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緊張と緩和

誤字報告ありがとうございます。助かります!

 ジューリオは与えられた部屋の窓から城下を見下ろしていた。星のない夜に、ぽっかりと明るい街並みが浮いている。あの辺りに銀のかわうそがある。そろそろクラーラの護衛と交代する時間だ。


 今朝のクラーラは、髪に水色のリボンを結んでいた。

 いつかの夜会でクラーラは水色の地に白い波のような柄のドレスを着ていた。うつむきがちに隠れるように立っている彼女はほっそりと頼りなげで、触れれば霧のように消えて無くなってしまいそうだった。儚い人魚姫、とはうまく言ったものだな、とその時は思った。


 人魚姫は恋が叶わなければ海の泡となって消えてゆく。


 ジューリオは懐に手をあてた。クラーラが誰かに向けて書いて渡さなかった手紙。

 コラフラン王国に帰るのにクラーラの意思は関係ないのか、と先ほどアウギュストに詰問してみたが、ない、とすげなく言われたばかりだ。彼女には帰りたくない理由があるのか、と問われても、手紙のことを言うわけにはいかなく、歯切れの悪いジューリオにアウギュストは首を傾げていた。


 カルロに後のことを任せ、ジューリオは霧に沈む銀のかわうそへ向かった。





 マウロに教えてもらったハンバーグをふわふわに焼くコツを書いたメモをスカートのポケットに入れ、クラーラはエプロンのひもに手を伸ばした。明後日にはコラフラン王国へ戻るので、明日が最後の出勤である。


 きっとこんな楽しい経験はできないわ。


 国へ帰ればクラーラは王女である。しかも結婚に失敗した出戻りだ。きっとほとぼりが冷めるまでは外出もままならないだろう。数か月とは言え、庶民として自由な生活を送ることができたのは人生の中の貴重な一瞬だった。

 衣食住に困ることのない代わりに、選択の自由のない王女へと戻るのだ。


 きゅっと口を結び、エプロンを外した。


「お先に失礼しまーす! グレタさん、マウロさん、おやすみなさーい」

「ああ、おやすみ」

「おやすみー! 気を付けて帰るんだよ」


 店のドアをそっと開けてきょろきょろと振り返ったが、誰もいなかった。


 アスティ様、まだいらっしゃってないのね。


 一歩外へ踏み出すと、かすかに湿った土の匂いがした。ひんやりとした冷気を足首に感じながら大通りの方へ顔を向ける。人通りはほとんどなく、いつもは聞こえる帰宅を急ぐ人の足音や酔っ払いの声は聞こえなかった。


 家でジューリオを待っていよう、と振り返ると、うっすらとかかる霧の向こうに何か黒いかたまりが置いてあった。一瞬、明日はゴミの日だったかしら、と思ったが、すぐにそれが人間だと気づいた。黒い服を着た男が一人、道に倒れている。

 びくりと大きく肩を震わせると、すぐ後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえた。あっ、と思った時には視界が一転し、どさりと大きな何かが倒れる音が聞こえた。思わず閉じてしまっていた目を開けると、クラーラは誰かの左腕に抱き込まれていた。黒い騎士服、見覚えのある紋章のボタン。見上げると冷淡な表情で目を細めるジューリオだった。その目線の先を追うと、大柄な男が道に倒れていた。

 クラーラに迫ろうとしていたこの男をジューリオが倒したのは確かであろうが、彼がどこから現れてどうやって男を倒したのかわからない。

 ぽかんと見上げるクラーラを片手で抱えたまま、ジューリオはすばやく体勢を変える。ジューリオの胸に顔を押し付けられているので何も見えないが、剣のぶつかる音と男のうめき声と石畳に大きな物が倒れる音が聞こえた。


「くそっ、他の奴らはどうした!」


 変わらない黒い視界。知らない男の叫ぶ声が聞こえた。同時に何人もの人が走る音。それが逃げる足音と追う足音だと気づいた頃、ジューリオの腕が緩んでやっとクラーラは頭を動かすことができた。


