第九話 とうとう冒険者デビューするようです
冒険者。
それは憧れの職業。いや、大変なことが沢山あるのは分かっているけれど、やっぱり幼い頃に聞かされた数々の冒険譚に心惹かれてその道に入ったものも少なくないのではないかしら。
「ブノワ辺境伯領の冒険者ギルドはここ! 覚えておけよー」
ちょっと茶化しながらアダンが案内してくれた場所は、大通りに面した大きな建物。
剣と杖が交差した盾に本が描かれた冒険者ギルドの紋章。ああ、私本当にここに来ちゃったんだ。
「というか、エレン。ちゃんと父上に話してきたの? 冒険者になるの」
しゃきしゃきとしたアダンとは対照的なユーグがのんびりおっとりと質問してくる。
……言った……かな? いや迷宮に行くことは伝えたけど、冒険者になることは伝えたかしら? どうだったかなぁ。
「いや、でもさ。正直今のエレンは基本職でしかないから、レベルとかもないしステータス補正もないだろ? なっておいた方がいいと思うんだよなー」
アダンは自分を納得させながら話しているかのようにうんうん頷きながら続けて、それからかっと目を見開いた。
「まぁ、駄目だったら辞めればいいだろ。冒険者」
あ、そういうのでいいの? ユーグの方を恐る恐る見れば、ちょっと眉間に皺を寄せながらこちらも少し考え込んでいる。
「まぁな。偽名でも登録は可能だし、職業によるステータス補正も付く。特に何がしかのペナルティがあるわけではないから、一度登録しておいた方がいいか」
「そうそう。案ずるより産むがやすしってやつだ!」
「アダン、そんな難しい言葉知ってたのね」
「ひっでぇ」
私がちょっと別方向の関心をしていると、アダンはむすっとした顔をして拗ねる。ふふ。そういうところは昔とほんとに変わらない。
結局のところ、私はここに帰ってきたかったのだ。口うるさくマナーのなっていないご令嬢の指導をするよりもずっと、幼馴染たちと過ごす時間は楽しい。
「じゃあ、行こうか」
私とアダンのやり取りを黙って、でもどこか嬉しそうに見ていたユーグはこれ以上不毛な会話が続かない内にと割って入ってきた。これもいつものこと。私が、城に籠もる前まではいつもだった光景。
「お嬢、違った、エレンが何の職業選ぶか楽しみだなぁ」
「下級職しか選べないでしょう? 大体、私には魔力がほとんどないんだから、後衛は無理だし」
「神様が選んでくださいますよ。そういう時はね」
神様、か。今までは信じていなかったけど、こうして領地に戻ることが出来て幼馴染たちといっしょにいることが叶った今は、信じてもいいかもしれないと思い始めている。悪役令嬢だなんて言われて、正直腹に据えかねることはあったけれども、そう言われることがなかったらここへ戻ることが出来なかったというのなら、納得もする。
「? どうした? エレン」
「どうかしましたか?」
「ううん。なんでもない」
嬉しくて笑ってしまったことは内緒にしておこうと思った。だってなんとなく、照れくさい気がしたからだ。この気持ちは、大事にしまっておこうと思う。
冒険者ギルドの扉を開くと、独特の匂いが鼻をつく。血や汗のにおいがする冒険者たちのそれを隠すように香が焚かれているのだと、王都で教わった。魔物除けでもあり、あとは単純に気持ちに問題だという。
(そのあたりは共通なのね)
賑わっている室内は酒場を兼ねている。協力者を探すもの、失敗を嘆くもの、自分の冒険譚を聞かせるものと千差万別、十人十色だ。あんまりきょろきょろするのもはしたないので、大人しく前を歩く二人にくっついてカウンターまで歩いていく。
「冒険者の登録をお願いしたい」
ユーグが案内役の女性にそう声をかけると、彼女は私を見てはっとしたような表情をした。う。何かしたかしら?
