5-52.魔力暴走事件
龍人達が魔導推進庁でロア長官と戦っている頃。
魔法街の各所で異常と評するに相応しい事態が進行していた。
「霧崎長官!中央区で3人目の暴走者です!」
ダァァン!と扉を開けて入ってきた警察官が、窓際に立って外を眺めている霧崎長官…火日人に報告する。
「……ちっ。どうなってやがる。」
「暴走の魔力放出がかなり強く、1人に対して10人で対応しないと安全マージンが取れない状況です!人員の追加を!」
「こう頻発してっとそれも難いんだよ。」
「頻発と言っても3人であれば…後15人程度の増員で……もしかして。」
顔を硬らせる警察官に視線を送ると、火日人は小さく頷く。
「あぁ。魔力暴走者は中央区だけじゃねぇ。南区、東区、北区でも複数人発生してる。」
「しかし…何故こうもタイミングが重なって…。まるで今日を狙ったかのような。」
「それが分かりゃ苦労しねーよ。原因すら分かってないんだ。ったく、テロみたいだ。」
「テロ………。」
テロ。その言葉に「納得できてしまう」と感じた警察官は口を噤んでしまう。
単純に爆弾なのか、魔力暴走なのか。それが違うだけで、起きている事態は確かにテロと断定しても差し支えのないものだった。
「取り敢えず送れるだけは増員を出す。ただ…この後も魔力暴走者が出ると踏んだ方が良い。現場で適宜人員を振り分けてくれ。」
「分かりました…!霧崎長官はどうなさるおつもりで?」
「警察庁長官のトコへ使いに出したコンセルが戻って来ないからな。俺も乗り込んでくる。」
「……長官の所にですか?」
「あぁ。この事態が勃発した時に、被害拡大の可能性があるから俺達執行部以外も動けるように交渉しに行かせたんだが……まぁ梃子摺ってんだろ。」
警察庁長官の元へ執行部長官の火日人が乗り込むという事態に、警察官は嫌な予感しかしない。
警察庁の内部組織である執行部。その長官といえども、立場は同等。現場主義の火日人と組織主義の警察庁長官が、これまでどれだけの対立と被害を周りに振り撒いてきたのか。
それだけで警察官はクラクラする目眩に襲われてしまう。
「あの…行かない方が…。」
「俺だって行きたくないさ。だがな、下手すりゃ魔法街の存続に関わる事件だ。お前は、自分の職務を私情で全うしないって選択が出来るのか?」
この言葉に警察官は己の警察組織一員としての誇りを忘れ掛けていた事に気付く。
そう。大事なのは個人の感情では無く、警察の誇りを胸に市民を守る事なのだと。
故に、警察官は警察官という職務について初めて行った敬礼と同じくらいの…気合を込め、火日人長官へ敬礼をする。
ビシィイィィ!!
という効果音が聞こえたのは、きっと気のせいではないはず。
「はっ。良い敬礼だ。じゃあ現場の人員配置指揮は任せたぜ。俺も後で合流する。」
「はっ!」
部下の警察官へ軽い敬礼を送った火日人は執行部長官室を出ると、足早に警察庁長官室へと向かったのだった。
(警察庁長官とやり合うの疲れんだよなー。しゃーねーけど、ガッツリやってやるか。)
一筋縄ではいかない相手と、徹底的にやり合う覚悟を決めた火日人が警察庁長官室に到着すると…想定外の光景が目に飛び込んできた。
「……コンセル?何やってんだ?」
そこには、長官室の前に置かれた椅子で優雅に足を組んで本を読むコンセルの姿があった。
「あぁ火日人さん。理由は分からないのですが、中で喧嘩でもしているような音が先程から響いてまして…流石に落ち着いてから失礼しようかと思いまして。」
「だからって優雅に本を読んでんなよ。普通なら長官が襲われてるかもって考えて、止めに入るだろ。」
「そうしたいのは山々なのですが、ドアが開かないのです。」
