早合点護衛
国王との対面はあっけなく終わった。王妃様は何をしでかすかわからないのでこれまた隔離されていたらしい。
慰謝料もたんまりもらったしあとは帰るだけ、とアウギュストがソファに寝転がった。クラーラはこの国での日々を惜しむように窓から外を眺めていた。
慰謝料の相場がどれくらいかはわからないので、すべてアウギュストに任せた。兄の様子を見るに相場よりずいぶんと多めにもらったらしい。しかも、公爵からも慰謝料が支払われるらしい。うちの国はそんなに守銭奴だったかしら、と首を傾げていたら、アウギュストにこれも作戦のひとつだからね、と意味深なウインクをいただいた。
ふと目線を上げると、再びガラスに映るジューリオと目が合う。彼はあまりクラーラを正面からまっすぐに見てくれないけれど、後ろ姿は見てくれているようだ。公爵だったらキモいけど、どうしてだろう、彼だったらうれしいと思ってしまう。
そんなことを考えながら窓を指先でつついていると、気付いたらジューリオが背後に立っていた。
振り向くと、彼は意を決したような表情でクラーラを見つめていた。
「アスティ様?」
「……殿下は、このままバジョーナ国を出てしまっていいのですか?」
ジューリオが小声で、しかしはっきりとした口調で尋ねる。
「え?」
「その、会いたい人など……いらっしゃるのでは……。もしくは、この国を出たく……ないのでは」
ジューリオはそれだけ言うと、さっと目線を横に外し、黙り込んでしまった。
「えっと、銀のかわうその皆さんにはお別れの挨拶できればいいな、とは思ってますけど……」
体の向きを変え、ジューリオに向き合う。背の高い彼を見上げれば、何かを言いかけて口を閉じ、拳を口に当てて横を向いてしまった。それでも次の言葉を待ってクラーラがじっと見つめると、すっと背筋を伸ばし騎士の礼を取った。
「出過ぎた真似をいたしました。申し訳ありません」
「いえ、何も……」
ジューリオが下がろうとすると、アウギュストがソファからゆっくりと起き上がった。
「こないだからさあ、クラーラが国に帰りたくないんじゃないか、ってやたらと心配してるよねえ、ジューリオ」
「いえ、そのようなことは。ただ……別れの挨拶もできないままでは、と思っただけで……」
アウギュストがソファの背ごしにじとっとジューリオを睨む。ジューリオは感情の読み取れない無表情でそれを返す。
「何か知っているな、ジューリオ」
「いえ、何も知りません」
「言えよ」
「女性のお心に配慮しない行動はおやめになった方がよろしいのでは」
ジューリオが声には出さず、口の動きだけで伝える。
―――キモい。
「うっ……」
アウギュスト撃沈。
「アスティ様、何を……ご存じなの?」
「いえ、何も」
「絶対何か隠してるお顔ですわ。気になります、私の何をっ、隠してますの? 私、そんな知られて困るようなこと……あったかしら」
クラーラは片手で口を隠し小声で言った。ジューリオは少しだけ目を見開き一瞬考えた後、背を丸めてクラーラにだけ聞こえるよう言った。
「申し訳ありません、暖炉で手紙を拝見してしまいました」
「ひっ……!」
クラーラがびくりと肩をゆらして息を呑む。それを見てジューリオはせつなげに眉をひそめた。
「はっきりとは読んでいません。ちらっと、見えてしまって」
「違うんです!!」
手紙って、手紙って、まさかミーア様のラブレター!? あれは全部暖炉で焼いたはずなのに! まだ残っていたってこと!? ちょっと待って、まさか夜中にノリノリで書いたアレじゃないわよね!?
