愚かな国
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翌朝、ディートハルトはちゃんとクラーラのドレスを部屋まで運んでくれた。
「ありがとう、ディートハルトさん。眠そうね」
「ええ、あの後キエガ公爵邸へ帰ったんですけど、父に昨日の顛末を報告して、それから公爵につかまっていろいろと聞かれて……」
「クラーラこそよく眠れたなー」
「王族たるもの、どんな状況でもベストコンディションじゃないと。とはいえ、もうあのベッドはこりごりですわ。はやくコラフランに帰りたいわ」
壁際に控えているジューリオがちらりと目線だけでクラーラを見た。それをアウギュストは見逃さなかった。
アウギュストとクラーラはのんびりと遅い朝食をとっている。クラーラは実はバジョーナ国式の朝食は初めてだった。この国に来てから、ほとんど自炊だったからだ。もちもちとしたパンにサラダを挟んで食べるらしい。この国は弾力あるものが好きなんだろうか。温かいスープ代わりの野菜と果物のミックスジュースが思いのほかおいしい。給仕は慣れているディートハルトが行っていた。
「公爵もやっとクラーラ様に会えるのを楽しみにしてましたよ」
「よく言うわね、一度も来なかったくせに」
「公爵はイネス王女に付きまとわれてましたからね」
「クラーラ、そろそろ準備しようか。ディートハルトが侍女を用意してくれたから」
「はあい、あら、ミーア様の侍女の方たちね」
見覚えのある侍女が二人、ニコニコとしながら部屋の入口で待機していた。ミーアとお茶会をしている時も気軽に会話に参加していた仲良しの侍女たちだった。
寝室で侍女にドレスや髪を整えてもらい、久しぶりに王女らしいクラーラになった。どうしてだろう、ものすごく恥ずかしい。気分はお姫様ごっこだ。本物なのに。
居間ではドアの辺りの壁際にジューリオ、ソファにアウギュスト、その後ろにカルロが控えている。ディートハルトは一人忙しなく茶器の用意や書類の準備にバタバタしている。
寝室からクラーラが顔を出すと、4人がいっせいにそちらを見た。
「ああ、やっぱりドレス着たらクラーラだ」
「何だかとっても恥ずかしいのはなぜかしら」
「あんまり儚げじゃなくなっちゃったなー。その設定けっこう重宝してたんだけどなあ」
ドレスの裾さばきもすっかり忘れてしまった。国王陛下の元へ行くときまでに思い出さねば。クラーラは足をもぞもぞと動かしながらゆっくり移動した。ふと、窓の外に目が行き、立ち止まる。
銀のかわうそはどのあたりかしら。今頃、グレタさんとマウロさんはランチの準備で大忙しの時間ね。結局急に休んで迷惑をかけてしまったわ。
晴れた薄い水色の空を鳥が飛んでいた。窓の桟に手をかけ覗き込むようにして外を見ていたら、窓に映るジューリオと目が合った。自然と頬がふにふにと緩んでしまう。スカートをささっと直し、すまして歩いてソファに座った。
ソファでぼよんぼよんと跳ねてソファのおかしな弾力を楽しんでいたら、ジューリオがすっと体の向きを変え、ドアに近寄った。静かにドアの外とやり取りをすると、ドアを開いた。
ゆっくりと歩く硬質な足音が響き、すらりとした体格の金髪碧眼の青年が入室してきた。顔立ちのバランスもよく手足も長く、高名な画家の描いた天使のような人だった。堂々としていて余裕のある様はまさに高貴な貴族そのもの。彼の背後に艶っぽい深紅の薔薇が咲き乱れて見えるのは幻だろうか。
「アウギュスト殿下、クラーラ殿下、本日はお時間いただきましてありがとうございます。クラーラ殿下にはお初にお目にかかりますね。キエガ公爵当主、レミーオ・キエガと申します」
完璧な礼をする姿は優雅で、思わず見とれてしまう美しさだった。たいていの者であったならそのまま公爵の雰囲気に飲みこまれてしまっただろうが、王族であるアウギュストとクラーラはこういった場に慣れているので平然としていた。
「ご丁寧にどうも。さっそく話を詰めようか」
