エピローグ
【夫婦円満の十か条】
・おはようおやすみ行ってきますお帰りのキスは欠かさないこと
・子供ができても名前で呼び合うこと
・目を見て話すこと
・歩く時は手をつなぐこと
・一緒にいる時は常に体のどこかに触れていること
・相手の家族を大切にすること
・喧嘩をしても同じベッドで一緒に寝ること
・一日の疲れを癒すため、背中を流し合うこと
・美味しい物は分け合うこと
・暴飲暴食はしない
クラーラは、ふう、と息を吐くと、羽ペンを置いた。書き終えた手紙を読み返し、間違いがないか確認する。
手紙のあて先はキエガ公爵夫人アリア様だ。
クラーラへの慰謝料や他貴族への貸付金が回収不能になったことにより、急に貧しくなりバジョーナ国のイネス姫に捨てられた公爵だったが、国王が代わった後、借金を踏み倒していた貴族たちがなぜか一斉に返済してきて元の裕福な公爵家に戻ったそうだ。
そう言えばアウギュストが「これも作戦のひとつ」と言っていたが、この事だったのだろうか。
若い国王を支えながら新しい国を作ることに奔走していたキエガ公爵であったが、半年が過ぎ少しずつ落ち着いてきたところで、3人の愛人を呼び戻そうとしたらしい。しかし、ラウラ様は幼馴染とすでに結婚し、ソフィア様は家業を手伝いながら弟夫婦の子供の面倒を見ているそうで、結局戻って来てくれたのはアリア様だけだった。以前であれば身分の差があったが、表向きは二人の王女に手を出し二人ともに振られたという瑕疵のある公爵には、人柄も良く人脈豊かな男爵令嬢くらいがちょうどいい、という事で結婚したのだそうだ。
収まるところにおさまった、というところね。
クラーラがアリアからこの知らせを受け取ったのは、ジューリオと結婚してひと月ほど経った頃だった。きっと、クラーラの結婚を待ってくれていたのだろう。そんなことは気にしなくて良かったのだが、とても彼女らしいと思った。
手紙の返事には、ひと月ではあるが先輩として『夫婦円満の十か条』を書いておいた。
「ディートハルトさん、先日買った結婚祝いと一緒にこの手紙を送ってほしいの」
「かしこまりました。祝いの品は頑丈に包装しておきますね」
「お願いするわ」
クラーラの横には執事服に身をつつんだディートハルトが立っている。
離宮が完成し使用人を募集する際に、どこから聞きつけたのかディートハルトが応募してきた。キエガ公爵の回し者ではないかとジューリオは訝しんでいたが、ディートハルトを訪ねてきたことにしてバジョーナ国の友人を呼ぶことができるかもしれない、と喜ぶクラーラに最終的には折れる形となった。
「情勢が混乱中の小国より気の置けない王女のいる大国で働く方がいいに決まってるじゃないですかぁ」と、へらへらしているディートハルトではあったが、さすが公爵家執事の息子だけあって仕事はよくできるので、最近ではジューリオも離宮のことを彼に任せている。
「インクが乾くまでの間、ダイエットするわ!」
クラーラは机から立ち上がり、部屋の隅の空いたスペースに移動した。
ジューリオがエルネストと一緒に出かける度にケーキやらプリンやらお菓子を買ってくるので、クラーラは順調に太ってきてしまったのだ。食べない、という選択肢はないので、王妃に相談したら、最近貴族令嬢の間で流行っているという体操を教えてくれた。
歌を歌いながらパンチやキックやジャンプを繰り出し体を十分に動かすものなのだが、これが楽し気に見えて意外と体力を使う。おいしくケーキを食べるため、とクラーラは毎日これを日課にしている。
実際のこの体操は格闘技の動きを取り入れた激しい運動なのだが、クラーラがやるとゆるゆるの猫パンチと猫キックにしか見えない。ジューリオがこれを密かに『猫拳法』と呼んでいるのを知っているディートハルトはずっと笑いを堪えている。壁際で控えているリーチャも焦点を合わせないように宙を見ているので、きっと彼女も笑いを堪えているのだろう。猫拳法を笑わずに優しく見つめることのできるジューリオを、ディートハルトはなんて男気のある人だと少しだけ尊敬し少しだけ呆れている。
