アスティ兄弟
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近付きつつある完結までどうかお付き合いください。
明くる日、ジューリオは王城の廊下を歩いていた。明日のエルネストの視察の為、馬車と護衛の依頼をしに各部署を回っていた。エルネストの視察は突然決まる。事前に知らせていては、普段の様子が見られないからだ。だから効率よくいろいろな部署を回らなければ間に合わない。頭を働かせ全ての段取りを整え終えたので、やっと息をついたところだった。
昨夜のクラーラはとても可愛かった。
食堂の夫婦にからかわれたのであろう十か条をクラーラは真面目にメモに取り、それを忠実に守ろうと思っているらしい。それも自分とこれから先の人生を円満に過ごして行きたいと思っているからこそと思えば、自然と頬が緩んでしまう。王太子の護衛騎士がにやついている姿を見せるわけにはいかない。ジューリオは顔を真っ赤に染めた愛らしい昨夜のクラーラの姿を脳裏から打ち消し、騎士らしく不審者の存在を探るように廊下の端々に視線を這わせた。
ふと、近づいてくる気配に気づき、足を止める。
走って追いかけてくる足音。気配を消すわけでもなく、ジューリオに近付いてくる。
「ジューリオ! 待って!」
「兄さん?」
廊下の向こうから駆けてくるのは、兄のエンリーコだった。そういえば兄に会うのはいつ以来だろう。
ジューリオの両親は遠い領地の屋敷にいるが、兄は王都の屋敷に妻と息子と住んでいる。アスティ家は昔から政治の中枢には関わってはいないが、それなりに仕事はしているので兄はたまに王城へ出仕している、らしい。ジューリオと髪と瞳は同じ色だが、文官らしくひょろりとしていてあまり似ていないので、兄弟だと気づかれることはほとんどない。
両親に手紙を書かなければ、とは思っていたが、兄のことはすっかり忘れていた。クラーラとの結婚のこと、近々行われる婚約式のこと、兄に言って両親に伝えてもらえばいいではないか。
「ジューリオ、良かった。ずっと会いたくて用もないのに王城をうろうろしていたんだけど、なかなか会えなくて。そろそろ不審者扱いされるところだったんだ」
「面会希望を出してもらえれば」
「出した時に限って、お前は王太子と遠くへ出かけていて……まさか私が王太子の執務室を訪れるわけにもいかなくて」
微妙に運がなくて、微妙に遠慮しいの兄。昔から全く変わらないことにどこかほっとしつつ、笑ってしまった。
「ちょうど良かった、実は……」
「待て! こんな立ち話で済む話じゃないことを言おうとしていないか?」
「しかし、応接室を借りるほど時間がないんだ」
「そういうことじゃなくて、もっと早く言ってくれよ、ってことだよ……。どうして弟の結婚を王城の侍女の立ち話から知るんだ。しかも、お相手がおいそれと口に出せるお方ではないなど……」
「第三王女のクラーラ殿下と結婚することになった」
「友達の家に泊まるから晩ご飯いらない、みたいなノリで言うな!」
「どんなノリだ」
「ひっそりと暮らしていたアスティ家は今、てんやわんやの大騒ぎだ。領地で父さんと母さんが文字通りひっくり返ったぞ。しかも来月婚約式があるというじゃないか」
「来月だったか」
「お前、相変わらず自分のことになるとてんでダメだな。俺たちは陛下に御目通りするなど、せめて半年前から言ってくれないと心の準備ができないんだよ」
でしゃばらず野心もなく平和主義な伯爵家。こういうところが王家にも気に入られてクラーラとの結婚が問題なく進められた。ジューリオはほんの少しだけ、善良な家族に感謝した。本当にちょっぴりだが。
「とりあえず、おめでとう。大変だろうが、幸せにな」
「ありがとう、兄さん。父さんと母さんにも来月宜しく頼むと伝えておいてほしい」