そう言って肩を竦めたコンセルは、立ち上がって長官室のドアへ近付くと…目にも止まらぬ速度で後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
通常であればドアが内側へ吹き飛び、長官が怒りの声を露わにする事態…となる筈なのだが、ドアはまるで何事もなかったかのように鎮座していた。
「…ご覧の通りです。秘書の方に聞いたのですが、誰も入れるなと言われて部屋から追い出されてしまったようです。不思議なのは、その時点では部屋の中には長官以外はいなかったそうなのですが…。」
「……物騒な上状況だな。」
部屋の中からは微かに揉めるような音が響き続けている。何かを叩くような、魔法がぶつかり合っているような音が。
「秘書はどこに行ったんだ?」
「警備室に鍵を取りに行ったのですが、戻ってこないですね…。」
「きな臭ぇな。」
顰めっ面で顎を摩った火日人は、思案の後に口の端を僅かに持ち上げた。
「有事を見過ごすか、ドアを壊すか。…んなの決まってるわな。」
「まさか…火日人さん。」
「おう。離れてろ。」
胸の高さに持ち上げた右拳に焔が灯る。いや、灯ると言うよりも…燃え盛る。
そして、焔の密度が拳の周りを中心に高まって行く。
「火日人さん!それはやりす……」
想定以上の魔力の高まりに、コンセルは慌てて止めようとするが…
ドゴォォォン!!
「うし。これで長官と話せるな。」
止める間も無く、火日人は警察庁長官室のドアをぶち破って見せたのだった。
同じ警察組織の執行部長官である火日人だからこそ出来る行為に…引き気味のコンセルだが、火日人はそんな事を気にした様子は見せずズカズカと長官室の中へ入って行った。
「長官さんよ!有事なんだから自分の部屋に引きこもってる場合じゃ………マジかよ。」
「火日人さんだから喧嘩をしない方が良いかとおも……。」
長官室の中を見た2人は絶句する。
中にあるのは2つ。
1つは苦しそうに身悶えしながら、何度も魔力の噴出する拳を振り下ろし続ける男。
1つは、その拳の動きに合わせてビクン、ビクン、ビクン…と体を躍動させる、首から上が半分以上潰れた死体。
ガンっという音と、グチャっという音が同時に響くその空間は、余りにも悲惨で、火日人とコンセルは男を止める行動をすぐに取る事が出来なかった。
「コンセル…部屋の中にいるのは長官なんだよな?」
「え…えぇ、恐らくあの死体が……。」
「ちっ…!何が起こってる。死体を殴ってるあの男、明らかに魔力暴走者じゃねぇか。」
部屋のドアが破られたのにも関わらず、ただひたすらに死体を殴り続ける姿は常軌を逸していた。普通なら侵入者に襲い掛かるはずである。それなのに見えていない。何かに取り憑かれたかのように殴り続ける姿は、怨念すら感じさせるものだった。
「…コンセル、アイツを止めろ。」
「火日人さん。何故私なのでしょうか。」
「いや……普通に考えて近寄りたくないだろ?」
嫌なものを部下に押し付けるという、典型的な駄目上司っぶりを発揮する火日人に、コンセルは溜息を隠さない。
「火日人さん…良い上司と言うのは…」
「成長の為に部下へ仕事を託す。ってか?言っとくが、面倒だからじゃねぇ。この部屋にあのイカれ野郎1人という確証が持てないからこそ…だ。」
「……それは、あの魔力暴走者が誰かの差金だと?」
「可能性の話だ。この仮説が当たっていた時に、最適解となる配置は?」
「…………はぁ。やりますよ。」
やれやれという風に首を横に振るも、火日人の言う内容に納得を得たコンセルは腰に付けていた拳銃を取り出した。リボルバー式のそれは、マグナム弾を発射する機構を備えたもの。
「それでは、私がこのライトニングマグナムで室内に入りつつ制圧を行いますので…サポートは頼みましたよ。」
「任せとけ。」
コンセルはひと呼吸空けて室内へ踏み込んだ。
