5-57.お姉さんの誘惑
翌朝。
晴天である。燦々と陽光が降り注ぎ、地面をジリジリと焦がしていく。道行く人々は半袖半ズボンは当たり前。女性も冬と比べれば露出が多く、男にとってはどこをみても眼福物。
…そんな季節の明るい開放感を思い出しながら、コンセルは眼下を歩く人々を眺めていた。
今の魔法街は真逆…とまではいかないにしても、それに近しい雰囲気を漂わせていた。勿論、もうすぐ12月という寒い季節。…というのもある。しかし、服装だけでは無い重苦しさが街に漂っているのだ。
原因は魔力暴走者事件による世論の対立。
そして、人々の間でまことしやかに囁かれる「ブースト石か魔力暴走の原因」という噂。ただ、この噂があったとしても使用者は減るどころか増えているという現実。「魔導具に頼るなんて愚者に他ならない」という意見と、「ある物を使って強さを手に入れる事は強者の理」という正反対の意見が論争を巻き起こしているのだ。
これは、ほぼコンセルが思い描いたストーリーに近いと言えた。故に、口元に自然と浮かぶ笑みを抑える事が出来ない。
この先に待ち受ける未来。それを想像しただけで、内側から湧き起こる歓喜が…。
コンコン
ドアがノックされると、コンセルは一瞬で表情を秘書官のそれに改めると返事をした。
「どうぞ。」
ドアが開かれ、柔和な笑みを浮かべながら振り向いたコンセルは…思わずその表情をピクピクピクっと僅かながらヒクつかせてしまう。
何故なら…ドアを開けて中に入ってきたのが、火乃香、クレア、遼、ルーチェの4人だったからだ。
「…龍人さんはどうしたのですか?寝坊でしょうか?」
この後、コンセルは「とある計画」を実施する予定だったのだが…。それにはこの場に龍人を含めた5人が揃っている必要があったのだ。
1日の始まりが計画の狂いから始まるという…いかにも不吉な予兆に、ありきたりな質問しか投げかけられないコンセルなのであった。
「龍人君は遼君と朝ごはん大食い競争をして、お腹を壊したわ。…ホント馬鹿ねアイツ。」
そして、火乃花の答えはコンセルの想像を良い意味で裏切るものであった。
「それは…龍人さんらしいと言いますか…遼さんは大丈夫なのですね。」
「ん〜そんなに食べてないんですよね。結構早い段階でお腹が痛いって言って倒れたから、多分昨日の夜に色々良くないものを食べたんだと思います。」
「それはあり得ますの。龍人君は最初の頃はお金がないって騒いでいましたが、最近は余裕があるのか色々とお菓子を買い込んでいるのを見ていますの。」
「龍人君…後で様子を見にいかなきゃだね。」
火乃花達の会話に苦笑せざるを得ないコンセル。龍人の信頼はもう少し厚い物だと思っていたのだが、案外ズボラで…そういった点に関しては仲間達からも呆れられているのだろう。と推測する。
「私も後でお見舞いに行きましょう。となると、本日の調査は龍人さん抜きですね…。まぁ危険は無いと思いますから恐らくは大丈夫でしょうか。」
「大丈夫よ。私達でちゃんとやるわ。」
「それは心強い。では、火乃花さんのお言葉に甘えて、今後の調査方針についてお伝えをさせて頂きますね。」
そう言うと、コンセルはデスクに置いていた企業リストを火乃花達に配り、説明を開始した。
「これらのリストがブースト石の製造に関わる素材提供をしている企業です。この中で怪しいと思われるのが…。」
こうして、腹痛で倒れた龍人を抜いたメンバーでのブースト石調査が開始されたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中央区の行政地区にあるマンションの一室。
その前に立った俺は、深く息を吸って深呼吸をするとドアをノックした。
「はぁ〜いどうぞ〜。」
中からお姉さんの艶かしいような返事が聞こえる。
…嫌だなぁ。あのお姉さんすっごい色仕掛けしてくるんだもん。迫られたらちょっと負けちゃうかも知れないんだけど。
まぁ、でも…ここで後には引けないか。
「失礼しま〜す。」
ドアを開けて中に入ると、廊下の奥に開いたドアが見えた。廊下の左右にいくつかドアがあるけど…トイレとか個室のドアだろうから、勝手に開けるのはプライバシーの侵害だよね。
という事で、真っ直ぐ開いたドアへ向かう。
そのドアの先にはリビングがあり、部屋の中央に置かれたデスクの横で椅子に座りながら足を組んだお姉さんが俺を見てニッコリ微笑んだ。
「ふふっ。いらっしゃい。本当に私の家に来てくれるとは思わなかったわ。龍人君っ。」
「こ、こんにちは。」
いやいや、スカート短すぎでしょ。足を組んでるから、太もものギリギリまで丸見えなんですが!?
