4-25.サタナスという男
とある部屋。
一切の光が届かない、漆黒の闇が支配する空間に足音が響く。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ…と、規則的なリズムで刻まれる足音は、部屋の中心へ向かっていた。
やがて、足音が消え、静寂が再び訪れ…。
ボワッと光が灯る。
薄青色の光は大きなガラス筒から発せられていた。
正確にはガラス筒が接続された上下の装置から。ガラス筒の中は液体で満たされていて、時折コポコポと空気の球がユラユラと上っていく。
そして、ガラス筒の光に照らされた、白衣を着た人物は無表情に観察をしていた。
「……頃合いか。やはり少し早い気もするけど、最善の選択をする以上、多少の負荷は否めないか。」
ポツリと呟き、ガラス筒に指を這わせる。
「お前が僕の研究を前に進ませてくれる事を祈ってるよ。」
「相変わらずの趣味ね。」
ガラス筒が放つ光が届かない部屋の暗がりから、唐突に声が掛けられた。しかし、白衣の人物は驚くことも無く、目線をガラス筒に向けたまま応答する。
「趣味とは失礼だな。僕は崇高な目的の為に、この実験を続けているのさ。別にやりたくてやっている訳では無い。」
「でも、躊躇はしないんでしょう?」
「勿論さ。目的を達する為に、その礎となるべく選ばれたんだ。感謝して欲しいくらいだよ。それで、なんの用だいユウコ。」
ユウコと呼ばれた人物は、暗がりの中で身じろぎする。まるで名前を呼ばれること自体に強烈な嫌悪感を感じているかのように。
「セフ様から伝言よ。これから機械街へ向かうわ。」
「そうか。因みに、件の幻想武器所持者についてはどうなったのかな?」
「さぁ。私はそこ迄の詳しい話は聞いていないわ。」
「ふむ。自身の立場を上手く弁えた発言と褒めるべきか否か…。」
「伝言は以上よ。……これから、あの実験をするのかしら?」
「そうだよ。魔法街に於ける要だからね。」
「あまり派手にやりすぎないようにしなさいよ。貴方…研究にのめり込むと、周りが見えなくなるから。」
「ははっ。僕を誰だと思っているんだい?」
「……サタナス=フェアズーフ。マッドサイエンティストでしょう?」
ユウコの酷評を聞いたサタナスは怒りを露わにする。…なんて事は無く、寧ろ感慨深げに頷いてみせた。
「ふむ。僕がマッドサイエンティストか。確かに一般的な科学者では無いという自負はあるが…そうか、普通の負荷を掛けるから、ありきたりな成果しか得られないか。ならば……死に至る負荷を与え、生き延びた者を使うのもあり。」
サタナスの口が横にニンマリと伸び、裂ける様な笑みを形作った。
離れた暗がりでその様子を見ていたユウコは、思わず身震いをしてしまう。
これがサタナスという男。常人には思い付かない目的を掲げ、其れを達成する為に、どんな犠牲も、どんな生贄も厭わない。まさしく狂気の科学者。
「そうと決まれば、サンプルを増やそう。この2人が本命とは言え、確実に成果が出るとは限らないからな。ユウコ、退室するが良い。ここからは僕の時間。邪魔は許さないぞ?」
ユウコは悟る。サタナスの中に眠る狂った人格を呼び起こしてしまった事を。多重人格なのか、単純にスイッチが入っているだけなのかは分からないが、こうなったサタナスを止めるのは不可能だと言う事は嫌と言うほど思い知らされていた。
「…それじゃあ、私とセフ様は予定通り行動するわ。貴方も本来の目的を忘れないように……聞いてないわね。」
肩を竦め、ユウコは身を翻した。サタナスがこれからどんなに非人道的な事を行うのかは想像も付かないし、想像したくもなかった。
だが、確実なのは…見るに耐えない実験が始まるという事。そして、ユウコ自身はその実験を見るつもりもないし、止めるつもりもなかった。
彼女にとって、他人の命は重んじるべきものではない。大切なのは、忠誠。
ただ、それだけ。
ユウコが部屋を離れたのを確認すると、サタナスは ポケットから歪な形の黒い石を取り出す。
もう片方の手には同じ歪な形の小さい黒い石が嵌め込まれたペンダントが握られていた。
「さて、どちらにどちらを付けようか。魔瘴石を埋め込むのは、制御しやすい方にしないと、ただ暴走して終わってしまうか。」
サタナスが魔瘴石と呼んだ黒い石は、光を浴びて鈍く輝き、底の知れない黒い内側へ光を吸い込んでいく。
「コイツに埋め込むか。」
サタナスが視線を向けたのは、ガラス筒の内側で目を瞑って浮かぶ大きい男。
大きい…と言っても、体躯が大きいのでは無く、無駄な脂肪を全身に蓄えた肥満体型の男だ。
オイルマッサージでもしようものなら、その全身の脂肪が波打ちそうなメタボ体型の男を眺め、サタナスは再び愉悦に満ちた表情を浮かべた。
「ふむ。悪くない結果を期待しよう。」
魔瘴石は宙に浮かんで上昇し、天井付近の暗がりへ消える。
そして、メタボ体型の男が入るガラス筒の中に、ゆっくりと入ってくる。
「属性は与えない。先ずは純粋な魔瘴石の力を確かめよう。さぁ、君は僕にどんな成果を見せてくれるのかな。」
魔瘴石がゆっくりと移動を開始する。ユラユラとガラス筒の中に満たされた溶液の中を泳ぎ、メタボ男の胸部中心辺りで動きを止める。
