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夜が訪れ、蝉の声も小さくなり始めていた。
盛夏を迎え、これから江戸の町はいよいよ暑くなる。
季節を人の一生になぞらえると、今は朱夏と言ったところか。
一番生命が活発で、一番華やかな時分。
最も生きていると実感でき、生命が輝いている時。
「よいしょ、っと」
ひょいと蹴飛ばした石が音を立てて転がる。
鈴代がやってきたのは川辺だった。
ただし、大川とはまた別のもの。無数にある小さな支流のひとつだった。
浅草も神田も越え、今は向島の近くまでやってきていた。
鈴代の手には小さな花が握られていた。ここに来る途中で摘んできたものだ。
夏に咲いた、小さな淡い白い花。まるで、季節ならず降った雪のよう。
「さて」
線香と火打ち石を取り出した。
これも途中で調達してきた。河原に出ていた親子に話しかけて頼み、快く貰ったものだ。
弟子にはよく『たかっている』と言われるが、人の好意は素直に受け取るべきだと鈴代は思っていた。遠慮していたら、日が暮れてしまう。
とはいえ、今は本当に日が暮れてしまいかねない。辺りが真っ暗闇になる前に、鈴代は手早く火を起こして付け木に移す。これも……と今さら言う必要もないか。
線香を火にくべると、ふわりと強い香りが辺りに広がる。
どうやら、なかなかに上等なものを貰ったようだ。この甘い匂いは白檀だろうか。
香りとともに、白い煙がふわりと空に舞い上がる。
静かだった。ここは華やかな色町からも遠く、近くには畑があるだけだ。
あるのは川のせせらぎと匂い。それと、残った昼間の暑気と、妙に高くて暗い空。
ここは夏だった。
暑くてかなわないと誰もが愚痴をこぼす季節。
鈴代は高く昇っていく煙と、月を見上げた。