クラーラはジューリオの腕を両手で掴み、がくがくと揺さぶった。
「あれは私が書いたんじゃないんです、いえ、確かに私が書いたラブレターではあるんですけど、私のラブレターではないんです、とにかく違うんです! 誤解です!」
「えっ、クラーラ、ラブレター書いたの!?」
「めっちゃ気になる!」
再び飛び起きたアウギュストに続きめずらしくカルロまでが声を上げた。
「……確認してもよろしいでしょうか」
「え!?」
ジューリオが懐から畳まれた便せんを取り出した。
「いやーーーーーー!! 持ってるしーーー!」
便せんを取り戻そうとクラーラがジューリオに飛びつき手を伸ばしたが、一瞬早くアウギュストが取り上げた。飛びついてきたクラーラをとっさに受け止めたまま、ジューリオは顔を赤くして固まっている。
「どれどれ、……ん? これは……」
「はわわ……せめて、せめて朝に書いたバージョンであれぇぇぇぇ……!」
アウギュストは手紙を見て首を傾げ、クラーラがジューリオの胸に顔をうずめて悶え、ジューリオは両手をさまよわせながらひたすらおろおろし、そんな二人をカルロが生温かく見守っている。そんな光景を、キエガ公爵の見送りを終えて戻ってきたディートハルトがドアの隙間から覗いていた。
「巻き込まれる予感しかしない……!」
「あっ、ディートハルトさん! 説明してください! これは私が書いたけど私のラブレターではないって」
「訳分かんないけど、分かっちゃうのがつらい!」
クラーラに引きずられるようにして部屋に連れ込まれたディートハルトは、アウギュストと目が合った。
「あ、お前の顔見たら思い出した。これだ」
アウギュストもまた懐から細長い封筒を取り出した。
「ええっ!? どうして兄様がそれを!?」
「ははあ、何となくわかってきたぞ」
「ミーア様の王子様が、まさか本物の王子様だったなんて! しかも兄様!」
「いやあ、俺の魅力は尽きるところを知らないよね。それはさておき、見比べてみようか」
テーブルの上にはミーアの書いたラブレターとクラーラの書いたラブレターが並んで置いてある。それを5人が取り囲むようにして眺めている。
「クラーラ様が清書したラブレターを手本に、ガッロ男爵家のミーア嬢がアウギュスト殿下にラブレターを書きました。私の目の前で書いたので、間違いありません」
「な、内容は、ミーア様が書いたものです。私はそれを清書しただけで」
ジューリオが持ち出したラブレターは、夜中の情熱バージョンではなかった。クラーラは密かにほっと胸をなでおろした。
「どうも見覚えのある筆跡だったが、いかんせん癖が強くてすぐには気づけなかった。だからこれだけは別にして保管していたんだ。こうして比べて見ると、確かにクラーラのものを真似しようとしているのはわかるな。ふうん、そしてこれをちらっと見たジューリオが、クラーラは想い人がいる、と勘違いしたってわけか」
「申し訳ありません」
ジューリオはそう言いながらも涼しい顔をしている。ちょっと安心しているようにも見える。
「アウギュスト殿下、これは困ったことになりました」
腕を組みながらじっとラブレターを見つめていたカルロが、低い声で言った。
「どうした、カルロ。何か気づくことがあったか」
「いえ、殿下がこのラブレターだけを大切そうに保管していたようでしたので」
「ああ」
「国に報告してしまいました」
「ん?」
「これといって特定の女性を大切にしたことのない殿下がやっとその気になりました、と」
「は?」
「ああいうタイプが好きなようだ、と」
「え」
「今頃きっと、殿下の執務机の上は十代前半の貴族令嬢たちの釣書が積みあがっていると思います」
「おおおおお前っ、俺がロリコンだって報告したのかっ!?」
「端的に言うとそうですね」
「アホかーーーー! 取り消せっ! 今すぐ、間違いだったと訂正の連絡をしろーー!」
「明日帰国するのですから、いいじゃないですか」
「よくないだろっ! 早くしろっ」
「きっと我々の方が先に着いちゃいますよ」
「お前何開き直ってんだよ! 今すぐ馬で行け! 休憩も取るな! 寝ずに走って訂正してこい!!」
「ははは、殿下は本当にユニークな方だ」
「カルローーーーーっ!!」
大騒ぎしている二人にすぐに飽きたディートハルトが、主にアウギュストが散らかした荷物を片付け始めた。カルロがやるはずだった荷造りをやってくれるようだ。
「クラーラ殿下、余計なことをしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
ジューリオが気まずそうに頭を下げた。
「いいんです。誤解だったと分かってもらえたなら」
スカートの横に付いているリボンをくるくると指で弄ぶ。頬がふにふにと勝手に動いてしまってきっと今変な顔をしている。ジューリオの目を見てきちんと話したいのに、顔を上げることができない。
「アスティ様が、私の気持ちを優先してくれて、とても……嬉しかったわ」
何とか表情を取り繕って顔を上げたら、今度はジューリオがまた拳を口に当てて横を向いてしまった。
「私は人の性的嗜好を否定するようなことはいたしません」
「だからそもそも違うって言ってるんだ」
「殿下がさっさと婚約者をお決めにならないからこんなことに」
「兄上にいないのに俺が先に決めるわけにはって、あっぶねえ、何でさらっと責任転嫁してんだよ」
「ごまかされませんか」
「ざけんなお前」
アウギュストが疲れたようにソファに腰かけ、カルロがその後ろに控える。ディートハルトがすかさず紅茶の用意を始めた。
国王と王妃が政略結婚にこだわらず、王子には自分で選ぶようにと宣言したので、エルネストとアウギュストにはまだ婚約者はいない。運命の出会いを待っているわけではなく、王子妃の座を狙う肉食令嬢たちに辟易しているのだ。
ジューリオがまだ騒いでいる二人の方を向く。その目が何かを耐えるようにわずかに細められていたが、後ろにいるクラーラからは見えなかった。
王女は国の役に立つために存在している。
クラーラは役に立ったのだろうか。
アウギュストはバジョーナ国に大きな貸しを作ったんだから大成功だ、って言っていたけれど、大金を巻き上げている。そういう不満はいつか積もり積もって大きな反発の火種とも成りうる。
国に帰ったら、今度こそ国の為にどこかへ嫁ぐことになるだろう。きっとおかしな相手は選ばれないだろうけれど、クラーラは言わば出戻り姫みたいなものだ。こんな外聞の悪い女を望む人なんて、よっぽど王家とのつながりがほしい人だけだろう。
王女は自分で何かを望んではいけないのだ。
与えられたものを粛々と受け入れるだけ。
ジューリオの広い背中を見つめながら、クラーラは考えるのをやめた。




