お背中流させていただきます
ただただいちゃついてるだけの回です。
王城で行われた婚約式は恙なく終わった。
クラーラの黄水晶のイヤリングとネックレスを見て、ジューリオがとても嬉しそうな顔をしてくれた。ジューリオの家族は両親と兄が出席した。連なる王族の面々に腰が抜けそうになっていたが、二人の結婚をとても喜んでいた。ジューリオの母は、クラーラの結婚式のベールに刺繍をさせてほしい、と言ってくれた。娘として歓迎してくれる様子に、クラーラは胸が温かくなった。
「ご両親はもうお帰りになってしまったの?」
「ええ、母が早く帰ってベールの刺繍の準備をしなくては、と言ってあの後すぐに領地へ帰りました」
「そう、一度お家にお邪魔してきちんとご挨拶したかったのだけど……」
「またそのうち来ますので」
「おい、なぜここで話す」
エルネストは執務机をイライラと指で叩いた。
ここはエルネストの執務室。クラーラは陛下と王妃とのお茶会の帰りに、陛下から預かった本をエルネストに届けに来たのだ。今はアウギュストがその本をソファに寝転がって読んでいる。
「どうでもいいが、お前たち近すぎないか?」
エルネストが眉間にしわを寄せまくって二人を見る。クラーラはぴたりと体をつけるようにジューリオに寄り添い、ジューリオはそっとその背中に手を置いている。頬が擦れあうくらいの距離で見つめ合って話していた。
「あら、ごめんなさい。いつもの癖で」
そうは言うものの、ちっとも離れないクラーラ。起き上がったアウギュストもニヤニヤと二人を見ている。真横でいちゃつかれているエルネストがジューリオを指差す。
「ジューリオ、近すぎる! なぜクラーラにそんなに近付くんだ!」
「それは、クラーラ様の声がよく聞こえるようにです」
「だったらなぜそんなに顔を寄せる必要があるんだ!」
「それは、クラーラ様のご様子がよく見えるようにです」
「クラーラぁぁぁ! そいつは狼だ! 離れろーー!」
「兄様、何言ってますの?」
ジューリオに飛びかかろうとするエルネストを、なぜかカルロが後ろから羽交い絞めにしている。
「それにしてもさあ、ジューリオがお父さんからちゃんと恋人になったのは、やっぱり陛下のおかげなのかな」
「うむ、結局のところ母上に任せて良かったのかもしれない。しかし実際いざ望んでいた形になってみたら、なぜこんなにもイライラするのだろう」
「何の話ですの?」
クラーラが首を傾げたが、ジューリオがそっと手を取って退室を促す。
「離宮への引っ越しの最中でしょう。そろそろ戻られた方がよろしいのでは」
「そうだったわ! リーチャが一人で不貞腐れちゃうわね! 帰りますわ、兄様たち。お邪魔致しました。ジューリオ、お仕事頑張ってね! お帰りをお待ちしてます」
「俺にも頑張ってって言ってよー」
アウギュストの声は聞こえていたが笑顔で無視し、クラーラはしっかりと礼をして部屋を出て行った。エルネストの人差し指が、高速で机を叩く。
クラーラとジューリオの住む離宮の改装が終わり、目下引っ越しの真っ最中であった。とは言え、クラーラとジューリオは持ち物が少ないのですぐに終わり、今はエルネストとアウギュストが息抜きに行くための応接室に家具を運び込んでいる。
クラーラは毎日可愛らしい。
毎日会っても全く飽きない。
彼女の艶のある瞳がまっすぐにこちらを見つめ、彼女の甘く澄んだ声が耳元をくすぐる。
手の届かないはずだった彼女が今はすぐそばにいて、それが自分だけのものになるのだ。
クラーラの部屋の前で警備をする騎士に軽く手を上げる。騎士が部屋の中へジューリオの訪問を告げた。
