病弱設定の理由
誤字報告ありがとうございました!
クラーラは思わずぽかんとした。何だ一体、突然何の話だ。あわてて口を押さえ周りを見回したが、驚いているのはクラーラだけだ。
「討つって、それって」
「現在他国に滞在している王太子が近々帰国する予定です。留学と銘打ってはおりますが、実際は協力を得るために他国を回っているのです。我々、有志は王家の国家の私物化、密輸の証拠を揃えました。そして此度の大国コラフラン王国への不敬と殿下の暗殺未遂。王の座から引きずり下ろすには十分すぎます」
「そんな大変な話、ここで話していいんですか!?」
クラーラは両手を口元に添え、小声で言った。ここは王城で、言わば国王のお膝元である。
「大丈夫です。すでに城は我々が押さえております」
公爵は輝く笑顔で答えた。言いたいことを言ってすっきりしたのか、美味しそうに紅茶を飲んでいる。
戸惑うクラーラの隣で相変わらず偉そうにふんぞり返っているアウギュストが、足を組み直してクラーラに話し始めた。
「俺は始めこんな国つぶしてしまおうか、と思ったんだが、公爵がこの計画を打ち明けたんでね、一応待つことにした。ただ、彼を信用したわけではない。俺たちが帰国した後、本当に計画通りに実行したかどうか次第だね。クラーラの処遇だが、俺たちの聡明な兄上が筋書きを用意してくれた。
嫁に来たクラーラだったが、バジョーナ国イネス王女の公爵への真摯な想いにうたれ、快く妻の座を譲った。そのままバジョーナに留学し主に食文化について勉強し、友好を深めて帰国となったのだった。
ってね。俺は正直に全部言っちまえばいいのに、って言ったんだけどね」
「食文化を勉強……」
「物は言いようってね」
アウギュストの言葉に間髪を入れずに公爵が続ける。
「こちらの体裁も保っていただき、誠に痛み入ります。この後、国王が王家有責であると認め、婚約破棄の慰謝料を支払う旨の書類にサインをいたします。宰相はこちらの人間ですので、国王が拒否したとしても手続きは可能です」
もうすでにいろいろな筋書きが出来上がっているのだろう。公爵のシナリオは進み始めているらしい。
「イネス王女はどうなさるおつもりですか。王家を討ったあなたの妻としていられないのではないですか?」
公爵が、おや、と言うように眉を上げた。
「殿下はお優しいですね。全ての元凶の彼女の心配をなさるとは。イネス王女は現在、私の別荘で優雅に過ごしております。冬の寒さが嫌だ、と言うのでね、比較的温かい南方にある別荘を提供いたしました。自分の父を王の座から引きずり下ろしたのが私だと知れば、きっともう私の元へは戻ることはないでしょう」
会ったことはないけれど、公爵の口ぶりからは王女は相当傲慢な性格のようだから、計画をひっかきまわされないように遠くに隔離したのだろう。もしかしたら自分の父親が失脚する姿を見なくてすむように、という配慮かもしれない。公爵は見た目は優しそうだが、けっこう腹黒っぽいし。どちらだろう。
クラーラの身の安全のためにクラーラの失踪を利用した、と言ってはいるが、多分それすらも方便であろう。クラーラは王家を引きずり下ろす道具のひとつにされたにちがいない。公爵家が質の悪い侍女を雇う程、人手不足であるわけがないのだ。
クラーラがうなっていると、公爵がくすりと小さく笑った。そして、最初の時のようなうっとりと蕩けるような瞳で見つめてきた。
「それにしても、クラーラ殿下がこれほどまで美しく聡明な方だったとは。危険を冒してでも会いに行くべきだった、と後悔しております。……いかかですか、この国が落ち着きましたら、今度こそ正式に私の妻になっていただけませんか」
クラーラがきょとんとする。横の方からものすごい殺気が漂ってくるが、これはアウギュストのものか、ジューリオのものか。もしかしたら両方かもしれない。
クラーラは拳を顎に当て、わずかに首を傾げた。
「公爵様、ご冗談を」
「いえ、本気です。今までの非礼をひとつひとつお詫びし、誠心誠意殿下に愛を捧げます。そもそもコラフラン国王陛下と王妃殿下に頂いたご縁を無碍にすることはできません。たくさんの障壁を乗り越え、一年かけてやっと出会えたのはやはり運命。我々はきっと赤い糸にたぐり寄せられたのでしょう」