周囲の状況確認も行うが、意識の大半は未だ湿った打撲音を響かせ続ける男へ向ける。
室内に流れる嫌な空気を弾き飛ばすように、マグナムの銃口が火を……いや、雷を噴いた。
雷弾が拳を振り下ろそうとした男の脇腹に直撃。感電で体を痙攣させた男は横へ倒れていく。
「やるじゃんか。」
「…それはそうですが、呆気ないというか…。」
そう。仮にも警察庁長官という大物が殺されたのだ。ただ魔力を暴走させただけの男が、一方的に警察庁長官を殺せる訳がないのだ。
各省庁長官には頭脳でその地位に昇り詰めた者もいる。しかし、警察庁に関しては「一定の実力」がなければ昇進は叶わない。長官となれば尚更である。
それなのに、抵抗した痕跡が無い状況は不自然としか言いようがなかった。
「これは…コンセル。鑑識を呼べ。長官の体に何かを巻きつけた跡がある。」
「これは…紐?にしては形状に違和感がありますね。」
「あぁ、紐なら紋様が残る。けどこれは表面に凹凸のない何かで縛られてたみたいだ。長官はこれで動きを封じられていたんだろう。」
「そして、この魔力を暴走させた男の殴打を無防備に…。」
火日人は鼻を鳴らす。
「はんっ。やり口が汚ねぇな。警察庁長官暗殺とか…荒れるぞ。」
「火日人さん。目的はなんでしょうか?」
「警察庁長官を暗殺する事で、警察機能の麻痺を狙ったか?…だが、警察はトップが殺されたくらいで機能が麻痺する事はない。となると…長官個人が居なくなる事にメリットが…?」
「…ともかく、鑑識を呼んできます。部屋の中には誰も居ないようですが、どこに暗殺者に加担した者が潜んでいるか分かりません。私が戻るまでくれぐれもご用心をお願い致します。」
「おうよ。」
疾風の如き速度で走り去るコンセルを見送ると、周囲への警戒を怠らずに火日人は思案する。警察庁長官暗殺。それが齎すものについて。
火日人が警察庁長官暗殺場面に遭遇した頃。
龍人がロア長官と全力の戦いを繰り広げている頃。
中央区商業地区にあるハンバーガーショップでフライドポテトを頬張る銀髪の男へ、黒のロングヘアを靡かせる女性が音もなく近付いていく。
「…首尾は?」
銀髪の男は振り向く事も無く女へ問い掛けた。
「彼は魔力暴走者によって命を落としたわ。」
「そうか。呆気ないものだな。」
「この後は予定通りやるのかしら?」
「あぁ。魔力暴走者で混乱に陥っている今が好機。やり口は好まないが仕方ない。」
「…セフ様。このまま従っていて、私達の目的にはたどり着けるのかしら。」
「ユウコ。細かい事を気にするな。辿り着けるかどうかではない。辿り着く。そのためにはどんな犠牲も厭わない。少なくとも、俺はその覚悟をとうの昔に決めている。」
「そう…よね。分かっているわ。ごめんなさい。」
「良い。不安になるのも仕方がないだろう。」
「ありがとう。…それで、順番はどうしようかしら。」
「俺の見立ててでは北、東、南の順番だろう。」
「分かったわ。」
黒髪ロングヘアの女…ユウコは銀髪の男…セフの言葉に頷く。
「じゃぁ…これから仕込むわ。いざという時は、魔力暴走者をうまく活用して手助けお願いね。」
「あぁ任せておけ。」
ユウコはセフが手に取ったフライドポテトをスルッと奪い取ると、「ふふっ」と笑みを零しながら歩き去っていく。
「アイツ…皿から取れば良いものを。」
小さく肩を竦めてため息をついたセフは、皿の上にある残り少ないフライドポテトに手を伸ばすのだった。
この日、中央区で合計5件、東区で合計6件、北区で合計5件、南区で合計4件の魔力暴走事件が勃発した。
この魔力暴走事件。魔法街に激震を走らせたのは警察庁長官がその被害者となった事。
そして、魔力暴走の原因が「ブースト石にあるのでは?」という憶測が飛び交う事となる。情報元は不明のまま、噂だけが魔法街に広がっていくのだった。