この騎士は騎士団の騎士だ。王家の貴人の警護をするのは近衛だが、王城の警備をするのは騎士団の騎士。ジューリオも始めはただの騎士だった。クラーラの護衛をしたくて近衛を目指した。どこで間違ったのか王太子の護衛になってしまったが、結局はそのおかげでこうしてクラーラと婚約することができた。あの時毎日吐くほど鍛錬をしなかったら、このドアの前に立っていたのは自分だったかもしれない。人生とは不思議なものだな、と思う。
開かれたドアをくぐると、クラーラが勢いよく抱き着いてくる。
「おかえりなさい、ジューリオ」
「ただいま」
その額に軽くキスをする。初めは照れていたクラーラも、最近は自分からねだってくるようになった。とても可愛い。
自分の人生に多くは望んでいなかったはずだが、こうして最高の宝を手に入れることができた。
ジューリオは片手でクラーラを抱き上げ、反対の手に持っていたケーキの箱をリーチャに渡す。そのままソファに移動しようとしたが、笑顔だったクラーラが突然何を思い出したのか、はっ、と目を見開く。
「そうだったわ、ジューリオ! こんなことしてる場合じゃないわ!」
「どうしました」
ジューリオは抱き上げていたクラーラをとりあえず下ろした。ケーキとコーヒーをテーブルに用意したリーチャも何事かと振り向く。
「ジューリオ! あなたはいったい、いつになったら私とお背中をお流し合いになるおつもりなのかしら!?」
「え」
ジューリオがぽかんとした。その向こうで、リーチャが頬を赤らめる。
「話が見えていないのですが、ご説明を」
「夫婦円満の十か条のひとつ、背中を流し合う、でしょう?」
「そういえば、十か条をまだ全て聞いてませんでしたね」
「そうだったわ!」
「で、背中を流し合う、がそのひとつなんですね」
「そうよ! いったいいつになったらお流しになるのかしら?」
胸の前で腕を組みなるべく怖い顔を作るクラーラは、全く怖くなくとんでもなく可愛いのだがこれはもしかして怒っているんだろうか。膨らませた頬をつついてみてもいいだろうか。
「……クラーラ、言ってる意味分かってる?」
ジューリオにしてはめずらしくくだけた口調にクラーラは思わず頬が緩んで、えへ、と笑ってしまう。すぐに口元を引き締めたが、遅かった。
「えっと……」
「背中を流す、がどういう意味か知ってる?」
「んー、そうね……」
手をふわふわと彷徨わせた後、クラーラは両手をジューリオの背中にあて、すばやくジャンプしてくるりと回転し、再び両手を背中にあてた。
「こうかしら! 今のは初めてにしては結構上手に流せたと思うわ!」
口元を押さえ細かく震えるリーチャが、失礼します……、とよろよろと部屋を出て行った。
何、今の。
やばい。クラーラが可愛すぎる。めっちゃ可愛い。ほんとは知らないのに知ったふりしてるの可愛い。今、もしかしてジャンプしたんじゃないか。しかも、回転したぞ? ちょっと何なんだ、この自慢げな表情。何故こんな顔できるんだ。もう無理、めっちゃ可愛い。可愛いしか出てこない。
ジューリオはクラーラをぎゅうと抱きしめた。さらに腕に力を込め、再び抱き上げた。
「知らないのなら、これから教えてあげましょう」
「え!? どこへ行くの?」
ジューリオはクラーラを片手で軽々と抱き上げたまま、スタスタと部屋の奥へ歩いて行く。
「背中を流す、とは、風呂で相手の背中を洗うことですよ」
クラーラがきょとんとした後、ぼんと音が出るほど顔を真っ赤にする。
「お風呂!? きゃぁぁぁ、下ろして! 下ろして! ジューリオ!!」
「夫婦円満の十か条は守らなければいけないのでしょう?」
「努力目標ですぅぅぅ」
次の日の朝、クラーラは意味ありげな視線を送ってくるリーチャに、
「昨日のはちょっとジューリオをからかっただけよ。あの後、二人でケーキを食べただけだから!」
と、聞かれてもいないのに早口で説明したのだった。
ちなみに「夫婦円満の十か条」は、第12話ラブレターの回でグレタに教えてもらったやつです。