「あら、私の太ももが気になるの?触っちゃう?」
きたぁぁ!!いきなりの誘惑。…いや、負けないぞ俺は。
「いや、まだ結構です。」
「…ん?まだ?」
…しまった。本音が出てしまった。
「い、いえ。大丈夫です。」
「そぉ?まぁいいわ。触りたくなったら言ってね。いつでも触らせてあ・げ・る。」
ここはキャバクラか?
俺がやや戸惑っていると、お姉さんはグンっと伸びをする。
その動きに合わせてお胸がブルン…………って違う。
俺の目的は違うんだ!!!
「それで、聞きたい事って何かしら?」
お姉さんは俺の視線をニヤニヤと観察しながら、本題へと誘導してくれた。
うん。優しいお姉さんは好きですよ。
「あ、はい。今日は時間を取ってくれてありがとうござます。実は…昨日調整室で見せてもらったブースト石を作るためのエネルギー調整について教えてほしい事がありまして。」
「ふふっ。龍人君は勤勉ね。お姉さん、そういう真面目な子…好きだなぁ。」
今、ドキっとしたのは秘密だ。秘密だ。
ここは真面目に話を進めるんだからなっ。
「えっと…あのエネルギー調整をしていて最後に黒っぽい魔力が混じったと思うんですけど、アレってなんですか?」
「何って闇属性の魔力よ?そんな分かりきった事を……もしかして、本当にお姉さんとイチャイチャしたくてきたの?勉強したいって口実まで作って…嬉しいかも。」
両腕を前に寄せてイヤンイヤンするお姉さん。うん。もう何も語るまい。眼福。
さて…どうやって切り込んでいくかだな。あくまでも真面目な魔法学院生でいこう。
「そうだったら良いんですけどね。何て言うか、調整している様子を見せてもらったときに、普通の魔力と違う感じがしたんですよ。それがあの闇属性っぽい魔力がそうだったのか、お姉さんの魔力調整技術が凄すぎて、そう錯覚したのかはわからないんですけど…。俺、ブースト石っていう素晴らしい魔導具が色々な噂に晒されているのが許せないんですよね。だから、ブースト石が素晴らしい魔導具っていうのを証明したいんです。だから、あの黒い魔力が本当に闇属性の魔力っていうだけなのか…それを知りたくて。」
ここまで考え込むように俯き加減で熱く語り、顔を上げた俺は…思わず後ずさる。
何故かって?だってさ、いつの間にか熱っぽい顔をしたお姉さんが至近距離まで接近していたんだもんよ。
「君…聡明ね。そして、真剣に考えている顔、カッコいいわ。……うん。君になら話しても良いかも。」
ニコッと微笑むお姉さんに迫られ、気付けば背中には壁が当たっていた。
あれ?これってもう逃げられないってやつだよね。
「その代わり…龍人君、今夜は私に付き合ってくれる?久々に乱れたくなっちゃった。」
お姉さんの右手がそっと伸ばされ、俺の頸を優しく撫でる。…めっちゃゾクゾクすんですが!?
えぇっと、今の話の流れ的に何か教えてくれるって事だよね。でも、このお姉さん、すっげ〜淫乱そうだから今夜は付き合うっていうのはちょっと心配というか…。
「ふふっ。いい子ね。先に…話してあげる。」
お姉さんの吐息が首筋に掛かる。
更に、頸から手がサワサワと下がっていき、俺の俺の背中へと侵入していく。
やばい…理性がはち切れそうだ。
「ブースト石はね、あの黒い魔力が…」
ドガァン!
「なっ!?」
突然の衝撃だった。部屋の壁がいきなり弾け飛び、俺の前からお姉さんが消えた。
何が起きた?もしかして、お姉さんの陰謀だったのか?
「ちっ!生きてやがる!トドメを刺せ!」
壊れた壁から入り込んできたのは、覆面をした4人の男達。
覆面達は俺の姿を認めると、容赦無しに魔法を放っていた。
「…なんだってんだよ!」
魔法壁を張って防御し……ん?
魔法が俺とは別の方向に…。
ドガガガガガァン!!
4種の属性魔法は俺を通り過ぎて部屋の奥へ突き刺さり、更に建物を破壊する。
そして、魔法着弾による砂埃が晴れると…崩れた壁の合間から、顔が半分潰れたお姉さんが顔を覗かせていた。
瓦礫の隙間からは赤黒い液体がポタポタと垂れている。
「は…?」
覆面達の狙いはお姉さん?って事は、お姉さんは本当に何かを話してくれようとしていたって事か?じゃぁ、なんでこの覆面はお姉さんを狙ってんだよ。
「……口封じだってのか?」
「あぁん?お前は…見慣れない顔だな。あの女の知り合いか?だったら、今見た事は忘れるんだ。1つしか無い命は大切にするんだな。」
覆面の1人は他の覆面達にジェスチャーで合図をすると、すぐに部屋から出て行こうとする。こいつら…手際が良すぎる。こういった所業を生業にしている奴らなのか?
