意識はどこかへ
今日は、雨だ。
雨は、嫌い。
湿度で楽器の調子が悪くなる。
「今日も先生怖かったねぇ」
学校からの帰り道。
同じ音楽高校の長唄三味線専攻の友達–––紗織と並んで駅へ向かう。
「ほんとそれ!
やる気ないならやめろっていわれたわ」
この五十歳くらいの高木先生は、よく怒る。特に、私のことを。
他の先生には、褒められることが多いのに、高木先生だけは、褒めてくれない。
きっと、気づいているのだと思う。
私が、三味線を好きではないことを。
私のお母さんは、三味線の先生をしている。
その影響で、幼い頃から三味線を習い始めた。
小学生の頃、「自分の習い事について話しましょう」というのを道徳の時間に行った。
それで、私は「長唄三味線をしています」と答えたのだけれど、当時好きだった男の子に、
「三味線っておばさんみたい」
そういわれ、どんどん三味線が嫌になった。
ちなみにうちは呉服屋を営んでいるから、家柄上、どうしてもやめることができずに、音楽高校にまで入学してしまった。
もう、後には引けないのだ。
「あ、やばい。急行行っちゃう!
ごめん。綺音、先帰るね」
紗織が時計を見るなり走り出した。
彼女と私は家が反対方向である。私は学校から自宅まで一時間半ほどであるのに対し、紗織は二時間以上かかる。県境をふたつ跨ぐらしい。
いつもは他の楽器の友達もいるから、ひとりにはならないのだけど、きょうは三味線専攻だけ授業が長引いたから、寂しい。
友だちと話すのは楽しいし、楽典の授業だって、面白い。
学校の敷地内にある音楽家の銅像に話しかけてみた。
「三味線なんて、やめたいよ」
その刹那。
しん、と冷たい金属の感触に、眩暈を覚えた。
視界が揺らぐ。膝から力が抜ける。
––––咄嗟に、楽器を抱きしめた。
そして、やばい、と思った頃にはもう遅くて、意識はどこかへ行ってしまった。