ジューリオの肩を叩いた後、軽く手を上げて兄は廊下の向こうへ消えて行った。
手紙を書く手間が省けて良かった。淡々とそう頭の中を整理し、ジューリオはエルネストの執務室へ向かった。この後向かう視察先の帰りに、ケーキでも買って帰ろう。リスの様にお菓子を頬張るクラーラの顔を思い浮かべ、どうしても緩んでしまう口元をぐっと引き締めた。たまたますれ違った文官が、睨まれたのだと思って、ひぃ、と声を上げた。
あれ以来、ジューリオとクラーラはただいまとおやすみのキスを欠かさないようになった。リーチャは気を利かせてジューリオが訪れるとすぐに部屋を出るようにしてくれているし、ジューリオも二人きりの時だけはクラーラ、と呼んでくれるようになった。夫婦円満の十か条を守ってくれようとするジューリオが、クラーラとこれからも仲良くしていきたい、と言ってくれているようで、とても愛されているような感じがしてとてもこそばゆい。
クラーラは今日の午後は王妃と二人きりのお茶会に呼ばれていた。王妃の私室で行われたお茶会は、気心の知れた侍女も交えて大変盛り上がったものだった。最近やたらと機嫌の良いクラーラから、ジューリオと毎日とても仲良く過ごしていることを聞き出した王妃は自分のことの様に喜んだ。
「ジネビラ様、長々とお邪魔してしまって申し訳ありません」
「あら、引き止めたのは私の方よ。若い二人のイチャイチャを聞けてすっかり若返ったわ」
王妃のテカテカと張りのある頬は、本当に若返ったのかと思わせるほど輝いていた。
「帰り道なんだから、エルネストの執務室も寄って行きなさい。ジューリオもいるでしょう」
「お仕事中にお邪魔してはいけないので」
「いいの、いいの。大丈夫よ。ちょっと、あなた。エルネストにクラーラの訪問の先ぶれを出しておきなさい」
「は」
王妃の部屋の護衛騎士の一人が礼をして、駆け出していく。
「ありがとうございます。では、寄らせていただきますわ」
「ええ、いってらっしゃい。またねクラーラ」
クラーラはゆっくりと歩いてエルネストの執務室に向かう。前後には護衛騎士が歩いている。二人はクラーラの歩幅に合わせて自然に歩いてくれている。途中、先触れを出しに行った騎士とすれ違い、訪問の許可を得た。
騎士の開けたドアを覗き込むと、すぐそこにジューリオがいた。
「ジューリオ!」
「ようこそ。エルネスト殿下とアウギュスト殿下がお待ちです」
執務机にエルネスト、ソファにアウギュストが座っていた。クラーラは挨拶もそこそこに、ジューリオの手を取り、ぶら下がるようにしてくるくる回った。スカートがひらりと舞って、踊っているようだった。
「ごきげんのようだな、クラーラ」
エルネストが笑う。くるりと回った勢いでクラーラはアウギュストの向かいの席に座った。
「ええ、今ジネビラ様とお茶会してきたの。とっても楽しかったわ」
「お茶会帰りか。じゃあお菓子はもういらないね」
「いただくわ! エルネスト兄様のお部屋のお菓子はいつも美味しいんだもの」
クラーラは手を伸ばし、自分で勝手に紅茶を用意した。今日のジューリオはエルネストの傍で資料を整理している。壁際にはいつも通りカルロが立っている。クラーラはアウギュストとお菓子を食べながら、他愛もない話をした。
「お菓子も食べたし、そろそろ部屋に戻るわ。兄様のお邪魔をしても悪いし」
「あまり構ってやれなく悪いな」
エルネストが書類から顔を上げて言った。忙しそうなエルネストに対して、アウギュストはまだお菓子を食べている。
「じゃあ、ジューリオお仕事がんばってね! 兄様も!」
何度も振り返りながらジューリオに手を振ってクラーラは執務室を出た。
さて、この後どうしようか、と思ったが、素直にまっすぐ部屋に戻ろう。面倒な貴族に会ってしまうとやっかいだ。
来た時と同じように、前後に護衛騎士を携えてリーチャの待つ部屋に戻った。