俺は、壊れた壁から外へ飛び出そうとする覆面の首根っこを捕まえた。
「なっ…!?て、テメェ!!放しやがれ!」
「人の命を簡単に奪っておいて、命を大切にしろだって?」
俺の全身から龍魔力が噴き出す。と同時に、首根っこを捕まえていた覆面を横にぶん投げた。瓦礫に頭から突っ込んだっぽいけど、安否は…知らん。
まずは残る3人を倒す。
魔法陣から夢幻を取り出すと、俺は待った無しで攻撃を繰り出した。素性の知れない奴相手に龍刀を使うのは、何かしらのリスクを招く可能性があるからね。
魔法陣を複数展開し、瓦礫を再構築して壁にして覆面達の退路を塞ぐ。
「くそっ!岩を操るタイプか!」
なんだよタイプって。人をポケットの中のモンスターみたいに言いやがって。
覆面達が動揺している間に、水砲と雷撃を立て続けに叩き込んだ。
「ぐバベブボ!?」
「バビビビ一っビビビ!?」
2人が感電して戦闘不能に。
残るは…1人。さっき指示を出していたリーダー格の覆面か。
「クソ!1人って聞いてたのに、貧乏くじじゃねぇか!」
覆面の両腕から炎が噴き上がる。
「容赦はしねぇ。消し炭も残さねぇ!」
炎を纏った手を合わせ、巨大な炎渦が放たれた。
「龍劔術【黒刀-水纏】【牙突閃】!」
夢幻の刀身に龍魔力である赤い稲妻を纏い、その周りに水属性を纏う。そして破龍の黒い魔力を纏った魔力刃の刺突を彗星の如く飛ばした。
炎渦は刺突によって中心部分から霧散していき、驚愕に目を見開いた(多分。覆面で見えないからね)覆面に突き刺さった。
安心しろ。先端は丸めてある!
体をくの字に折り曲げた覆面は部屋の壁にガゴっ!とハマり、動かなくなった。ある意味漫画チックな末路。
「おし。これで殲滅。……くそっ!!」
お姉さんが埋まった瓦礫を見て、俺は思わず叫んでしまう。まさかお姉さんがこんな所で殺されるなんて思わなかった。
なんでこうなっちまうんだよ……。
「ともかく、こいつらを纏めて警察に突き出すか。そうすれば何かしらの情報は掴めるかもしれないしな。」
覆面の1人を縛り上げる為に一歩を踏み出した俺は、怖気を感じて夢幻を上へ振り上げた。
ガギィィン!!
金属同士が激突する音が響き、夢幻を握る両手に圧力が掛かる。
そこには天井から伸びた影が剣の形になって、俺に向かって振り下ろされていた。
「新手か…?」
「本当に大した男ね。随分強くなったみたい。」
そう言って瓦礫の影から姿を現したのは…黒装束を纏った黒髪を夜会巻にした女。
……なんだ?どこかで見た事があるような。
「……あら、忘れたのかしら。貴方の故郷を滅ぼした相手の顔を。」
「ま、さ…か。」
コイツ、レフナンティを襲撃したセフと一緒にいた黒装束の女か?
「ふふ…。思い出したみたいね。あなたの力、どうやらセフ様の想定通りに育っているみたい。あの時、見逃したのは正解だったのかしら。」
「…何の話をしてんだよ。」
「あなたが、私達の目的を達成する為に必要な駒となり得るかどうか。という事よ。」
「目的…?」
怪訝な俺の顔を見た女はクスリと笑う。
「少し話し過ぎたかしら。…私の名前はユウコ=シャッテン。いずれまた会う事になると思うわ。その時は……全力で相手をしてあげる。」
「はぁ?逃すかよ!」
夢幻で斬りかかるも、ユウコの足元から伸びた影に阻まれてしまう。
影はユウコの体、そして覆面4人の体を包み込むとギュルギュルギュル…と消えてしまった。
「…影を操るとか、どういう属性魔法だよ。」
後に残された俺は、せめてお姉さんを瓦礫から出すべく…振り向いた。顔が潰れているのを見るのは辛いけど……。
「………あれ。いない?」
居なくなっていた。いや、命を落としていたんだからわ消えていた…なのか?
ともかく、お姉さんが消えていた。
血痕すらも消えている。
…ユウコが影を使って全部消したのか?
ガンガンガン!!!
「警察だ!!中で暴れている奴、大人しく投降しろ!!さもなくば、命を落とすと思え!!」
おいおい。これ、俺がこの建物を破壊した犯人って事にならないか…?
…………ともかく、大人しく投降しよう。