第三話
8月3日(中国軍の侵攻より2日経過)
哨戒飛行中だったEー767が先島諸島周辺に向かう中国軍の編隊をレーダーに捉え、Fー15J編隊(12機編成)に迎撃を命じた。
中国軍の編隊は増援部隊を載せた輸送機部隊で、その護衛を務めているのは空母艦載機のJー15(旧ソ連・ロシア製Suー33のコピー機)だった。
戦後初となる日中両軍の空中戦の幕を開けたのは中国軍側からの先制攻撃だった。Eー767からの情報で中国軍の編隊の位置をいち早く捉えていたが、会敵に有視界確認を求める空自のROE(交戦規定:部隊行動基準)に縛られた結果、中国軍側からの先制攻撃を許してしまい、2機のFー15Jが撃墜されてしまった。
衝撃を受けた東京の航空幕僚監部はすぐさまROEの変更を行い、那覇基地に待機していた第302飛行隊を増援部隊として発進させた。第302飛行隊には新鋭のFー35JAが配備されていた。
BVR(目視外射程)交戦が認められた新ROEによって、第2ラウンドの戦闘を始めたのは空自側からだった。中国軍の早期警戒機KJー2000を撃墜したことで中国軍側の航空管制は失われ、統制が乱れた。その隙をつき第302飛行隊のFー35JA編隊がレーダーの死角から入り込んで戦闘に加わる。その結果、主導権を握った空自戦闘機部隊は、有利に戦闘を展開する。
この戦闘により中国軍側は10機いた戦闘機のうち、4機が撃ち落とされ、早期警戒機も撃墜されたことも重なり、輸送機の編隊と共に撤退していった。
中国軍の防空警戒網に穴を開けた自衛隊JTFは、北海艦隊空母機動部隊を撃滅するために、空自と海自の連携した対艦攻撃を決断した。
対艦攻撃の先陣を切ったのは、築城の第8航空団に所属するFー2戦闘機24機とそれを護衛する那覇の第9航空団のFー15J24機だった。
Eー767の観測によって、空母1隻の他、蘭州級駆逐艦2隻、旅滬型駆逐艦1隻、瀋陽級駆逐艦1隻、江滬型フリゲート2隻、江凱型フリゲート2隻、補給艦1隻と北海艦隊空母機動部隊の編成が判明していた為、Fー2戦闘機隊を3隊に分けた飽和攻撃を行うことを決めた。
中国海軍空母より発進したJー15の迎撃を護衛隊のFー15Jに任せ、Fー2隊は対艦ミサイルASMー2を発射。日本側からの対艦ミサイル攻撃を北海艦隊空母機動部隊は迎撃し、空母こそ守ったものの、護衛の駆逐艦2隻とフリゲート艦2隻、そして補給艦を失い、Fー2隊も北海艦隊側からの迎撃によって5機もの機体を撃ち落とされてしまった。
Fー2隊による対艦攻撃によって艦隊の半数を失ったにも関わらず、北海艦隊空母機動部隊は撤退することなく、現場海域に踏みとどまっていた。敵艦隊を完全に排除するべく、自衛隊JTFは当初の作戦計画の通り、護衛隊群による艦隊決戦を決断した。
艦隊決戦に向かう第1護衛隊群の旗艦のマストには「Z旗」が掲げられた。かの日露戦争での日本海海戦の時と同じように、「日本国の興廃はこの一戦にあり」と、日本にとっても決して負けてはならない戦いでもあった。
空自戦闘機隊の援護を受けた第1護衛隊群は単縦陣で突入し、対艦ミサイルSSMーB1を発射。北海艦隊空母機動部隊もYJー62、YJー83対艦ミサイルを発射したが、海自護衛隊群のECMと対空ミサイルによって迎撃されてしまう。護衛隊群からの対艦攻撃によって北海艦隊空母機動部隊も残っていた駆逐艦とフリゲート艦は大破・沈没し、空母も海自の潜水艦による魚雷攻撃を受け、数分後には沈没した。帰るべき母艦を失った艦載機部隊も燃料が僅かしか残されていなかった機のパイロットは脱出し、帰れる機は中国本土へ引き返した。
戦後初となる艦隊決戦は自衛隊JTF側のワンサイドゲームで幕を降ろし、北海艦隊空母機動部隊が壊滅した現場海域に着いた護衛隊群は、漂流している中国軍兵士の生存者達と脱出した空自パイロットの救助に全力を挙げた。