラーラはポットの茶葉を捨て、一から紅茶を淹れ直した。メリッサのカップにも注ぐ。
「あっ、やっぱりクラーラ様の淹れた紅茶はおいしいですぅ」
「嬉しいわ、ありがとう」
毎日毎日掃除とメリッサの相手だけでは、いい加減ちょっと飽きてきた。母屋には図書室くらいあるだろう。メリッサに適当に本でも持ってきてもらおうか。
なにしろクラーラはこの『クラーラの館』から出るな、と執事から言われているのだ。
決して母屋へ近づいてはいけない、と。
理由は教えてくれないので公爵が来たら聞いてみようと思っているが、その公爵が全然来ない。本当は公爵なんていないのではないか、とすら思えてきた。
ある日目が覚めたら、そこは廃墟だった。
なーんて、事が起きたら・・・・・・。
私は自由ね。
ふふっ、とちょっとだけ笑って、掃除を再開した。
バケツに水を汲みに水場へ向かうと、使用人の休憩室からメイドたちの声が聞こえてきた。
「ねえ、まだ行かなくていいかなあ」
「いいわよ、放っておいたってあのお姫様何も言わないじゃない」
「バカのメリッサに任せといてここで時間つぶしてましょう」
ニコニコと紅茶を飲むメリッサの笑顔を汚されたような気がして、カっと頭に血が上った。
部屋に飛び込んでやってもいいけれど、この家にまだそれほどの情熱を持っているわけではないので、死角になる場所に身を潜めて盗み聞きを続ける。
「レミーオ様も全然来ないじゃない。やっぱ見捨てられてんのよ」
「あーあ、ハズレの姫様についちゃったわ」
「私もあっちのお姫様のメイドになりたかったわ」
聞き捨てならない話を聞いた気がする。
ハズレの姫様?
あっちの姫様?
クラーラは空のバケツを抱えて部屋に戻った。
「メリッサ、ちょっとお願いしてもいいかしら」
「はあい、どうしたんですかあ」
メリッサはまだソファに座って紅茶を飲んでいた。
「執事を呼んできてもらえる? できるだけ早く来てほしいわ」
「わかりましたぁ」
メリッサは紅茶でちゃぷちゃぷのお腹をさすりながら廊下を走っていく。
廊下は走らないとか、人前でげっぷしない、とか、教えることはまだまだある。
クラーラは額に手をあててその後ろ姿を目で追った。
今日の執事は膝に頭をつけるどころかとうとう土下座している。
「なるほど、私がハズレの姫っていう意味がわかったわ」
「……本当に……誠に、申し訳なく……言い訳のしようもございません」
ハズレの姫、あっちの姫、の意味を聞いてみた。結果、執事の土下座である。
「あなたのせいではないじゃない。頭を上げてちょうだい。むしろつらい立場だったわね」
ソファに足を組んで座り、膝に頬杖をつく。姫としてはありえない姿ではあるが、悪態をつかずにはいられない事態なのだ。
簡潔に言うと、公爵様には愛人だけではなく正妻がいた。
以上。
公爵に恋い焦がれていたバジョーナ国の王女が公爵のプロポーズを待ちきれずに無理やり降嫁してきたらしい。クラーラがバジョーナ国へやってくる同じ日に。
プロポーズを待ちきれずどころか、クラーラとの結婚をぶち壊しにやってきたに決まっている。王女ひとりでそんなことできるはずがない。国ぐるみだ。
バジョーナ国の王女は正妻の娘の第一王女、クラーラは側妃の娘で第三王女。そりゃあ、隣国の会ったこともない王女よりも自国の王女を優先するだろう。
ヤキモチ焼きの王女が公爵を離さないため、公爵はこちらへ来ることが叶わないそうなのだ。
「ですので、クラーラ様には不自由なく暮らしていただけるよう、必要なものは全て揃え、願いは全て叶えるように、と申しつけられております」
この離れに軟禁されているのもその王女と鉢合わせしないようにってことか。
やっといろいろなことに合点がいった。
最初からクラーラの居場所はなかったのだ。清々しいほどに。
確かにこれはハズレの姫である。先が無さすぎる。
「……あと隠していることは?」
「ございません。誓って」
執事は頭を上げてはいるが、床に正座したままであった。その膝の前には気を利かせたつもりのメリッサが紅茶を置いていた。もう一度頭を下げたら熱い紅茶に鼻がインしてしまう。
「じゃあ、もう戻っていいわ。忙しいところ呼び出して悪かったわ。ありがとう」
「とんでもございません。何でもお言いつけくださいませ」
執事がよろよろと立ち上がる。
「あ、そうだ。要求は何でも聞いて下さるんでしたわね?」
「私めにできることであれば何なりと」
言葉とは裏腹に執事が震える。
「王女に会わせろ、とか言わないから安心して。私の屋敷に仕えているメイド全員を希望の職場に異動させてあげて。何だったら私はメイドはいらない。掃除も炊事も自分でできるから。食材だけ厨房に補充してちょうだい。都度必要な物などはあなたに頼むから、一日一回顔を見せに来てくれるかしら」
執事が目を見開く。迷ったように一度口を引き結んだ後、
「かしこまりました。仰せの通りに」
と言って部屋を出て行った。
メリッサが床に置かれたままの紅茶を拾って飲んでいる。うまく淹れられたのになあ、とのん気な声をあげた。
この子とも今日が最後かもしれないわね。
どっと疲れが押し寄せてきたので、今日は寝室にこもっておとなしくしていよう。公爵はここへ来ることはないのだから。
のんびりと寝坊して身支度を整えて寝室を出ると、メリッサが部屋の掃除をしていた。
「クラーラ様、おはようございまぁす」
「おはよう、メリッサ。あなた、あっちの王女様のところへ行かなかったの?」
「行きませんよ。あっちのお姫様はものすごくわがままでヒステリックなんでキーキーうるさいんですよ。クラーラ様と一緒にいる方がずっと気楽でいいです」
「そう、ありがとう」
始めはあんなに怯えていたくせにすっかり懐いたものである。悪い気はしないので一緒に朝食を摂ることにした。
「ちなみにクラーラ様の館のメイドは私一人になってしまいましたぁ」
「でしょうね」
厨房で適当に料理をしていたが、メリッサは何もできなかった。邪魔でしかないので、今は食堂の椅子に座って朝食ができるのをわくわくと待っている。どっちが主かわからない。
「お姫様が作ったご飯を食べることができるなんて思ってもみませんでした」
「お姫様と言っても普通の物を普通に食べるだけなのよ。いただきましょう」
家でのしつけは良くできているようで、メリッサは感謝のお祈りをしてから食べ始めた。おいしい、おいしい、と笑顔で頬張る彼女のおかげで、腹の奥でモヤモヤとしていた物が少し軽くなったような気がする。
「ありがとう、メリッサ」
「どういたしましてー、あはは」
メリッサが遠慮なくパンをおかわりした。
本の内容よりも、メリッサがどんな本を選んでくるかの方が興味のあるクラーラ。