秋の町へ
それは良く晴れた秋の日、とある理由で親しい友人もおらず、さらに帰宅部である彼は今日も一人、さみしく下校しようと思っていた。
上履きを履き替えようと下駄箱を開くその時まで。
『放課後、たわら橋の上まで来い』
「なんだこりゃ」
可愛らしい葡萄のシールで封をされた白い封筒。
自分の宛名が書かれたそんなものが下駄箱に入っていたのならば、思わず舞い上がってしまっても仕方ないのではないのだろうか。
そして、思わずそれを懐にしまい、人気のないところでこっそりと開封してしまっても、詮無いことだろう。
そして。
「……たわら橋って、どこだっけ?」
たとえ中身が果たし状めいた無骨なものであっても、ホイホイその場所を目指してしまう彼を、いったい誰が責められようか。
彼に友人がいない理由、それは彼が二週間ほど前にこの学校に転校してきたことにある。
転校して来たばかりなのだから、親しい友人がいないのも当たり前。
だが、一学年ギリギリ2クラスしかない田舎の小さな学校だ。
娯楽に飢えた田舎の学生が、こんな中途半端な時期にやってきた転校生に喰いつかないはずがない。
いや、ないはずだったのだが。
『キャー!』
『こっち向いてぇー』
『天野くぅ~ん!』
グランドのほうから黄色い歓声が聞こえてくる。
目を向けてみると野球部が練習しているのだろう、浅黒いイガグリ頭共の中に一人、色白で顔立ちの整った少年が剛速球を投げていた。
他と同じ野暮ったい藍色のジャージを着ているはずなのに一人だけ垢ぬけて見える。
名前は天野康幸、偶然にも彼とほぼ同じ時期に転校してきた転校生である。
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、しかも大都会である某都からの転校である。
一方、顔地味、頭脳中の下、運動神経×の上にかろうじて「と、都会?」と言えなくもない某県から転校してきた彼が話題性で勝てるはずもなく。
転校して一週間過ぎたころには「えっと、ほら、転校生の地味なほう」と、名前すら覚えてもらえない始末である。
そんなわけで、『転校生』という希少性、話題性を発揮できない彼はもはや『よくわからない余所者』というカテゴリーでクラスに定着してしまい、ひとりさびしく下校する昨今につながるというわけである。
そんな彼は正しく自分の本名が書かれた封筒に半ば感動していた。
未だ黄色い歓声が絶えないグランドを尻目に、校門を出てたわら橋をめざす。
手紙にはご丁寧にも簡単な手書きの地図が入っており、見晴らしがよく、単純な田舎道ならそれで十分だった。
かろうじて一車線ほどの幅がある田舎道を行く。
不規則な網目状に広がる細道にちらほらとある古い家屋、それ以外のほとんどが収穫の時を待つ稲穂の海だ。
「……風が、見える」
まるで大きな生き物が通り過ぎたように波打つ金色の海に、思わず息を呑む。
赤蜻蛉が飛魚のように跳ね、爽やかな秋の風が穂先を揺らしていた。
きらきらと輝くその光景に目を奪われていると、川幅20mも無い小さな川に突き当る。
四方が山に囲まれたこの街の中心に流れる川、米川だ。
川沿いの道を下流へと少し歩くと目的の橋が見えてきた。
小さな川をつなぐ古めかしい石橋、あれがたわら橋なのだろう。
そしてその橋の上に見知らぬ少女が立っていた。
長い年月ですり減ったのであろう丸くなった欄干に手を置き、米川の下流、水の流れる先を眺めていた。
その髪は黒く長く、稲穂の海と共に風にたなびき、揺らめく黒髪の下から古風なセーラー服の襟が覗く。
深紅のスカーフなので、3年生、先輩だろうか。
整った横顔は冷たく怜悧な印象を与えるが、水面を見つめるその眼差しは、どこかやさしかった。
その光景はまるで絵画から抜け出してきたかのようで。
「…………おや、来ていたのかい。気付かなかったよ」
思わず見惚れて声を掛けられなかったところ、少女のほうから気付いたようだ。
振り返った少女の瞳には先ほどのやさしさは感じない。
ただ口元に不敵な笑みの形を作っていた。
「わざわざ呼び出してすまなかったね。とりあえず自己紹介と行こうじゃないか。私の名前は宮守かえで。美秋町おこしの会の会長だ。どういう組織かは、まあ、読んで字のごとく……あ、君の自己紹介はいらないよ。封筒に書いていた通り、もう知っているから」
「え?あ、はい」
立て板に水を流すがごとく、一方的に話す少女に半ば見蕩れていた彼は対応できない。
