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集積世界伝記  作者: 琴吹 羽純
第一章 異界
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005 異界_5〜全界境団

 怯えきった陸鳥ヤルシュが落ち着くのを待って、馬車はイブオロの街に向けて出発した。商人の男はいくらか難儀しながら、二頭の陸鳥を操っている。傷を負った商人の女は幌車で休んでいるが、意識ははっきりしていた。

 幌車はヨエルと商人の女、そしてまだ意識の戻らないヴラスタの 3 人になり、少々手狭だ。

 呼んでも応えないヴラスタにぞっとしたが、時とともに呼吸も大きくなり、回復魔術の効果が出始めていることにいくらか安堵もしていた。今はほとんど眠っているような状態で、回復魔術が全身を休ませているというところだろう。


 商人に借りた布で剣の血脂を拭い、ヨエルは鞘に納めた。

 周囲はすっかり夜になっているが、幌車の中は油を燃やすランタンで明るい。街への到着が想定よりかなり遅くなってしまったようで、一度商人の 2 人は馬車を止めて何か話し込んでいた。このまま夜道を進むのか、朝まで休むかを決めていたのかもしれない。

 しばらく進んだが、結局鳥車は夜道を往くのを諦め、朝を待つ事にしたようだ。陸鳥を立ち枯れた木に繋ぎ、商人は手際よく焚き火を熾した。


 しばらくしてヨエルを呼んだ商人は、火にかけていた鍋からスープを木の器に移し、匙を添えて差し出した。同じものを、幌車から降りてきて焚き火を囲む商人の女も持っていた。

 スープは干し肉を戻したものと何らかの穀物が入っていて、あるかなきかの塩味がついていた。元の世界で旅人の取っていた食事とそれほど大差はない。塩味が身体に染み込んでいく感覚があった。こちらに来て、初めての食事だ、とふと思った。

 戦闘と治療で魔力を使ったこともあって、かなり空腹感は感じていたので、スープはありがたかった。

 感謝して空になった器を商人に返すと、商人は笑って鍋のスープを器にもう一度よそい、ヨエルに差し出した。おかわりを要求したわけではない、と言おうと思ったが言葉は通じない。まあいいか、とヨエルは器を受け取った。

 スープを味わいながら、先ほど斬った翼のある犬のことを思い出していた。強い敵と戦った、という感覚があった。これまで討ってきた数多の強敵。あの獣がそれらに匹敵するかはよくわからない。ただ、もしあのレベルの獣が、こんな人の手の入った街道で当然のように闊歩しているのだとしたら、あの魔王がこちらの世界から来たというのも頷ける。


「面白くなってきたのかもしれない」


 小さく呟いた。ヴラスタの様子を見に幌に戻ると、布団の中から聞こえる呼吸は寝息に変わっていた。このまま明日の朝まで休ませれば、意識も戻るかもしれない。

 胸をなでおろすように息をつき、ヨエルは幌車から出た。商人達も焚き火の隣に布を敷いて横になっていた。彼らにとっても先ほどの戦闘は想定外だったらしく、さすがに困憊しているようだった。

 しばらく火の番をして、自分も少し体を休めよう、と思った。




 日が昇り始めると同時に、誰ともなしに目を覚ました。ヨエルが横になる前に薪を足しておいたので、火はまだ残っていた。怪我をした商人の女もよほど元気になったようで、自分の乗騎の世話をしていた。

