頭でっかちスーパーデフォルメ
その日俺は、一目惚れした彼女に話しかける事にした。
大学の講義の時、俺はいつも彼女の後ろに座る。
後ろに居ると、彼女の頭でっかちさがより良く分かって、それがとても心地よく、嬉しいからだ。
俺が一目惚れした彼女は、勉強熱心で、スーパーデフォルメなナイスバディ。
頭身は2頭身、体は寸胴、頭は俺の10倍は大きい。
見た目も心も頭でっかち。
人間の体臭は8割が頭皮からのものらしいが、そのためか頭の大きな彼女の近くに行くと、いつもある種の臭い、いや、香りというべきモノが俺の鼻をくすぐる。
甘い華の香りのような……、世の男が嗅げば「女の子の香り」と答えるような、そんなメルヘンチックで軽くファンタジーな、人間から発せられたにしては「良すぎる 」香り。
その香りと、彼女の頭で教卓周辺を隠され不自由になった視界を楽しみながら講義を受けるのが、彼女に一目惚れした時から俺の趣味になっていた。
俺は変態なのかもしれない。
まぁ、それでも良いか。
それくらい変態になってこそ、男の恋だ、文句あるか。
そんな事を考えつつ香りを吸い込んでいると、あっという間に講義の時間が終わっていた。
その時には、さまざまな例や注意点の書かれた彼女のノートは8割が黒く、要点だけが書かれた俺のノートは4割の黒さだった。
いつもこうだ。
大学の講義は勉強をするには長いが、恋に狂った行動をとるには短すぎる。
もっと講義が長ければ良いのに。
そうすれば、恋人になれていない今でも彼女の近くに居られる時間が伸びるのに。
愛の告白をして、それが彼女に受け入れられればいくらでも彼女の側に居られるのであろうが、意気地無しの俺は自分が彼女の好みのタイプかすら分かっていない今、とてもそんなリスクのある行動はとれないのだった。
彼女は良くも悪くも頭でっかち。
休みの日は友達と遊んだりするらしいが、受ける講義のある日は朝から夕方まで講義を受け、そのまま家に直帰する。
そのせいで、彼女と友達ですらない俺はほとんど彼女の事を知る事が出来ない。
彼女と友達になれば、彼女に関するある程度の悩み事は円満解決するだろう。
そう思い続けてもう3週間経過している。
もう、意気地なしだと言い訳するには十分すぎる時間がたった。
行動しなければ何も進まない、愛は勝ち取るものだと自分を奮起させながら、俺は彼女に話しかけたのだった。
「ヘーイ、か、彼女……?」
あ〜あ、これは悲惨だぞ。
俺は彼女に初めて話しかけながら後悔した。
彼女に問題があったからではなく、これから友達になりたいがために始めるトークの第一声に、こんな1970年じみている死語的なナンパセリフを選んでしまった事に後悔したのだ。
一目惚れの相手に初めて話しかける事にテンパって、こんなトチ狂った語彙センスを発揮してしまうなど、情けないしセンスが無い。
見ろよ俺、こんな話しかけられ方したから、彼女はポケッした顔で口を開きっぱなしじゃないか。
口の端に見える、唾液に濡れた白い歯が少しエロティック。
このまま「お友達から始めよう大作戦」は木っ端微塵切りかと思いきや、その考えは彼女の笑い声がかき消した。
やはり、笑われるほどのセリフだったらしい。
「ふふふふふ……口説きにかかってるんですか…?」
「当たり前ですよ、可愛いから、口説かずにはいられ……ませ……んでした。」
しまったと思い言葉を止めようとするも間に合わず。
ギリギリで紡がれ切ってしまった言葉に再び、彼女がポカンとした。
まただよ(笑)と、俺の頭の中でうざったい嘲笑が俺自身を責める。
自分が言ったとは思えない、まるで西部劇のキザ野郎のようなクサイセリフに血の気が引いた。
顔を青くしながら黙り込んでいると、彼女のとても大きくとても重い頭が突然近づいてきて、ノンブレーキで俺の額に正面衝突した。
その時生まれた衝撃で尋常じゃなく視界が揺らぐので、俺は頭を抱えて視界を下へ急降下させるしかなかった。
「頭と頭がゴッツンコ」という言葉で片付けるにはダメージが大きすぎる衝撃にKOされそうな意識だったが、それを彼女の丸くふわふわした手が繋ぎとめた。
「ごめんなさい!顔色悪くなったみたいだから、顔をよく見ようとして……大丈夫?」
と、俺を心配しながら俺の手を握ってくれたので少し気分がよくなった。
彼女に手と肩を引っ張って貰う事で直立姿勢に戻りながら、俺はまたも口任せに、ズルい言葉を使った。
「次の土曜日朝10時、○○駅南口からデートの始まり、慰謝料だからな。」
頭を片手で抑え、さも「お前のせいで頭が痛い」ポーズを取りつつ……いや、実際にそうなのだが、俺は妙な強気さで彼女に言い放った。
彼女は三度目のポカンをしてから、表情を呆れたような笑い顔に変えて「いいよ。」と一言、俺の欲しかった言葉をくれた。
「ほ、本当にいいの?」
少し弱気になりながら問いかける俺。