そして、静かに胸の中心へ埋め込まれていった。魔瘴石の全てがメタボ男の胸に埋まると、サタナスは愉悦の笑みを収め、近くの機器に表示された画面を食い入るように見る。表情は真面目な科学者。実験結果の小さな取りこぼしも許さないという、実験に全てを捧げたような男の目だった。
「…ふむ。埋め込み直前のバイタルは安定。魔力反応は微弱。だが、魔力経路内の魔瘴濃度が急激に上昇しているか。事前に調べた魔瘴耐性と、この魔瘴濃度の相関性を見るに、あと数分で始まるか。」
静かに、待つ。
サタナスは確信していた。自分の仮説通りの結果が伴う事を。問題は、その結果の後にどのような事象が引き起こされるのかという事。それは仮説通りにはいかないだろう。しかし、だからこそサタナスは実験というものを素晴らしいと考えていた。
如何に結果と仮説を近付けるのか。その為に必要な要因は、原因は、要素は。これらを考察し、目的達成の為の結果を得る事。それこそがサタナスが生きる意味。
「…始まる。」
ガラス筒の中で静かに眠っていたメタボ男が、突然仰け反った。口からはゴボゴボと空気を吐き、全身を掻き毟る。抉れた肉が溶液の中を漂い、噴出する血液が朱に染めていく。
絶望に絶叫するかのように溶液の中で叫ぶメタボ男を眺めながら、サタナスは隣に並ぶガラス筒に目線を移した。
そこには、少女と思わしき人物が溶液の中で静かに眠っていた。亜麻色の髪が広がり、見方によっては神々しさを感じなくもない姿である。
「問題はコチラだな。ペンダントを装着したとして、影響を受け続ける事は本人の苦痛に繋がる筈。ならば、魔力による中和を行いながらの定着化を促さなければ、拒絶反応を抑えきれないか。定着さえすれば、傀儡人形として操れる可能性は高い…とすると、必要なのは魔力。それも、莫大な。……ふむ。それならば少し探してみるか。」
サタナスは魔瘴石が嵌められたペンダントを少女が浮かぶガラス筒の前に置くと、部下を呼び寄せる。
「素体をあるだけ持ってきてもらえるかな?」
「あるだけ…ですか?」
「あぁ。」
「現在100体近くいますが…。」
「100体しかいないのか。だがその数では、この部屋で検証するのは難しいか。となると僕が保管庫に行くべきか。保管庫で実験出来る設備は整えてあるな?」
「は…え、いや…保管庫は保管の設備しか…。」
「……君さ。」
「は、はい!なんでしょうか…ガ…?」
部下の男が苦悶の声を漏らしつつ目を見開き、自分の胸を見下ろすと…サタナスの体から伸びたゼリー状の触手が胸を貫いていた。
「使えないね。僕が行う実験をスムーズに進めるために助手の君達がいるんだろう?それなのに、今のこの状況なら僕が保管庫で実験するというのは容易に想像出来るはずだ。それならば、今準備を進めています。もしくは早急に準備を進めます。…とでも返事をするべきではないかな。それなのに君は、保管庫は保管をする設備しかないと言ってのけた。僕が保管庫で実験する事を否定したな?保管庫ではなくて、実験室でやれと。この僕が、実験室に運ぶのは数が多くて大変だろうから保管庫に移動をすると言ったのにも関わらず、君は否定した。人の好意に寄り添う事もなく、ただただ現実がどうであるとか、こうであるとか、正論ばかりを言って、人の気持ちすら考える事が出来ないと言う事は、チームワークを軽視していると言う事になるのではないかと思うのだが、その点に関して君から弁明があるのなら聞いても良いが、下らない事を言うようであれば僕はすぐに君を殺そう。時は有限。故に僕は無駄な実験を行わない。無駄な殺人も行わない。けれども君と言う存在は僕の有限である時間を無駄にする。」
淡々と冷酷な眼で部下の男を眺め、肩を竦める。
「あぁ、言い訳を聞こうと思ったけど止めだ。君と言う存在が既に僕の中では余計だ。どうせ言い訳を聞いた所で、君程度の腐った脳味噌を持った奴が僕の心を動かせるとは思えない。」
「お、お待ちください!」
「五月蝿いね?」
部下の男を貫く触手が消える。だからと言って助かった訳ではない。
触手が無くなった事で、それまで触手によって止められていた出血が始まる。激痛が始まる。
「ゔ…ガ…あァァ…。」
胸にポッカリと空いた穴から血が噴出し、ダラダラと全身を濡らし、肺から逆流した血が口や鼻を紅く彩る。
「さぁ、残りの君達は、この塵と同じ末路を辿らないように。君達を頼りにしているよ?」
「「「は、はい!!!」」」
ドタドタと部下の男達が動き出す。
全てはサタナスの実験を滞りなく進める為に。
足下に転がる亡骸をサタナスが伸ばしたゼリー状の触手で包見込むと、亡骸は急速に萎み、ミイラのようになってしまう。
「さぁ忙しくなるだろう。僕に力を貸してくれる人物は…誰だろうか。」
クツクツと肩を上下に震わせて笑いながら、サタナスは保管庫へ向けて歩き出した。
暗い廊下に規則正しい足音が響いていく。
何かの刻限を告げる時計の針のように、コツコツ、コツコツ、コツコツと。
龍人達はこの時、まだサタナスという存在を知らなかった。
彼が為そうとしている事も。彼が遠からず日に龍人達の前に現れるという事も。
そして、引き起こされるであろう悲劇すらも。
サタナスがやっと登場しました。
ここから魔法街で起きる大事件へ物語がうごいていきます。
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