 昨日のスープがまだ残っていたようで、男は鍋を火にかけて温めなおしているところだった。

 ヨエルが幌車を覗くと、ヴラスタが覚束ない様子で上体だけ起こしていた。ヨエルの視線に気付いたのか、ヴラスタは何かを言いかけて、言葉を詰まらせたように言い淀む。


「ご、ご無事で …… ?」


 ようやく絞り出したように言って、ヴラスタの瞳が揺らいだ。苦笑して、ヨエルは頷く。ヨエルの目に安堵の色が溢れる。微かに嗚咽の声も聞こえた。


「よかった。ああ、ご無事で、よかった …… 」


 ヨエルは幌車に乗り込み、ヴラスタの隣に座る。手で顔を覆うようにして嗚咽するヴラスタの肩に手を触れる。小さく震えていた。


「お前のおかげで、助かった」


 あの有翼の犬の雷撃をなんとか防げたのは、ヴラスタが咄嗟に庇ってくれたおかげだ。あの一瞬の猶予で、耐魔の術壁を張ることができた。


「お守りすると、誓いました。でもわたし、間に合わないかと思って」

「お前は間に合った。俺は偉そうなことを言ってばかりで、早速助けられた。情けない話だが」


 ヴラスタは恥じ入るように俯いた。しばらく自責するだろう。だが、きっと立ち直るはずだ。それがわからないほど、短い付き合いではない。


 朝食の後、商人たちはすぐに出立の準備を始めた。ヨエルもできることを手伝って、動き出した鳥車の幌車に戻る。昨日よりいくらか鳥車の速度は上がっている気がした。行程の遅れを気にしているのかもしれない。とはいえ、彼らにそれほどの悲壮感は見られない。乗騎の背で談笑する様子もうかがえた。


「ついたようだ」


 いくらか塞ぎ込んでいる様子のヴラスタに声をかけた。昼を迎えようとしたあたりから草原の轍後は道幅を広げ、それなりに整備された街道に合流したようだった。そこここで同じような幌車とすれ違うようにもなっている。徒歩かちでの旅人の姿も増えていった。それほどの旅装ではなく、少し出かけただけという姿の人々の格好からも、大きな街が近いのがわかる。


「歩けるか?」

「 …… はい。もう大丈夫です」


 ヴラスタを伴って幌車から降りると、商人達はちょうど、街の門兵と何事か話しているところだった。ここが目的地イブオロというのは間違いなさそうだ。最初に訪ねた街と比べると石垣の塀は倍近く高く、人々の出入りもずいぶん多い。酒場の女がこの辺りの中心都市といっていたことも頷ける大きさだ。見る限り城のような巨大な建物は見当たらないので、城下町ということもないだろう。

 商人はヨエルを見ると門兵に紹介するように手招きした。ヨエルとヴラスタが促されて門兵の前に立つと、門兵は少し緊張したように軽く頭を下げる。ヨエルもそれに倣った。


 商人達とともに門を潜り、二人は街へ入る。門を抜けると遥か向こうに海が見えた。やはり海沿いの街だった。門から下るように緩やかな斜面に沿って見渡す限り街が敷かれている。白塗りの家が多いが、高い建物などは煉瓦造りのものもあった。所々に風車が立てられ、午後の穏やかな潮風を受けて回っている。大きな通りの地面は四角く切りそろえられた石が並べられ、鳥車の通行も容易い。大通りの所々には出店が並び、人通りの多そうな通りからは炊飯らしき煙も上がっていた。これだけの規模になると、ヨエルの居た世界でもかなりの大都市、しかも魔王の影響の少なかった内陸部か南部の商業都市と遜色はない。ヴラスタは余り海峡の街から出た事はないというから、この規模の街を見るのは初めてな のかもしれない。少し、表情が硬いような気がした。


「あの旗」


 遠くに見える高い建物を指した。前の街と比べ、さすがに一番高いという訳ではないものの、周囲の民家と比べればかなり背の高い煉瓦作りの塔が見える。その屋根の旗挿しの先に翻る旗は、白地に青の剣があしらわれている。あそこを訪ねよ、と前の街で女に言われた塔だろう。


「すぐに向かいますか?」

「そうだな。そうしよう」


 ヨエルが頷くと、商人達が何かしらの手続きを終えたのか、二人に合流してきた。ヨエルの視線の先にある旗を彼らも認め、それから頷く。商人の女が、羊皮紙を丸めたものを差し出した。何が書かれてあるのかはわからなかったが、それを受け取る。


「ありがとう。世話になった」


 伝わらないのはわかっていたが、商人たちに言った。ヴラスタも頭を下げる。意図を汲んでくれたようで、商人達は笑ってヨエルの肩を叩いた。


「行こう」

「はい」


 商人と別れて、しばらく歩く。あの高さなら、土地勘のないヨエルでも塔を見失う心配はなさそうだった。注意深く街並みを観察すると、やはり魔術が其処彼処そこかしこに巡らされていた。小さな露店はともかく、ある程度の規模の商店にも、人の目を惹く呪が書かれた札が架けられている。