「さて、単刀直入に行こうか。私、いや、私たちは君に美秋町おこしの会、通称『みこし会』に入会してもらいたいと思っている」
「み、『みこし会』?」
「さっき言いかけたとおり、活動内容は読んで字のごとく、ここ、美秋町の町おこしだ」
かえではそこで一度言葉を切り、風になびく髪を手で押さえ、周りの風景に目を向ける。
「まあ、話はおいおい話そう。今日は君にこの街を案内しようと思ってね。なぁに、観光案内も町おこしの一環さ。遠慮することはない」
一方的に告げるとこれまた、一方的に歩き出す。
拒否権皆無だ。是非も無い。
彼には後に続くという選択肢以外ないのだ。
たわら橋を渡り、川沿いの道を行く。
相変わらず田んぼだらけだが、ちらほらと車を見かけるようになった(軽トラがほとんどだが)。
人影も増え始め、道行く人に『こんにちは、かえでちゃん』と名指しで声を掛けられる。
そのほとんどがお年寄りだ。
「ここは見ての通りの田舎町でね。ほとんどがジジババな上に、人が出ていくことがあっても、その逆は滅多にない。だから人口も減る一方。それ故に町おこしが必要だ」
単純明快だろ?と不敵に笑うかえでの背を追う。
川沿いの道から頑丈そうな鉄橋が見えた。
橋の上にはレール、鉄道だ。川沿いから鉄道沿いに道をシフトし、尚も歩く。
途中であずき色のワンマン電車とすれ違った。
そのまま歩いて行くと錆びついた遮断機の横に小さな駅を見つけた。
「此処が美秋駅っと、駅ぐらいは知っていたかな?」
「あ、いえ。車で引っ越してきたんで初めてです」
「ならいいか。時刻表を見ての通り、電車は30分に一本あれば上等、かろうじて無人駅ではないが、駅員は18時にはいないからな、この駅で降りるときは車掌に切符を渡すように」
この小さな駅には売店どころか自動改札口も歩道橋すらない。
あるのは小さな待合室と年配の駅員さんが座る窓口だけだ。
しかしその簡素なつくりが風通しの良さを生み、心地よい空間であると、彼には思えた。
「遊びに出るのなら上り終点の荒谷まで行くと良い。とはいっても、精々ゲームセンターやボーリング、カラオケ程度ぐらいしかないがね」
そう言いながらまた歩き出すかえで。彼はもはや何も言わずに後に続く。
次の目的地は駅のすぐ近くにあった。駅がある道向いにみえる古ぼけたアーチ、『ようこそ美秋町へ!』と錆びついた文字が浮かんでいる。
「此処が商店街、何でもそろう……とは、言い難いが、まあ大抵のものならそろうだろう」
今日見てきた中で一番活気がある場所、商店街は夕飯の買い物をする主婦たちで賑わっていた。
いままでスーパーかコンビニでしか買い物をしたことがなかった彼には、個別に肉屋や魚屋などが並んでいるのがとても新鮮に思えた。
しかしそれよりも驚いたのが。
「……重い」
案内されればされるほどに増えていくおまけ。
揚げたてのコロッケに真っ赤なリンゴ。
魚屋の店主など「かえでちゃんが男連れだと?めでてぇ!」と、何を勘違いしたのか御頭付きの立派な鯛を一匹丸々渡してきた。
おまけを押しつけてくる店主たちはみんな笑顔で、「たのんだよ!」「期待してるよ!」と激励の言葉を浴びせてくる。
その言葉の意味がよくわからない彼は、隣でコロッケをかじるかえでに首をかしげて見せた。
「……もうすぐ秋祭りがあるんだ。うちの家は、その、祭りの取りまとめみたいなことをしていてね」
これは先払いみたいなものさ。と、どこか顔を赤くしてまたコロッケをかじる。
言われてみれば商店街のそこらじゅうにポスターが貼ってあることに気付く。
椛や銀杏をちりばめられたそれには、ポップな書体で『美秋町、秋祭り』と書いてある。
日付は一週間後だ。
「もしかして、そのお祭りで人手不足だから僕を誘ったんですか?」
「否定はしないよ。秋祭りにはどれだけ人出があっても足りないからね。だが、ここに来たばかりの君にはスタッフとしてではなく、一参加者として楽しんでほしいとも思っているのだが」
悩ましいところだ。と苦笑しながらコロッケの最後の人欠片を口に放り込み、包み紙をたたんでポケットにしまう。
そんな彼女の横顔を見ながら、彼もまだ温かいコロッケをかじる。
粗いパン粉の衣は香ばしく、ほくほくとしたジャガイモからはどこかやさしい味がした。
秋の日は釣瓶落とし。
そんな言葉通りに日もだいぶ傾いてきたころ、二人は最後の目的地に到着した。
