第三話 とうとう王都から逃げ出すようです
この学府の中にあっても冒険国家の名は伊達ではない。
迷宮に入っての討伐研修なんてものもあるし、お蔭で軽装の旅装なんてものは一通り揃えることが出来るようになっている。馬に乗せても邪魔にならない程度の荷物をバッグパックに詰め込んでいれる。空間収納魔法は習得しているけれど、すぐ使いたいものはすぐ使えるようにしておきたいのだ。どうしてもタイムラグがあるし、咄嗟に使う時に集中しなければならないのは面倒。
「どうなさったのですか?! お嬢様」
学府でのメイドたちを取りまとめるイレーヌが部屋をひっくり返すような勢いで旅支度をしている私に悲鳴のような声をかける。手は止めない。だって急いでいるのだもの。
「……殿下から、婚約の解消を言い渡されたわ」
「なんですって?! 国王陛下からの勅命ですか?」
「いいえ。あいつ、いえ、殿下の暴走だと思う」
おっと、うっかりあいつとか出ちゃった。てへぺろ。
「そんな……」
ゆらり。イレーヌの背後の空気がゆがんだ。物理的に。怒っているなぁ。優しいね。
「婚約者としてのお嬢様をこの10年ないがしろにし続けたばかりか、卒業の宴で婚約破棄を言い渡した、なんて……」
「あー。あとね、なんか新しい婚約者とやらも発表してたわよ。かわいくて頼りない雰囲気のいかにも殿下の好きそうな方だったわ」
イザベル嬢のおどおどとした表情のわりに、しっかりとした眼差しを思い出す。多分、いろいろ考えて王子に取り入ったんでしょうけど、残念その男はあなたが思うよりも最悪なのよ。
「……ほほぅ」
室内の温度がいくらか下がった感じがする。イレーヌが本気で怒っている。こわっ。
「とにかく国王陛下のお耳にこの話が入る前に、私、どうしても領地に戻りたいの! だからその」
「分かりました。私がお嬢様の身代わりを務めます。何かあっても大丈夫ですよ。返り討ちにしてやりますから」
にこっとイレーヌが微笑んだ。微笑んでいるのに、目が笑っていない。
「ありがとう。イレーヌだってブノワ領に帰りたいでしょうに……」
「ちゃんと後から参りますからご安心くださいませ。大体、お嬢様が不在のここに私たちが残る意味はありませんわ」
他のメイドたちがそれぞれ頷く。彼女たちは領地に居た頃に知り合った冒険者でもある。腕は確か。ならば不測の事態でも大丈夫、かな。
「私の馬は厩舎にいるわよね」
「馬車をご利用くださいませ」
「駄目よ。それでは足が遅すぎる」
何かに追い立てられるような私に、イレーヌは少し考えてから空中に指で文字を描いた。描いた文字は光の糸となって小鳥の姿を取り、闇夜を飛んでいく。
「厩舎に連絡を出しました。お嬢様の馬を一頭、すぐ出してもらえるように」
「恩に着るわ」
手を広げて、そのままイレーヌを抱きしめる。イレーヌは驚いたようだったけど、私は気にしない。同い年の私の友人のひとり。
「行ってくる、いいえ、帰るとします。面倒ごとを押し付けて本当に申し訳ないのだけど――」
「さあ、お嬢様のご出立です! 私たちは私たちの仕事をするだけですよ!」
私が謝ろうとした言葉を遮るようにして、イレーヌが鼓舞するようにメイドたちに声をかける。
本当にいいメイドたちに恵まれたものだ。
「じゃあ、またね」
「はい」
こつん、と拳と拳をぶつけ合った。これは領地にいた頃からの私たちの挨拶。
そしてドレスを脱いで乗馬服に着替え、レイピアを腰に携えた私は厩舎へと走っていった。
「何考えてんのっ! あの馬鹿王子は!!」
思わず毒が出た。もう聞かれてもかまうものか。
厩舎には無事にたどり着けた。そして馬で街道を走っていく途中、闇の中から襲撃を受けた。幸い、空には満月。明るすぎるほどの月光が、私と刺客たちを照らし出す。
「領地に戻る前に始末してしまえば、どうとでも言い訳が出来るとでも思ったのかしら? 本っ当に腹が立つ」
魔力量はあまりない私だけれど、それなりに細剣の扱いには慣れている。けれど、多勢に無勢というのはまずい。護衛の一人でも連れてくればよかったのだろうけど、学府での護衛は王家の息がかかっているから無理だった。
「あと少しなのに」
王都から離れれば結界が弱まる。そこまで行けば、どうにかなるのに。
馬を見れば怯えた目をしている。学府に来てから調達をした子だから、あんまり付き合いが長いわけではないけど、それでも大事な友人だ。
「ごめんね、パトリシア。もう少しだけ、頑張って!」
優しくたてがみを撫でた後、腹を蹴って急発進させる。まさかこのタイミングでそんな暴挙に出ると思わなかったのか、刺客の一人がパトリシアに蹴り飛ばされた。
ぎゅうっと手綱を掴んで前を見る。後ろから飛んでくる矢を意識するほどの余裕はない。腕を掠めていった矢には何かが塗ってあったらしい。かっと熱くなる感触に手綱を離しそうになったが、がむしゃらに走らせた。
不意に、空気が変わる。
(結界を、抜けた?!)
