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始まった日常

「クラーラ様、洗濯物取り込みに行きますけど、一緒に行きますか?」

「行くわ!」


 侍女のリーチャと一緒に中庭に向かう。

 王城には専用の広い干し場があるのだが、誰も来ない日当たりの良い中庭が近くにあるのに使わないのはもったいない、とそこを洗濯物の干し場にした。勝手に決めたのでエルネストにバレると怒られるだろうが、きっと彼はこんな小さな中庭には来ないので大丈夫だろう。

 離宮で仕えていてくれた侍女たちの半分は王城で新しい職を与えられ、半分は結婚して退職していた。クラーラの侍女を再編成する際に、リーチャは一番に立候補してくれた。他にも、新しい職場で活躍していたにもかかわらずクラーラの元に戻って来てくれた侍女たちが数人いる。

 本来なら侍女は高貴な方の身の回りの世話をするだけで、洗濯や掃除はしない。城内には専門の職の者がいるからだ。しかし、離宮ではダニエラやクラーラが率先して家事をするので、侍女たちもやることになる。それは自分の仕事ではない、と辞めてゆく者も多くいたが、リーチャたちは快く一緒に働いてくれていた。だから、今でも一緒に掃除したり洗濯をしたり、以前と変わらない生活を送ることができている。


 乾いた洗濯物を取り込むついでに、リーチャと花壇のレンガに腰かけ少し日向ぼっこをした。リーチャはクラーラのいない間の王城の話を聞かせてくれた。

 木陰にいるものの、風に揺れる葉の隙間から差す陽光がまぶしい。ガサガサっと枝の揺れる音がして、見上げると緑色の小柄な鳥が飛び立つところだった。


「ああ、もうすぐ春がきますね」

「まだ寒いわよ」

「あの鳥は春が来る前にやってくる鳥ですよ。何て名前だったかしら」

「うふふ、ちょっと気の早い鳥ね」

「春だけじゃなくて、幸運も呼んでくる鳥なんですよ。いいことあるかもしれませんね」


 リーチャは洗濯籠を抱えて立ち上がった。クラーラもそれに続く。


「リーチャに良い出会いがあるかもしれないわね」

「しばらくは要りませんわ。それにせっかくクラーラ様とまた一緒に過ごせることになったのですから」


 リーチャは街のとある商店の親切な店員に惹かれていたが、彼は既婚者だったらしい。告白したりしなくて良かった、と言っていた。

 部屋に戻ると、エルネストからの手紙を届けに来た文官が待っていた。お礼を言って受け取り、手紙を開いた。


「やったわ、リーチャ。厨房の使用許可が出たわよ」

「さすがエルネスト殿下! 手際が良いですね!」

「洗濯物をたたんだら、さっそく見に行きたいわ。材料を確かめたいの」

「何を作られるんですか?」

「まずはお菓子かしら。簡単なものから」

「では、この後、厨房に訪問の知らせをしてまいりますね」

「お願いするわ」




 ジューリオは王城の廊下を一人歩いていた。いつも使う回廊を通り過ぎ、王族の私室のある棟へ入った。近衛騎士の中でも、王族の専属護衛はこの棟への立ち入りが許可されている。


 バジョーナ国から帰国した後は、以前と同じようにエルネストの傍に仕えている。相変わらず自ら様々な場所へ赴いて行くエルネストに同行しているので、ほとんど外出ばかりしている。それでもクラーラがいると思えば、以前にもまして無事に王城へ戻ろうと思うようになった。


 警備の騎士に軽く手を上げて挨拶を交わし、人気の少ない区域へ入った。ここには現在クラーラが住んでいる部屋がある。

 ドアの前で立っている騎士がジューリオに気付き、手を振る。


「クラーラ殿下の部屋はここだよ」

「殿下はいらっしゃるのか?」

「侍女はさっき出て行ったから、中にお一人でおられるよ」

「一人か」

「いいんじゃね? 殿下が呼んだんだから」


 騎士はそう言うと、勝手にドアをノックし中にいるクラーラにジューリオの来訪を告げてしまった。

 慣例通り扉を開けたままにし、ジューリオは部屋に一歩足を踏み入れた。


「失礼いたします。お呼びでしょうか、殿下」


 部屋は広かったが家具は少なく、奥の寝室につながるドアの方へ寄せて置いてあるので、入り口側はがらんとしていてアンバランスだった。いかにも仮住まいという雰囲気である。応接セットや飾り棚は見覚えがあった。離宮で使っていた物だろう。