「……ア、アスティ、様?」


 平気なつもりでいたが、声が震えてしまった。地面に転がる男たちの姿が視界に入った途端、クラーラは体までも震え、立っていられなくてジューリオにしがみついた。


「申し訳ありません。殿下がお帰りの時間までに始末しておきたかったのですが」

「さっすが騎士様は強いなぁ、すごいもんだ」

「ああ、見たか? あの無駄のない動き」

「オイラ早すぎて目が追い付かなかったよ」


 クラーラが口を開くより早く、聞きなれた三人の声が背後から聞こえた。振り返ると、店の常連の3人の男たちが道に倒れた男たちを手際よく縄で縛り上げている。


「えっ、あの、皆さん? 何を、して」

「ララちゃん、無事で良かったよ」

「その騎士様がいなかったら俺たちだけだったら無理だったなあ」

「ああ、この5人で手一杯だった」


 クラーラから手を離したジューリオは剣を腰に仕舞い、3人の男たちの方に向き直ると騎士の礼をした。


「ご協力いたみいります」

「いいんだよ、役に立てたんなら何よりだ」

「王国の騎士様はみんなあんたみたいに強いのかい」

「あんた良い男だなあ、うちの娘もらってくれないかい。まだ6歳なんだけど」


 この3人の常連は、いつもクラーラを店から家までの短い距離を送ってくれた男たちだ。それぞれ近所の商店の店主で、気を失い道路に転がる敵を縄で縛る様子はまるで商品を荷造りしているように見えた。