「驚いたな。ピシ並の魔術都市だ」


 故郷の魔術師育成のための学術都市を思い浮かべて、ヨエルは呟いた。いや、街並みに溶け込んださりげない魔術の数でいえば、はるかに上回る魔術の普及度だ。


「そういえば」

「はい」


 ヨエルは思い出したようにヴラスタを見た。視線を察したヴラスタと視線が交差する。ヴラスタの左目の白い眼帯が陽光を受けている。


「昨日 …… あの獣の雷をまともに受けてお前が無事だったのは、やはり最初の街で付与した耐呪のおかげだと思うか?」


 問われたヴラスタの表情は変わらない。なにか少し思索するように右眼を揺蕩たゆたわせて、わかりません、と言った。


「あの獣の雷撃は、規模からしても人が耐えられるものではなかったように思います。ですが、私がこうしてヨエル様とお話しできているということは、たぶん、何かしら耐呪が作用したとしか考えられません」

「こちらにきて耐呪をかけたのはあの一度きりだ。あんな微弱な耐呪があのクラスの雷撃を防げるものなのか …… 」

「もしかしたら、こちらは私たちの世界より精霊の支配力が強いのかもしれません。精霊が強い力を持っているので、容易にそれを使役して行使できるのかも …… 」

「確かに、精霊の気配は濃い。囁く声すら聞こえてきそうだ」


 結局答えは出ないまま、二人は通りをふたつ抜け、目的の塔まで辿り着いた。予測するにしても、やはり情報が少ない。

 塔の周辺にはやはり旅装や佩刀している者の姿もかなりあった。塔の近くの通りには、旅に必要そうな物資を売る出店も並んでいる。冒険者や旅人の拠点というところだろうか。前の街の塔で出会った女は、塔で働いている自らを「境団」や「枝」などと表現していた。


「入ってみよう」


 重厚そうな木造の扉は開け放たれていて、中を覗く事ができた。やはり中はかなり広く、前の街のように酒場や食堂といった風情があった。テーブルとカウンターがあり、奥には仕切られているが厨房もあるのだろう。旅装したものが杯を傾けている卓もあれば、真剣に木簡を眺めている卓もあった。その間を女給が快活に動き回り、酒や食器を運んで回っている。扉をくぐってすぐ右側には小さなカウンターがあり、白服の女性が紙束を眺めていた。ヨエルに続きヴラスタも扉を潜ると、紙束を眺めている女が二人を認め、いらっしゃいませ、と言った。


「お食事ですか、斡旋ですか?」


 ヨエルとヴラスタは顔を見合わせた。言葉が通じる。前の街で会った塔の女もそうだが、この白地に剣の旗印の施設で働くものには、言葉が通じるのだ。どういう仕組みかはよくわからない。

 顔を見合わせた二人の様子を伺って、どちらでもない、と言った。


「あら、異界の方ですかっ!」


 抜けるようなオレンジ色の髪の女は、カウンターに勢いよく手を突いて、立ち上がりながら言った。入り口付近のカウンター近くにいた客達は、女の声に反応したのかヨエル達を眺め、やがて興味を失ったようにまた雑談へと戻っていく。


「いやあ、よくここまで辿り着かれましたねえ」

「こちらに来て流れついた街で、唯一言葉が通じたのが、この旗の塔にいた人だった。右も左もわからずに、彼女に言われるがままここに来た。ここで、こちらについて知ることができると」


 奥まった卓に案内され、女と向かい合って座った。ヴラスタは辞したが、長い話になるからと促されて、ヨエルの隣に座った。陶器の器に注がれた冷たい茶を卓に並べながら、オレンジの髪の女は言った。


「では、まずは自己紹介からはじめましょうか。わたしは、ヒオといいます。ヒオ・トッテルリッセ。”全界境団メアテルト”の司祭を努めています」

「俺は……フィムア・ヨエルだ。家符はまあいいだろう。ヨエルと呼んでくれ」

「ヴィエピュール(覇霜)……トルエット・ヴラスフォルへです。では私も、ヴラスタと」


 ヨエルとヴラスタが名乗る。家符というのは一族で継ぐ称号のようなもので、ヨエル達の世界では貴族の証でもあり、誇りともいえるべきものだ。ヴラスタの家符、ヴィエピュール(覇霜)はかつて霜の大陸を制覇した大帝国の血の傍系を示している。この家符があるだけで人々から敬われる、由緒正しいものだ。ヨエルは自らの家符があまり好きでなく、よほどの事がなければ名乗ろうとはしない。

 ヒオと名乗ったオレンジ髪の女は、二人の名を紙に記し二人に向き直って笑った。


「はい、ヨエルさんと、ヴラスタさんですね。ようこそ”全界境団メアテルト”へ!」


 更にヒオは告げる。それは二人の訪れた世界の名だった。


「そしてようこそ、”集積世界ジェール・ロッカ”へ!」




…集積世界伝記 第一章 異界 了







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