ディートハルトが祝いの品を梱包するために部屋を出て行き、クラーラはひと通りの体操を終えたので、リーチャの手を借りて風呂に入ることにした。
風呂から出ると、ジューリオが机に置いたままにしていた手紙を読んでいた。
「おかえりなさい、ジューリオ」
パタパタと足音を立てて駆け寄ると、そのまま抱き留めてくれた。勢いのままジューリオの頬にキスをする。
「すみません、置いてあったので読んでしまいました」
「いいのよ、見られて困ることなんて何もないの!」
以前よりほんのり丸くなったクラーラの頬をするりと撫で、ジューリオはクラーラを膝に乗せて椅子に座った。クラーラはジューリオの鎖骨辺りにこてんと頭を乗せてもたれかかる。最近は座る時はいつもこの体勢だ。
今朝早くに仕事に行ったジューリオは、今日はこのままもう非番のようだ。シンプルなシャツの部屋着に着替えている。近衛騎士の制服姿もとても素敵だが、こうして力の抜けた自然な感じもとても良いとクラーラは思う。
「この、もうひとつの手紙は?」
「ああ、これは、キエガ公爵様の家にいた時に唯一良くしてくれた侍女なの。今はバジョーナ国の侯爵の家に勤めているんですって。もうすぐ誕生日だから、アリア様を通してプレゼントを渡してもらおうと思って」
単なる平民の侍女であるメリッサの元に他国の王女から誕生日プレゼントが届いたら不審がられてしまうだろう。侯爵家にメリッサを紹介したアリア様からこっそり渡してもらう手筈なのだ。風変わりな所が気に入られ、メリッサは侯爵家で可愛がられているらしい。あの国で関わった人たちが幸せになっているのを聞くのはとても嬉しいことだ。
「公爵夫人にはこの十か条を教えるのですか」
「そうよ! だって私たち、とっても仲良しだもの。これのおかげよ」
「そうかもしれませんね」
ジューリオが長い腕を伸ばして手紙を取る。
「でも、俺たちもまだ守っていないことがあるのに」
「っ……そ、それはその」
「このままでは公爵たちに先に越されてしまいますね」
「だって、それは」
クラーラとジューリオがまだ守れていない項目。
『子供ができても名前で呼び合うこと』は、まだ子供がいないから実行できていないが、二人きりの時はジューリオもクラーラと呼んでくれるので多分守ることができるだろう。『喧嘩をしても同じベッドで一緒に寝ること』はまだ喧嘩をしたことがないからなのだが、しないならしない方がいい項目ではある。とりあえず同じベッドで寝ているのでこれも守れているとしていいだろう。最後のひとつ『一日の疲れを癒すため、背中を流し合うこと』これが守れていない。主にクラーラが恥ずかしい、という理由で。
「公爵に負けるのは癪なので、さっそく今日から実行しましょうか」
「えっ?」
「ではさっそく」
「えええええええ」
片手で軽々とクラーラを抱き上げたジューリオが立ち上がる。
「きゃあ、やだ、下ろして! ジューリオ!」
「何故」
「何故って……恥ずかしいから」
「何を今更」
「やだやだ、そういうことじゃないのおおおおお」
ジューリオは笑ってはいるものの、クラーラを下ろす様子は全くない。からかっているのか本気なのかクラーラにはわからない。
「私はさっきお風呂に入ったばかりだもの!」
「俺はまだなので大丈夫です」
「大丈夫って何がぁぁぁぁ」
じたばたするクラーラをぎゅっと抱きしめ、頭のてっぺんにジューリオがキスを落とすと、条件反射の様にクラーラは思わずにへら、と笑ってしまう。その隙にジューリオは足早に寝室に入り、備えられた浴室のドアを開いた。
その後、夫妻が十か条の全てを達成できたかどうかは……誰も知らない。
これにて本編完結となります。 お付き合いありがとうございました!
ブクマ、評価、誤字報告に本当に助けられました。
この後、10月末に番外編として「コラフラン王城のハロウィンナイト」を更新して、完結となります。
10月末までブクマ剥がさずにいて頂けると幸いです。