公爵は胸に手を当て、運命の出会いにしみじみと感じ入っている。
こんな美しい人に運命の人だなんて言われたら、そりゃあ誰だって心が動くわよねえ。
クラーラはとても冷めた心でそう思った。なぜだろう、とても自分の話とは思えないのだ。
「公爵様、しっかり目を開いてよーく考えてみてください」
クラーラの冷静な声に、公爵がぱちりと目を瞬かせる。
「あなたはディートハルトさんから私の様子を聞いて私のことをよく知っている気になっているかもしれませんけど、私はあなたのこと、お名前と身分以外これっぽっちも知りませんのよ。会いにくることができなくったって、手紙なり執事に伝言を頼むなりできましたわよね。隠れて守ってくれるよりも、一言、お言葉を頂いた方がよっぽど安心できましたわ」
公爵ははっとしたように肩を震わせた後、顔を背けて目を伏せた。自分の気配りの無さを憂うような大げさなその仕草に、クラーラの意地悪な口は止まらなくなる。
「公爵様はきっとその麗しい美貌でたくさんの方に配慮されて生きてこられてお気づきではないようですから、教えて差し上げますけど」
「クラーラ、やめ……」
口を押さえようとしてくるアウギュストの手をぱしりと叩いて、クラーラは声を張った。
「ディートハルトさんが私の様子や行動をあなたに報告していたそうですわね。それを聞いて、私、思いましたの」
名前を出されたディートハルトが何を言うつもりだ、と身構える。
「気持ち悪ーいって」
貼り付いていた公爵の作り物めいた笑みが、ぴきりと引き攣った。
「気持ち、悪い」
「ええ、とっても気持ち悪いですわ。ご存じですか? 市井の若い女の子たちの言葉で言わせてもらうと……、公爵キモーーーいっ! ……ですわ」
自分を否定する言葉など、生まれてこの方言われたことなどないのだろう。公爵が背負っていた薔薇がしおしおと萎れていく。
「お、女の子ってむずかしい……」
アウギュストがつぶやいた。アウギュスト、ジューリオ、ディートハルトが胸を押さえて若干青ざめている。愛娘にキモいと言われないように日々努めているカルロだけがほっとしたような表情をしていた。
「知らないところで自分の行動を監視されているなんて。女性の心に配慮もできず、キモい行動をしておいて、運命とか赤い糸とか、一体どんなおつもりでおっしゃっているのか理解に苦しみますわ」
クラーラはにっこりとほほ笑むと、紅茶をぐびぐびと一気飲みした。あーすっきりした。
いつの間にかディートハルトが近づいてきていて、おかわりの紅茶を淹れ始めた。三人の前に新しい紅茶を置き、肩を落として元の場所へ戻っていく。公爵とアウギュストが同時に紅茶に手を伸ばした。
「だからクラーラはあまり人前に出せないんだ」
「私は本気で運命だと思ったんですけど……」
「まあ、当てにならない勘ですこと。今度からは何かを決める時は一度人に相談して冷静になってからの方がよろしいですわ」
「クラーラ、もう黙って……」
その後、宰相の側近が呼びに来て王の間へ案内された。
大理石の床に真っ赤な絨毯。靴が沈むほどの毛足は正直歩きにくかった。この国はソファといい絨毯といい、使いやすさよりも見た目を重視するらしい。部屋の装飾も派手だったが、国王の服装もまぶしいほどきらびやかだった。
若干青ざめた国王が、宰相の用意した書類にサインをする。あまりにもあっさりとしたやりとりにアウギュストが拍子抜けしていた。クラーラはいつもの儚げ設定に戻ったので、兄の背中に隠れるようにうつむいている。
それでもちらりちらりと周りの様子を窺うと、宰相と目が合った。宰相は頭の禿げあがった痩せた老人だった。目だけがぎらぎらとしていて、とても機嫌が悪そうだった。しかし、クラーラを見る目には敵意はなく、厄介事ばかり起こす国王に対して怒っているようだった。
周りに控えている貴族たちは無表情で冷ややかな視線を国王に向けている。公爵が王城を占拠していると言っていたのは、本当のようだ。
キエガ公爵は宰相の隣で書類の確認をしたり他の側近に指示を出していた。書類を指す指先まで優雅な彼は、仕事をしていればとても素敵だな、と思った。仕事をしていれば……。
町娘の時に覚えた言葉を使いたがりのクラーラでした。




