どうかしてるよ
「これは…オプッ…」
明け方、いつもなら半分ほど顔を出した陽が優しく地上を照らしているであろう時間帯。
鉛色の曇天の下、薄汚れた路地裏で一人の青年が両手で口を抑えて蹲る。青ざめた顔で目を見開いて、前方のそれを凝視する。
蹲ると同時に、まるで握力が尽きてしまったんだと言わんばかりに手の中にあったそれを力無く手放した。それは重力に逆らわず、一直線に落ちて地に転がった。
珍しく、鳥の声も風の音も聞こえない静かな朝だ。起きている人間も居ないから生活音もしない。カランという音は少し重たい空気の中を力強く、それでいて凛とした響きで震わせた。
「うう……アプッ」
周囲に響くその金属音を気にもとめずに青年は蹲ってただただ吐き続けた。まるで、脳に身体の支配権が無くなってしまって、吐くことやめたいが止まらないといったような姿だ。青年の姿だけを見ていれば滑稽極まりない。
それはさながら巨大な相手に心から屈した敗者。または上司に謝る部下。はたまた親に怯える子供。
あるいは、まるで目の前の現実から目を背けて逃避する、犯罪を犯してしまった人間のようであった。
辺りにツンと嫌な匂いが立ち込める。地面に伏す青年の顔周りで吐瀉物が少し見えていた。
腹の中のものを全て戻しきったのだろう、暫くすると青年は口の端から糸を垂らしながら四つん這いになった。まだしっかり立ち上がることは出来なかったため、青年は暫くその状態でいた。
「カ……ハッハァッハァッ…エホッ」
呼吸が定まるまで待とうとする青年には、その呼吸の一回一回がとてつもなく長く感じるのだった。
だいぶ時間が経って、いつの間にか黒く染まっていた空からは雨がふりはじめていた。ポツ、ポツ、と降る雨ではなく、夏の夕立のように始めから強く青年を打ち付ける雨だった。
青年は背中に冷たさを感じ、ハッとした様子で立ち上がった。立ち上がった途端、また前方のそれが視界に入った。
それの腹部にパックリ開いた傷跡からは、綺麗な内蔵が見え始めていた。降りしきる雨のせいで血が流れたのだ。
流れた血は雨水と混ざって色を失っていく。
少し後、雨水によってその場から生々しい吐瀉物と血が取り除かれて、そこに残ったのは立った青年と横たわった少女と転がった包丁だけだった。
「…………」
二度目は無かった。それは、もう少し見慣れていたからでは無くて、すでにもう腹の中は空だからだ。と青年は考える。
吐き気自体はしていた。しかしそれは、最初よりも、何倍も軽微なものだった。
青年は少女をじっと見つめる。その表情に見て取れるのは何故、という困惑、初めて見る死体への驚愕、そしてほんの少しの――
綺麗だな。
「……あ」
青年はもともとないに等しかった動きをピタリと止めた。一秒、視界をぼやけさせて。二、三秒経ってから片手を口に当てて目を見開く。
――興味だ。
青年の中に、無意識にほんの少しの興味が生まれていた。
何に対して?
勿論、死体に対してだ。怖いもの見たさとは違う、純粋な興味。知らず知らずのうちに、彼にはその死体がとても素敵で、清らかなもののように思えていた。
たまたまその少女が美しかったからそう思ってしまっただけだろうか、はたまた実は彼にはもともとそういう所があって、死体を見たことで目覚めてしまったのだろうか。
どちらも無いとは言い難い。
どちらもないとは言い難いが――彼は自覚しているのだろうか。どちらにせよ、死んだ人間を綺麗だと言い、あまつさえ興味を持つなどということは異常なのだと。
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静かに目を覚ました。
肌寒くなるこの時期、掛け布団が一つ増える時期。微かに汗ばんだ体に密着する布団が鬱陶しい。
バッと手を天井に向けて一突き。手が天井に当たることはないが、鬱陶しかったものはヴォフッと低い悲鳴をあげて身体から離れていった。ひんやりと心地いい寒さを感じつつ、深呼吸をした。
なんだか今日は変な夢を見たな…
夢を見るのすら久しぶりだというのに、自分が人殺しにでもなったような夢。酷いものを見た。でもまぁ、どうせ昼飯を食べる頃には忘れてるだろうし。
「気にしないでおこう。」
しばらくあと、彼は台所に調理具が見付からず、探し回った。
俺は無駄な時間を浪費してこの作品を書き…お前も無駄な時間を使って読むのだッ!!!!