「皆さん、私のこと、知っていた、んですか?」


 3人の商店の店主たちはしまった、という顔をした。


「ララちゃん、なななな、何のこと」

「俺たちたまたま酔い覚ましにここで涼んでいただけで」

「オイラ酔っててちょっと記憶が」

「皆さん……」


 いつの間にか霧は晴れ、街灯のランプがぼんやりとにじんで見えた。クラーラは片手できゅっと目尻をぬぐうと、背筋を伸ばして顔を上げた。


「殿下、お怪我はありませんか」

「ええ、大丈夫よ。助けてくれてありがとう」

「は」


 ジューリオが深く礼をする。


「ほわあ、やっぱりララちゃんはお姫様だったんだな」

「ああ、風格が違う、あの気品は生まれながらのもんだ」

「オイラは最初っからありゃあそんじょそこらの貴族令嬢じゃねえって気づいていたがね」

「殿下、この様な状況ですので、こちらのお部屋に戻るのは危険かと思われます。できれば安全な部屋へ避難していただきたいのですが」

「そうね、荷物をまとめる時間くらいはあるかしら」

「もちろんでございます」

「騎士に傅かれるララちゃんかっこいい」

「ちょっと騎士様、跪いてララちゃんの手を取ってキスしてみてくれる?」

「おおー、それすっごいときめくやつだろぉーー、ああーー俺もやってみてえーーー」

「それよりもアスティ様こそお怪我はなかったかしら」

「お気遣いありがとうございます」

「やっぱり俺らのララちゃんは優しいなあ」

「俺が鶏肉の骨飲みこんだ時も一生懸命背中叩いてくれたんだぁ」

「ああ、あれから骨飲みこむのが流行ってグレタにしこたま怒られたんだよなあ」

「……殿下、お部屋へ急ぎましょう」

「……え、ええ、そうね」

「歩くときはやっぱり騎士様がお姫様の手を引くのかな」

「それもときめくやつだなーーーー! 俺も手を引かれてぇーーーー」

「お前が手を引かれるのかよ!」

「……」

「……」


 クラーラはくるりと振り向き、3人に完璧な淑女の礼をした。そんな礼をされたのが初めての3人が頬を赤くしてきょとんとする。


「皆様、本日は、……いえ、きっと今までずっと、ですわね。私のことを守ってくださってありがとうございました。このお礼は後日、必ずさせていただきます」

「いやいやいや、俺たちただララちゃんのことが好きで、勝手につきまとってただけだから!」

「そうそう! ララちゃんがお姫様だろうが町娘だろうが、関係なく親衛隊だから」

「オイラお礼がほしくてこっそりララちゃんのにおい嗅いでたわけじゃないよ!」

「「「「……」」」」

「わああ、ちょっと待って、騎士様、剣に手をかけないで!」

「お前いさぎよく切られろよ……」

「さすがに俺も今のは引いたわ……」


 顔を両手で覆って俯いていたクラーラの肩が揺れた。


「……ふっ、うふふ、あはははは! やだもー! 皆おもしろいんだからー! あははははは!」


 お腹を抱えて泣き笑いするクラーラを見て、3人はつられて一緒に笑い始めた。


「あはは、……ふう。本当に、お礼はきちんとしますからね。……皆さん、今までありがとう。毎日、幸せでした」


 クラーラが目を細めてにっこりと笑った。


「私はコラフラン王国へ帰ります。さようなら、お元気で」

「ラっ、……ララちゃん!!」

「ララちゃ……」

「っラ……!」


 クラーラがもう一度礼をすると、3人は涙目でなぜか敬礼した。


「殿下、行きましょう」

「ええ、お待たせしました、アスティ様」

「いえ」


 涙目の3人が期待のこもった目で2人を見つめている。


「……」

「……」


 小さくため息をついたジューリオが、すっと手を差し出す。クラーラもしぶしぶ手を乗せる。一瞬の奇妙な間の後、二人がおずおずと歩き始めた。


「あれあれあれ、あれが見たかったんだよー」

「いやあ、かっこいいなあ、エスコートって初めて見たよ」

「オイラ、引いたことがあるのは牛くらいだよ」


 そういえば、いつの間にか襲われた恐怖はどこかに行っていた。震えも止まっている。建物の角を曲がり3人の姿が見えなくなると、クラーラはぎゅっとジューリオの手を握った。ジューリオの肩が少しだけ揺れた。


「あの方たち、とっても良い方なんです。悪気はないんです」

「……分かっております。とても、楽しく過ごされていたのですね」

「ええ、毎日、とても」


 ぐすりと鼻をすすると、クラーラは部屋へと続く階段を上り始めた。玄関ドアの前にはコラフラン王国の制服を着た騎士が立っている。


「おかえりなさいませ、殿下」

「ありがとう、ずっとここにいてくれたのね」


 ドアを開けると、暖炉のついていないひんやりと寒いいつもの部屋だった。

 見渡すまでもない狭い部屋。朝、洗ってそのまま置きっぱなしの乾いた食器。テーブルの上に畳んだテーブルクロス。椅子にかかったエプロン。

 クラーラは愛おしそうにベッドを撫でた。


「すぐに用意しますので、ちょっと待ってくださいね」


 玄関に立ったままのジューリオが、胸にそっと手を当てた後、気まずそうに目を逸らした。


「いえ、それほど、急がずとも……」

「?」


 ここへ来たときもバッグひとつでやってきた。それほど荷物は増えていないので、支度はすぐに終わった。

 ジューリオにバッグを預けると、クラーラは名残惜しそうにぐるりと部屋を見てその景色を目に焼き付けた。


 もう、この部屋に戻ることはないんだわ。


 瞬きを一つ。くるりと体の向きを変えると、クラーラはにっこり笑った。


「行きましょうか」


 ジューリオが押さえるドアをくぐり、軽い足取りで階段を下りる。その先に、見知った顔があった。


「ディートハルトさん!? どうしたんですか? こんな夜中に」

「ええ、俺もできれば夜中は勘弁してほしかったです」


 ディートハルトの周りには2人の騎士が立っていた。騎士が着ているのはバジョーナ国の制服だった。どういうことだろう。さっき襲ってきたのはバジョーナ国の者ではなかったということだろうか。


「さっそく行きましょ。アスティ様、持ちましょうか」

「いや、いい。急ごう」

「んじゃ、クラーラ様、行きましょう」

「行きましょうって、どこへ?」




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