ハヤトの決断5 キャンプを確かめる
「もちろん」
俺は居住まいを正して、了承した。
軽く息を吸い込んでから、天川さんが口火を切る。
「……実はわたし、四年前に母を亡くしていて、僅かの期間ですけど、叔父に引き取られていたことがあるんです。最初からあまり好きじゃなかった人なんですけど、お邪魔するようになってから三日後に、いきなり夜に部屋に入ってきて……その、わたしのパジャマを脱がそうとしました」
言葉もなく、俺は彼女を見返した。
四年前て……ほんの子供やん。しかも、身内だし。
俺の顔を見て、また気を回したのか、彼女は少し焦ったように首を振った。
「あの、本当に脱がされる前に、サイドボードに置いてあった時計で思いっきり頭を殴りつけたんです。だから、それ以上のことはありませんでした」
「そ、そうか……よかった。いや、俺が驚いたのは、大の大人がそんなことするかねってことだったんけど」
「胸を掴まれそうになった時……わたしも同じことを考えました」
俯き、嫌悪感に満ちた声音で言う。
最初から俺は、「年齢の割に、男に対する警戒心が強いな」と思っていたけど、それなりの事情があったわけだな。
俺は軽く咳払いして、尋ねた。
「それで、今は大丈夫なんだよな?」
「はい。殴りつけた直後に外へ飛び出して交番に駆け込んで……その騒ぎのお陰で、今はあの人じゃなく、間に入ってもらった他の親戚の人に面倒見てもらっています。高校卒業するまでの約束ですし、実質的に今は一人暮らしですけど」
「そう、良かった! て、ごめんっ。別になにも良くないなっ。ごめん」
思わず口から出てしまい、焦って謝る俺を見て、なぜか天川さんがゆっくりと微笑した。
それから、まるで暗闇の中をまさぐるような手つきで、そろそろと俺に手を差し伸べる。不思議だったが、なにか意味があるのかもと思い、俺は黙っていた。
そのうち、じれったくなるような時間をかけ、彼女は俺の右手を両手で握った。
少しひんやりしていたが、すべすべした柔らかい手だった。
「な、なに!?」
思いっきり焦った俺を見て、こっちの膝が抜けるような優しい笑顔を広げる。
……アイスドールのこんな笑顔は、多分俺、初めて見た気がする。
「先輩が……わたしのことをひどく心配してくださっていることがわかります」
囁き声で彼女が言う。
「わたし、もう生涯、男性には必要以上に近付かないと決めていましたけど。先輩……いえ、中原さんは……唯一の例外にしたいと思いました」
そう述べると、天川さんはこんどは俺の右手をまたゆっくりと持ち上げ、自分の頬に当てた。
一見無表情に見えるが、ここしばらく一緒だったせいか、彼女がひどく恥じらっているのがわかる。
というか、俺が恥ずかしい!
「やっぱり……そうでした」
「な、なにがっ」
思わずテンパった声を上げてしまった。
「こうして触れてみても、全然平気です……ただ、胸がどきどきするだけ」
きらきら光る彼女の瞳を見て、俺はもう確信した。
アイスドールなどと呼ばれる冷ややかさは、ただの見せかけに過ぎなかったらしい……。
お互い冷静に戻ると、いきなり今のやりとりが気恥ずかしくなってくる。
俺はいよいよキャンプのやり方について教えてもらうことにした。
落ち込んでいる沢渡さんには後から伝えることにして、とにかく先にやり方だけでも教わっておかないと。
「始めよう、チュートリアル。キャンプとやらはこの場所でも可能なのか? それとも、場所を移動した方がいい?」
返事は即座にあった。
『移動の必要はありません。周囲を見て誰も見ていないようなら、こう声に出してください。我が女神よ、安息の地を! と』
「それ、同時に言った方がいい?」
我が女神って、よもやあんたか? という質問は喉の奥に押し込んでおく。
後でいいや、後で。
『臨時に、お二人を疑似ゲームのパーティー要員として認定します。よって、どちらかお一人で大丈夫ですよ』
「じゃあ、ここは一つ」
俺が彼女に譲ろうとした途端、軽く囁かれた。
「中原さん、お願いします」
「う……そうですか」
ていうか、耳元で囁くのはやめてほしい。あと、いつの間にか名字で呼ばれているという。
静かに微笑する天川さんに頷き、俺はヤケクソで声に出した。
「我が女神よ、安息の地を!」
途端に、周囲の光景が一瞬で消え、暗黒世界に放り出されたような気がした。
しかしすぐに闇の中に他の景色が浮き上がり、俺達は数秒後には見知らぬ場所に立っていた。