すらすら読んじゃう版
夏目漱石の彼岸過迄をわかりやすく現代語訳したものです。読みにくかったので個人的に訳していたものを投稿していきます。
原文の雰囲気を失わないようにしていますが、純文学が好きな人はあまり見ないほうがいいかもしれません。
明治文学作品などに近寄りがたい、読みにくいと思っている方にはおすすめできると思います。
彼岸過迄を書くにおいての前書き
本当のことを読者のみなさんに告白すると、明治四十三年の八月ごろにこの小説を連載する予定だったのだ。ところが猛暑続きの夏に病み上がりの体を酷使するのは、いかがなものだろう。という親切な心配をしてくれる人がおられたので、それをいいことに、更に二ヵ月間休暇を取ったことが原因で、とうとうその二か月が経った十月にも筆を執らず、十一月十二月もついつい連載への気持ちがはっきりしないままで暮らしてしまった。自分が当然やるべき仕事が、こういう風に、波が崩れて伝わっていくような具合で、ただただだらしなく延びていくのは、決して気持ちの良いものではない。
年が改まる元旦からいよいよ書き始めることが決まった時は、長い間抑えられていた創作意欲が放たれたという楽しさよりは、背中に背負わされた義務を片づける時期が来たという意味でまず何より嬉しかった。けれども、長い間放り出しておいたこの義務を、どうしたらいつもよりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新しい苦痛を感じずにはいられない。
久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければならないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して、とても寛容であってくれた朝日新聞社の友の好意だの、自分の書く文章を毎日日課のように読んでくれる読者の好意だのに、報いなければ気が済まないという気持ちもだいぶ加わってくる。で、どうにかして上手く書けないかと念じている。けれども念力だけでは小説の良し悪しを左右することはどうしたってできっこない。いくらいい文だと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言できないのが小説を作るにあたっての常識であるから、今度こそは長い間休んだ埋め合わせをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこの部分に苦痛が潜んでいるのである。