二人きりの夜②
「あのね、固くなったパンはスープに浸して食べると柔らかくなるの。しかも、おいしく食べられるのよ。アスティ様は貴族だから知らないでしょう?」
クラーラがパンをくるくる回しながら自慢げに言った。
「そうなんですね、今度試してみます」
騎士団の食堂では皆やっているし、野営ではもっと雑な食べ方をしている。しかし、上機嫌なクラーラを前にそんなことはけして言えない。
「今度も何も、明日の朝はそうして食べましょうね」
「うっ、ゲホッ、ゲホッ」
「きゃあ、大丈夫!? アスティ様!」
それは、明日の朝までこの部屋にいるという事なのか?
ジューリオが盛大にむせた。
それはまずい。二人きりで食事をしているだけでも不敬極まりないのに、朝まで一緒にいるなど、とんでもないことだ。と思っても、先ほどのようにクラーラに押し切られる気がしてならない。
クラーラの長いおしゃべりのせいで十分に時間をかけた食事が終わった頃には、月は既に高く昇っていた。案の定、寒いのが分かっていて外に出すわけにいかない、とクラーラに言われ、ジューリオはまだ部屋にいた。
「アスティ様、本当に寝なくて大丈夫なの? グレタさん達、まだ起きてるっぽいからお布団借りてきますよ?」
「私は殿下の警護ですので、寝るわけにはいきません。そちらの椅子で休ませていただきますので大丈夫です」
「でも、寝ないと明日疲れるわ」
「殿下、騎士は3、4日寝なくても平気な訓練を受けています」
「えっ、訓練してどうにかなるものなの?」
「はい」
気合で何とか。
その後もしばらく粘られたが強引にベッド脇のランプを消したら、やはり疲れていたらしく、すとん、とクラーラは眠ってしまった。
ぜんまいの切れた人形のようにいきなり眠ったクラーラに若干驚きつつも、部屋の中の灯りは月明りと暖炉の火だけとなり、彼女の姿が見えなくなったことにジューリオはやっと息を吐いた。
外からは見えないように窓から外の様子を窺った。でこぼことした古い石畳に、街灯のランプの灯りが揺れている。怪しい気配は見当たらない。
今頃、アウギュストがコラフラン王国と話を詰めていることだろう。どういった理由で嫁に出した王女を連れて帰るのか、バジョーナ国の処遇は。
ジューリオはちらりと横目でベッドで眠るクラーラを見た。とても命を狙われているとは思えないほどぐっすり眠っている。
クラーラだけではない。エルネストもアウギュストも、どんな状況であれ食べられる時にしっかり食べ、眠れる時にぐっすり眠る。それは、まるで、命が危険にさらされるのも仕方がないことだと割り切っている様にさえ思える。生まれながらに王族である彼らには、自分の命に対する覚悟がある。
ジューリオは椅子を持ち上げ、床を鳴らさないようにゆっくりと移動した。クラーラの気配は感じられるが姿は見えないぎりぎりまで離れた所に椅子を下ろし腰をかけた。膝にひじをついてうなだれる。月が雲に隠れたのか、床に差す月明りが薄くなっていた。
俺の名前を憶えていてくださっているとは思わなかった。
エルネスト殿下の傍仕えをしているだけの一介の騎士の顔と名を憶えていたとは。自分は伯爵家の次男、爵位を継ぐわけでもないので言わば平民である。心に留めていたとしても、何の価値もないのに。
耳の奥にクラーラの明るい声が残っている。店で働いている生き生きとした姿。鼻歌を歌いながら料理をする姿。
コラフラン王国に帰ることがクラーラ殿下の幸福なのだろうか。
国の利益になるように嫁ぐことは王女の役目でもある。戻ればいつかまたどこかの有力な貴族の元へ嫁ぐことになるだろう。それは外国である可能性は高い。殿下はもうすぐ19歳、遠い未来の話ではない。
いっそのこと、俺のことなど思い出さないでほしかった。
いくらでも代わりのいる護衛騎士のことなど忘れていてほしかった。声などかけないでほしかった。名前なんて呼んでほしくなかった。明日の約束など、しないでほしかった。
いつまでたっても忘れられないのは、俺の方だ。
月明かりが朝焼けに代わる頃、ジューリオは暖炉に薪をくべていた。そろそろクラーラが起きる頃だろう、部屋を暖めておこうと思ったのだ。
薪に手を伸ばした時、焚き付け用に使っていたのだろうか、古新聞の間からしわになった紙片がはみ出ているのが目に入った。書き慣れた様子の流麗な文字が見える。何の気なしに手に取ってみると、それは便せんだった。ちらりと文字を目で追って、一気に血の気がひいた。
ラ、ラブレター!?
咄嗟にぐしゃりと握りつぶし、胸の内ポケットに入れてしまった。
馬車を降りた姿に一目ぼれした、とか書いてあったような気がする……。
薪がパチンと弾ける音に、クラーラが寝返りを打った。ジューリオは思わず飛び退り床に手をつき、肩で息をした。窓辺に雀が留まっているのだろうか、チュンチュン、と間近で鳴く声が聞こえる。クラーラが起きてしまう。落ち着かなければ。しかし動悸が止まらない。
「ん……アスティ様?」
「は。ここにおります」
ジューリオが慌てて立ち上がると、ベッドに手を付き顔だけ上げたクラーラと目が合った。
眠そうな半目で寝ぐせのついた髪。肩から上掛けのシーツが今にも落ちそうになっている。
だめだ、目の毒極まりない。
瞬時に降参したジューリオは目を逸らし早足で玄関に向かった。
「下にアウギュスト殿下からの伝令の者が来ているようです。行って参ります」
「はーい、朝ごはん作っておくので30分くらいで戻ってきてくださーい」
玄関を出て階段を下りると、とりあえず夜に潜んでいた路地へ入り暗がりでしゃがみこんだ。徹夜なんてものとは比べものにならないダメージに立ち上がることができない。ちょっと休憩したい。
……クラーラ殿下には想い人が……。
相手がもしバジョーナ国にいるのなら、コラフラン王国に連れて帰ってはいけないのではないか。嫁いで来たもののないがしろにされ平民として暮らし、更に愛する人と離れ離れにされる。
これ以上殿下が傷つく姿など想像したくもない。
ジューリオは頭を抱えた。
とにかく一度、アウギュスト殿下に相談しなければ。
大通りの方では人通りが増えてきたらしい。石畳を蹴る足音や人の声が微かに聞こえてくる。ぱたた、と雀が数羽飛び立つ音がして顔を上げると、窓の向こうでクラーラが手を振っていた。
ため息をついて立ち上がると、重い足を引きずるようにしてクラーラの部屋へ向かった。
「私ったら寝ぼけていたみたいで、ベーコンエッグにしたのにスープにもベーコンを入れてしまったの」
身だしなみを整えたクラーラが、エプロンを外しながらそう言った。この瞬間を目に焼き付けておきたい、と顔がにやけてしまいそうになるのを片手で押さえながら、ジューリオは脳を仕事の体制に切り替えた。
朝チュンなのに、いろいろとヘタレなジューリオ。