その言葉が放つ信じられなさと嬉しさに体と声を震わせる俺が面白かったらしく、彼女は「ここで弱気になるの……?」と少し呆れ顔でクスクス笑う。
「でも、今始めて話した相手とデートに行っていいものなの?」
「え…?慰謝料なんでしょ?払わなくていいなら……払わないけど?」
「いや、その、ちゃんと慰謝料は欲しいなと。」
「だったら次の土曜日朝10時に駅で待つからさ、ね?」
「わ、わかった、わかりました。」
いつの間にか、俺からデートを申し込んだはずなのに、俺がデートを申し込まれたような形になっていた。
彼女のペースに流され戸惑いと嬉しさでどうして良いかわからず、ボケッと突っ立っている俺に「じゃあ私は、別の講義に行くから……」と言いながら彼女は背を見せ去って行った。
他の生徒は皆既に居らず、部屋には俺一人が残された。
今日はもう受ける講義もないので、じっくりゆっくりと喜びを噛み締め「やった!やったぞ!」と小声で絶叫していると、扉からズズズズッと彼女が大きな顔を覗かせた。
普通はこういう時ヒョコっと顔を覗かせるのだろうが、彼女にそれは当てはまらないようだ。
何だろうと彼女の顔を見ると、彼女の顔は赤かった。
赤面する彼女の顔に軽く見とれていると、彼女は「……遅刻、しないでくださいね?」と言ってから逃げるように廊下に頭を引っ込めた。
そんなものを見せられたので、俺はその教室で次の講義が始まるまでの間、その可愛らしい行動とデートへのワクワク感に悶絶したのだった。
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「全く予想外の展開だったけど、デート出来てしまうじゃないか……。」
「なんだ、さっきからニタニタ顔でブツブツ言ってると思ったら、デートするからなのか」
帰宅後の自宅リビング、親父が俺の独り言を聞いて、からかうような笑みを浮かべながら言った。
「うん、そうさデートなんだよ親父!!一目惚れでさ……、ずっと後ろから見てた娘でさ……、今まで一言も話した事なくってさ……、友達にすらなれてなかった相手なんだけとイキナリのデート!!こんなにも嬉しいんだよ!!」
「おーおーおー……、はしゃいどるはしゃいどる……、俺の息子が男になる時も近いかぁ?」
「男になる……?何だよそれは。」
「そりゃあお前、【脱!童貞!】……の事だよ、コンドーム買い忘れるなよな。」
「親父!!よしてくれよな!デート前からそんな事考えてたら、きっと【スケベ顔】になっちまって、彼女に見透かされちまうだろう!だからこっちは出来る限りソレを考えないようにしてるってのに!それと、コンドームはもう買った!」
「あー、もうウルセェなぁ、ごめんごめん悪かった悪かった……………コンドーム買ったならヤる気マンマンじゃないかスケベめ。」
「最後に小さく、何か言っただろ。」
「な〜んにも言ってねぇよ、気のせいだ気のせい。」
「こっちは人生に一度の大勝負に出る気でいるんだよ!だから、そういったからかいはやめてくれよ。」
「わかってるわかってる………おーい母さん、孫の顔が見れる日も近いかも知れんぞ!!」
「親父ッ!!」
ハッハッハッ!!とリビングに親父の笑い声が響く。
その声を聞いた後になってから、見事なまでにからかわれてしまった事に気づき、恥ずかしさと少しの悔しさに顔が赤くなる。
赤くなった顔を見て親父はさらに笑ったが、親父に何か言い返す気力はないので、俺は黙り込んでため息をつくしかなかった。
「はははは……、あー面白かった。」
「満足したかよ、親父?」
「大満足だね、ところでその俺をお義父さんと呼ぶ事になるかもしれない娘ってどんな娘だ?」
「親父ッ!満足してないじゃないか……、あーもういいよ!……頭でっかちな娘さ、とっても良い匂いがする。」
ムスッとしながら答える。
この親父にからかうのを止めさせるのは諦める、無理だこれは。
「頭でっかちねぇ、勉強好きな本の虫か?」
「見た目も中身も頭でっかちさ、本の虫かは分からないけど勉強好きなのは確かだ。」
「ふぅん……見た目?」
「頭が俺の十倍以上大きくて頭身は二頭身、身体は【ボン!キュッ!ボン!】じゃなくて【ストーン!ストーン!ストーン!】、手足が丸っこくて……ふわふわしてた……。」
「ふーむ、スーパーデフォルメな娘なんだな。」
「スーパーデフォルメ……そうだな、彼女はスーパーなデフォルメ体系だ!一目惚れするほどスーパーな女の子!」
「スッカリお熱なんだなぁ。で、そのスーパーガールとデートするお前はスーパーボーイってか?」
「親父……、諦めてはいるが、からかうのをやめてくれると嬉しいんだが。」
「やめる気は無いね。……ま、頑張れや。」
「やめないんだね……、言われなくても頑張るさ、数年後には孫の顔を見せてやる。」