「彼女はエレン。俺たちの幼馴染なんだ」
私の不安を読み取ったのか、アダンが割って入ってくる。その言葉に、何かを口にしようとしていた案内係の女性は口を噤んだようだった。そのまま、深くお辞儀をしてくる。
「初めてのご登録でいらっしゃいますね。こちらへご案内いたします」
そう言って、部屋の奥へと進む廊下へと案内された。不安になって二人を見ると、二人ともキリっとした顔立ちで前を見ている。とりあえず、何がしかあるのは間違いはないようだ。
「どうぞ、こちらへ」
通されたのは応接室だった。しっかりとした作りの3人掛けのソファにいっしょに座る。なんだか気恥ずかしい。けど、この気持ちは隠しておく。
対面に座ったのは眼鏡をかけて髪をまとめた美女だった。屋敷で勉強を教えてくれていた家庭教師の人に似ている。黒い髪に黒い瞳。別の国の方かしら。あまりこの国では見ない色だ。
「本日担当させていただきます、ジゼルと申します」
先ほどの受付の女性とは裏腹に冷静でぴしっとした印象を受ける。
「こちらのギルドの副ギルド長を務めさせていただいております。アダンさんとユーグさんには何度かお会いしたことがありますかしら?」
「いえ。俺たちは下っ端のぺーぺーですから」
アダンが受け答えをした。意外にしっかりと答えているのが驚き。いや、それもそうか。彼らと過ごしていた時間はずいぶん前なのだから、そこから成長しているのは当たり前よね。
ちょっと嫌味な言い方をしたアダンにはまったく触れず、ジゼルさんは私の前にステータスを測定するための器具を用意する。
「エレンさんは、冒険者登録は初めてということですので、初級職から選んでいただくことになります。戦士系か魔法系か、どちらになさいますか?」
「……戦士系で。剣士がいいかな、と思っています」
私には魔力がほとんどない。だから選ぶなら最初から、剣士になろうと決めていた。せっかく習ったことがある武器だもの。使わないと損だし。
「かしこまりました。……それと、本日初めて冒険者として登録される方に、領主様より贈り物がございます」
……贈り物? 領主様、ということはお父さまから?
「こちらです」
手渡されたのは私の手におさまるほどの大きさの卵。うん。卵ですね、これ。リボンがかけられていますけど。
「お。ぴよぴよバードの卵じゃん、それ」
「ぴよぴよ?」
先ほどのジゼルさんに向けていた棘棘しさが少し和らいだアダンが、私の手の上に乗せられた卵を見ながら言った。ぴよぴよ? 何、その可愛い名前。
「ベイビーバードの卵だね。生まれたてはぴよぴよ鳴くから、ぴよぴよバードとも呼ばれる。うまく育てれば進化することもあるそうだ」
「そんなすごい卵なの?」
小さな卵からはそんな気配は一切ない。青いリボンがかけられた卵。ただ、それだけだ。
「では、こちらの魔力認証板に両手を」
貰った卵はユーグに預けて、両手を差し出す。黒くて何も描かれていなかった板に、いくつかの魔法陣が浮かんできた。
「おい、ユーグ」
「アダンこそ、気を抜くなよ」
二人が背後で何か不穏な会話を交わしていたが、私はそれ以上に魔法によって描かれていく文様の美しさに魅せられていた。魔力がほとんどない、と言われたあの頃。魔法を使いたかった自分には死刑宣告にも等しかった。だから、魔法は今でもとても好きだ。見るだけでもいい。
「では、エレンさんの冒険者登録を開始します」
ジゼルさんがそう宣言した瞬間、私の中の何かが弾けた感じがした。例えていうなら、堰を切って流れる水の奔流。頭の中を何度かベルが打ち鳴らされる音と共にメッセージが表示されては消えていく。冒険者登録ってこんなに大変なの?! 情報量の波にさらされて頭の中が熱くなっていく。目がくらんで体を起こしていることも出来ない。そして、私の意識は途切れた。背中に、二人分の腕の感触を感じながら。