クラーラが返事をしようとするのを遮るように、アウギュストが公爵をソファへ促した。3人が着席すると、すかさずディートハルトが紅茶を淹れた。
甘い香りが部屋を包み、3人の前に紅茶を出したディートハルトが壁際に下がると、公爵が立ち上がり深く頭を下げた。
「クラーラ殿下。この度の不敬、誠に申し訳ございません。申し開きもできません」
アウギュストのせいでクラーラは挨拶をしそこねてしまった。礼儀としてどうなのかと一応迷ったが、あちらはクラーラのことを知っているようなので、まあいいか、と切り替える。頭を下げたまま動かない公爵をちらりと見て、クラーラは紅茶に手を伸ばした。ゆっくりと一口飲んで喉を潤した後、やっと口を開いた。
「公爵様、おかけになってください。今回のこの件は、もう私がどうこう言う問題ではなくなってしまっているようですけど」
横目でアウギュストを見ると、どこを見るわけでもなく感情の読み取れない表情をしていた。
「あなたのおっしゃる不敬が一体どういったことなのか、一度私の認識と照らし合わせてみたいのですが、ご説明願えますか」
公爵はうすく口の端を持ち上げ、うっとりとしたような瞳で目を細めた。それをまともに見てしまったクラーラは、……なぜだろう、すっと気持ちが冷めた。
「まずはバジョーナ国イネス王女のわがままを止めることができなかったこと。それにより、クラーラ殿下には大変不便でつらい思いをさせてしまいました。私が殿下にお会いすると火に油を注ぐことになり、彼女が何をするかわかりませんでしたので、執事に気を配らせてはいたのですが、彼女が連れてきた侍女たちに一時屋敷を占拠されてしまい……その対応に手間取ってしまいました」
クラーラの為に新しく侍女を増やしていたが、彼女たちはイネス王女の連れてきた侍女たちの甘言に釣られて増長してしまったらしい。影響は愛人たちの侍女にまで及び、教育のし直しをしている間にクラーラが勝手に逃走してしまったのだそうだ。
「すぐに居場所は分かったのですが、むしろあちらにいた方が我が家にいるより安全かもしれない、と思いまして。大変申し訳ないと思いつつ、この状況を利用させていただきました。ディートハルトを傍に置き、何かあればすぐに動けるようにはしておりましたがね」
「それで、私のことはどうなさるご予定でしたの? あなたはイネス王女とご結婚なさったのでしょう? いつかはコラフラン王国にも知られることでしょうし」
「まあ、実際バレたわけだけどね」
アウギュストが呆れた様子で背もたれに体を預ける。
「クラーラへの手紙の返事も来ない、結婚式の招待も来ない、会うこともできない。いったいどうするつもりだったんだか」
にこやかにしていた公爵が、すっと真顔になる。金色の長い睫毛を一度伏せ視線を上げた時には先ほどとは全く違う、凛とした隙のない表情だった。美しい顔立ちなだけにクラーラは少しだけ恐怖を感じた。
「昨夜、クラーラ殿下を襲撃したのは王妃の手の者でした。金で雇った兵士でしたのですぐに口を割りました。クラーラ殿下とそちらの護衛の方を攫い、監禁し毒殺する予定だったそうです」
クラーラは思わず息を呑んだ。すぐにジューリオを振り返ったが、彼の表情は変わりない。すでに知っていたようだった。
「お二人を密かに亡き者とし、コラフラン王国にはクラーラ殿下と彼が不倫の末失踪した、と説明するつもりだった、と。殿下を有責にし、慰謝料を取ろうとまで」
クラーラはめまいがした。王女のわがままを通すために、自分が殺されるところだった。しかもジューリオを巻き込んで。
「連れてきたのがジューリオで良かった」
アウギュストがそうつぶやくと、公爵も同意する様に小さくうなずいた。
「非常に浅はかで稚拙な策です。国王も王妃のすることに見て見ぬふりをしています。我が国の王家は愚かでそれに追随する一部の貴族によって、国は腐敗しつつあります。クラーラ殿下が帰国された後、我々は王家を討ちます」
「は?」