「……竜田神社?」
商店街を離れ、少し歩いた町はずれの小さな山、その入口にそびえる大きな石の鳥居には、掠れた古い書体で『竜田神社』とあった。鳥居の先には長い石段が続いている。
「秋祭りはこの鳥居の前の道にずらりと出店が並び、祭りのメインイベントもこの神社で行われる」
「メインイベント?」
「この神社は竜田姫っていう秋の神様を祭っていてね。毎年秋になるとその年の豊作を感謝して御神楽を奉納することになっているんだ」
「それを、この神社で」
「そう。ちなみに私の実家でもある」
「へ?」
あっけらかんと衝撃の事実を暴露するかえでに思わずポカンとした顔で硬直してしまう。
「っと。早くしまわないとせっかくの鯛が悪くなっていしまうね。悪いけれど先に行ってるよ」
かえではそう言うと彼の手から魚屋の袋をひったくり、石段を駆けあがっていく。
「ちょ、待って。スカートで駆けあがったりしたら」
「君が見なければいいだけの話さ。ゆっくりと来ると良いよ」
彼の制止も聞かず、颯爽と駆けあがっていく。
実家と言うだけあって、登りなれているのだろう。
結構なスピードで駆けあがっていく。
躍動する健康な脚、翻るスカート、そうなると、思春期真っ盛りの男子に見上げるなというのは難しい話だ。
「…………白」
運動神経×である彼にとって、大荷物を持ったままの石段はかなりの重労働だった。
うっすらと汗をかきながらぜいぜい言いながらようやく登りきる。
「はぁ、はぁ……やっと、つ、い……」
稲穂を揺らしていた秋の風が、石段を登り、彼を追い越して境内に吹き抜ける。
さわさわと、風に揺られる枝葉の擦れ合う音がする。
そして舞い散るのは何とも見事な、息をつくのも忘れるほどの深紅。
「これは……」
圧倒されるほどに大きな楓の大樹が、本殿の横にそびえ立っている。
鮮やか過ぎるほどに色付いたそれは、まるで揺らめく大火の様で。
そして、彼の後ろから差し込んでくる光によって、その深紅はさらに色付く。
深い深紅から輝くような真紅へ。
「夕陽が」
振り返ると、石段の上の鳥居の間から大きな夕焼けが見えた。ちょうど鳥居の中に見える、向かいの山に沈んでいく夕日は、どこか神聖なものにも見えた。
「此処は町で一番長く夕陽が見える場所でね」
突然の背後からの声に思わず振り向く。
「そして町を一望できる場所でもある。私は昔から夕陽に照らされた町の風景がすごく好きなんだ」
そこには巫女装束に着替えたかえでがいた。
白衣と緋袴を着て、その上に千早を羽織り、水引で縛られた髪はおろしていた時よりもより清廉さを感じる。
「巫女さん、だったんですね」
「ああ、こう見えても本職だぞ?」
しゃなりと手に持った神楽鈴を鳴らし、悪戯そうにほほ笑むかえでは、この真紅の椛が舞い散る空間にあつらえたようにぴったりだった。
「私が君を誘った理由はね。初めは君の名前が気に入ったからだったんだ。槇原紅葉くん」
「……この名前のおかげで、小学校の頃のあだ名は『もみじちゃん』だったんですけどね」
「結構なことじゃないか。私が楓で君が紅葉、これほどこの町にぴったりの名前もあるまいよ」
「本当にそれだけが理由だったんですか?」
「初めは、と言っただろう。君は話すのはあまり得意ではないようだが、君の表情は口よりもずっと多弁だね」
かえでと彼、紅葉は二人で石段の一番上に座り、切り分けられた林檎を食べながら沈んでゆく夕陽を眺めていた。
「最初ははぐれものの君を、名前を理由に体よくこき使ってやろう。なんて、あくどいことを考えていたんだ」
でもね、とかえでは言葉を切って、優しげな眼でほほ笑む。あのたわら橋で見たときと同じ、いとおしむような優しげな眼で。
「町を案内するたびにコロコロ変わっていたよ。君の表情は正直すぎる」
稲穂の海に見蕩れる顔、駅のベンチで息をつく顔、コロッケを美味しそうに食べる顔。
「そして、さっきの顔を見て思ったんだ。君がこの町を気に入ってくれたんだと、私と同じく、此処からの景色を、心から綺麗だと思ってくれたんだと」
かえでは立ち上がり、紅葉に右手を差し出した。
「改めて言うよ。『みこし会』に入って、一緒にこの町を盛り上げてくれないだろうか」
あまりに真摯な問いかけに、わかりやすいくらい真っ赤な顔で、差し出された手が握られる。
秋の風がまた、楓の木を揺らした。
夏も終わり。
と、言うことで気が早くも秋の話をば。
風景描写を意識したつもりです。