さらに背中に鈍い衝撃を受けて、馬から転げ落ちてしまった。痛い。苦しい。でも、私はもうこんなところいるつもりはないんだ。
痛みを押し殺して思いきり肺に息を吸い込んで、声を限りに叫ぶ。
「ルゥナー! ヴィエント! 私はここよ!!」
「貴様、何を?!」
刺客が私が出した大声に驚く。この辺りには人里はない。街道とはいえ、人通りだってない。叫んでも無駄なのに、馬鹿な女だ。気が触れたのだとでも思っただろう。
「クゥエェェェェェ!!」
声がした。
私は仰向けに転がされて、刺客が構えている短剣が月の光を反射しているのを見る。
「ウォオオオオオォォォン!!」
もうひとつ声がした。
「何だ?! 影狼か?!」
刺客が何かを気にして振り返った瞬間、その体は横っ飛びに飛んでいった。月の光を受けた銀色の毛玉、もとい獣が体当たりしたのだ。
「ルゥナー」
月の光を受けた銀色の毛並みが美しい狼の姿。月狼のルゥナーは私に従う魔物だ。
「フェンリル、だと?!」
優しく頭を撫でてあげると、私の怪我に気付いたのか、あたたかい光が彼女から流れ込んでくる。回復の光。元々の月狼は好戦的な性格ではない。
「ぎゃああああ!!!」
どちらかといえば、あっちの方が好戦的だよね。
「鷲獅子もだと?! こんな場所に現れる魔物ではないはずなのに!」
刺客たちは血をまき散らしながら、鷲獅子の群れと戦っている。しかし分が悪い。訓練された一級の冒険者たちが相手だったら分からなかったけれど、暗殺者ならば別だ。人数も少ないしね。
そして月狼のルゥナーは私の傷を癒すと、鷲獅子たちに加勢しに走っていく。彼女の代わりに何頭かの月狼が私の周りをぐるっと囲んで警戒してくれている。
「……はぁ。なんとか、なった」
そしてどれくらいの時間が経ったのかは分からないが、気付けば剣戟の音は止み、鷲獅子の羽ばたきと月狼の荒い息遣いだけが夜のしじまに響いている。
「ありがとう、ヴィエント」
鷲獅子の中でもひときわ大きな体躯の一頭の頭を撫でながら労いの言葉をかけると、彼――ヴィエントは嬉しそうに喉を鳴らして私の手に頭を押し付けてくる。甘えたなところは、昔とちっとも変わらない。
「さあ、帰ろっか」
ちょっとぐったりとして二頭に声をかけると、彼らはそれぞれ自分が率いてきた群れに指示をして私を守るように取り囲むと街道を進んでいく。
自分を害するものではないのが分かるのか、パトリシアはおとなしくまた私を乗せてくれている。一度は逃げたが、戻ってきてくれたらしい。なんて優しい子だろう。
「ありがとうね、パトリシアも。領地にいったらブラッシングしてあげる」
優しくそのたてがみを撫でると小さくいなないて答えてくれた。空が、少しずつ明るくなっていく。もうそんな時間なのか。必死だったから、何も分からなかったなぁ。
「とりあえず、寝たい……」
貴族の令嬢にあるまじき言葉を吐き出しながら、私はパトリシアにもたれかかるようにして領地へと急いだ。辺境伯領。私の愛する故郷へと。