「お忙しいのにお呼びたてしてしまってごめんなさい」


 ソファの向こうに立っているクラーラがふわりと笑った。

 昔、離宮で兄を待っていた時の笑顔と同じだった。彼女が自分を待っていたという事を、ジューリオはとても不思議に感じた。


「座ってちょうだい。今、お茶を淹れるわね」

「っ、いえ、私がやります」


 慌てて踏み出したジューリオをクラーラは手で制した。


「いいえ、は禁止って言ったでしょう、アスティ様」

「……恐れ入ります」


 居心地悪そうにソファに座ったジューリオはちらりと開いたドアの方を見た。騎士は話が聞こえないように少し離れて立っているようだ。


 ジューリオの前に紅茶を置いたクラーラは、向かいのソファに腰を下ろした。湯気の向こうで、ジューリオが緊張した面持ちで紅茶を見つめていた。

 クラーラはワゴンに手を伸ばした。


「ハンカチありがとうございました。洗っておきました」


 紅茶から目を上げたジューリオが少しだけ困ったように笑った。クラーラが手にしているのは、銀のかわうそでクラーラが涙した時にジューリオが貸してくれた白いハンカチだ。


「そのまま捨ててくださって良かったのに」

「そんな! 捨てませんよ!」

「たくさんあるので」


 ハンカチを受け取ったジューリオが遠い目をした。クラーラは首を傾げた後、もう片方の手に持っていた物を差し出した。


「あと、これはハンカチのお礼です。厨房の使用許可が出たので、私が作ったんですよ」


 クラーラの手には、オレンジのリボンを巻かれた小さな紙袋があった。


「ナッツの入ったクッキーなんですけど……、さっき侍女のリーチャにも味見してもらったから、大丈夫なはず、です」


 真顔のジューリオの手からハンカチがするりと落ちた。あわててハンカチを拾った後、紙袋を受け取った。


 エルネストやアウギュストが離宮に遊びに行った時、クラーラはよく手製のクッキーやマフィンをお茶うけに出していた。その余りが護衛騎士や警備の騎士に振る舞われることもあり、ジューリオも何度か御相伴に与ったことがあった。


 俺のために殿下が……。


「ありがとうございます。今すぐ宮廷画家の元へ行ってこの愛らしい形状と高貴な香りと例えようのない感動の一瞬を描き留めてもらい、家宝として末代まで」

「落ち着いて、アスティ様。そして普通に食べて」


 ジューリオが片手で口元を押さえながら紙袋を見つめている。真顔で取り乱すほど喜んでもらえたようなので、クラーラはほっとした。そのついでに、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。


「あの、そのハンカチの刺繍、とっても素敵ですね」


 ジューリオが貸してくれた真っ白なハンカチは、ほぼ新品だった。一目見ればすぐにわかるほど高級な絹のハンカチには、とても繊細な刺繍が施してあった。そしてそれは誰かの手製であることは間違いなかった。


「ああ、これは」


 ジューリオが手のひらの上にハンカチを広げた。


「今のアスティ領は刺繍が盛んでして」

「え? では、それはお家の領地からのものなの?」

「はい。……母が、配って宣伝しろ、と定期的にハンカチを大量に送ってくるのです。と言われましても、男からそんなものを渡されて喜ぶ者などいませんので、部屋にどんどん溜まっていく一方で」

「だからさっき捨ててもいいっておっしゃってたのね」


 クラーラは密かに胸をなでおろした。もしかして恋人から贈られた物なのかもしれない、と思って、どうにももやもやとしていたのだ。


「アスティ領は昔から綿花を育てており、紡績業で成り立っておりました。綿花だけでなく絹や麻にも手を広げ、加工して売り出したのですが、付加価値をつけるために刺繍を加えるようにしたのです」

「へえ。そうなのね。ごめんなさい、私あまり貴族の方の領のことまでは勉強不足で」

「うちは領も遠く、目立たない貴族ですので、当然です」

「お母様も刺繍をなさるの?」

「ええ、アスティ領の女性は子供の頃からたいてい刺繍を学びます。昔は女性ばかりだったのですが、今では男性の刺繍職人も増えてきましたね」

「へえ、刺繍は基本的なことは習ったけれどあまりやったことがないわ」


 クラーラは紅茶のカップを両手で持ってその香りを楽しみながら目をつぶった。

 まぶたの裏にぼんやりと楽し気な風景が浮かび上がる。繊細な刺繍の入ったスカートを履いた女性たちにまじって、筋骨隆々のいかつい男性が小さな針を楽器を奏でるように優雅に動かしている。そして彼が完成した作品を太陽に掲げながら言う。


『か・ん・せ・い~! 最っ高の出来だわ~』


「……ふあっ!!」

「クラーラ殿下!?」

「何だかおかしな白昼夢を見ていました……」


 夢から覚めたクラーラは、軽く頭を振って頬を叩いた。


「いつか行ってみたいですわ。刺繍職人さんの仕事しているところを見てみたい」


 クラーラは誰に聞かせるわけでもなく小さくつぶやいた。


「そうですね……いつか、機会があれば……」


 ジューリオも、同じように、つぶやいた。


 叶わないことだと十分わかっていた。王女が気軽に特定の貴族の領を訪れるわけにはいかない。しかもアスティ領は王都からはかなり遠いのだ。


 クラーラは途切れそうになった会話をつなげるように、エルネストの最近の様子を尋ねた。ジューリオがそれに簡潔に答え、しばらく当たり障りのない会話をした後、彼は帰っていった。

 ジューリオと入れ替わるようにリーチャが部屋に入ってくる。きっと、ジューリオが帰るのを待っていてくれたのだろう。

 リーチャが淹れてくれた紅茶で、一緒にクッキーを食べた。クラーラの手元にあるのは固くなってしまったり焦げてしまった失敗作ばかりだったが、味は美味しかった。二人で笑いあって、いつものゆったりとした静かな時間が戻ってきた。




背負い投げ~~

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