「おーおー、言うじゃないか!ハハハハハ………。」
笑いながら風呂に向かう親父の背中を見ながら、俺は来るべき決戦の日に向けて決意を固めたのだった。
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ついにやって来たデートの日。
場所は駅前、時刻は9時45分。
10分前行動より優れた15分前行動でターゲットを迎え撃つ。
待機し始めてから10分後、前方に大きな頭を視認、ターゲットのお出ましに胸が高まる。
「おはようございます、待たせちゃいましたね。」
「うん、待ち遠しかった。」
「……へー、全然待ってないさ!とかお決まりのセリフは言わないんですね……ふふっ、やっぱり変な人……。」
彼女の微笑みに思わずニタニタ顔をしそうになるが気力で耐える。
頭の中じゃ何回も予行演習をしたが、やはり実戦とではインパクトが違いすぎる、あと何回耐えれるか……。
「セオリー通りじゃない、俺流の言葉でキミを口説き落とすつもりさ。」
「……それ、悪くはないですけど、クサくてキザったらしいセリフですね。」
「……ごめん。」
必死に考えた、俺流の素敵なセリフはバッサリと切り捨てられた。
「それで、どこに連れてってくれるんですか?」
「映画館だけど、良いかい?」
「あっ、良いですね、私ちょうど観たかった映画があるんです。」
「良し、じゃあ行こう。」
場所選びは成功。
ガッツポーズしたいくらいに嬉しいがグッと堪えて顔はキリッとさせ、彼女と映画館に向かった。
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「観たい映画って、これかい?」
「これが観たいんです。」と彼女が指差した映画のポスターを見て思わず聞き返す。
彼女が観たいと言い出した映画は、ハリウッド版の怪獣映画だった。
「ええ、私こういうの結構好きで……それに……。」
「それに?」
「公開からしばらくたってお客さんが少ない今なら、後ろの人の事を気にせずに席を選べますし……。」
「……あぁ、頭が大きいから、後ろの人は映画を観れなくなるのか。良し、じゃあこれを観よう、チケット代は俺が払うよ。」
「あ、自分のチケット代は自分で出しますから……。」
「キミは、男に良い格好をさせてくれないのか?」
「簡単に口説き落とされるわけにはいきませんからね。」
「じゃあ、俺が良い格好する事があれば口説き落とされてくれるのかい?」
「……かもしれませんね。」
少し顔を赤らめながら、彼女がそう言ったので俺はゾッとするほど胸が高鳴った。
「……そのセリフ、魔性の女みたいだぞ、もしかしてキミは男性経験豊富だったりする?」
「こういうセリフを一度言ってみたかったから言っただけで、デートするのは貴方が初めてですよ。」
「……逆に口説き落とされそうだよ、とっくの前に一目惚れしてるけどさ。」
「……一目惚れ…なんだ……、ちょっと嬉しいかも……。あ、手、繋ぎましょうか?」
「手を………、そんな事を言われちゃあ、俺はデートの結果に期待し過ぎてしまうぞ、これでフられたら首を吊るかも。」
「冗談ですよ、冗談……、じゃあチケット買いに行きましょうよ、手を繋いで。」
「……今度は本気かい?そんな事言うなら、本当に繋いじゃうからね。」
「はい、どうぞ。」
彼女がそう言いながら俺に差し伸べた手を見て「やっぱり魔性の女だ」と思いながら、その手を掴んだ。
彼女の手はあの時と同じで、ふわふわとした柔らかさだった。
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大迫力の怪獣映画とそれを見ながら大きな口で怪獣のような勢いでポップコーンを食べる彼女を楽しんだ後、俺はバイキングレストランで彼女とランチへと洒落込んだ。
「バイキングにして正解だったよ、キミは良く食べる、惚れ惚れするほどに。」
「…………………。」
大きな口でパンや麺や肉や野菜……さまざまな料理を呑み込んで行く彼女を見つめながら俺はため息をつく、彼女が物を食べる様子はたまらないほど可愛らしいだ。
この食欲があるからこそ、彼女は大きな頭と太い身体が維持出来るのだろう。
「さっきの映画、面白かったけどメインの怪獣の出番がちょっと少なかったね。」
「…………………。」
可愛らしいほっぺたを膨らませながら、彼女は無言で頷く。
「……さっきから黙ってるのは、食べ物を口に入れながら話すのは嫌いだから?俺としては、そうだと嬉しいんだけど。」
俺の質問に無言で再び彼女は頷く。
肯定らしい。
「そうか、良かった。でさ、あの映画の主人公なんだけど、あれって〜…………」
結局、映画の事を語り終えるまでの間に彼女は常に何かを食べていたので、俺の言葉に合わせて彼女はずっと頷いたり首を横に降ったりしていた。
言葉を交わさない奇妙な、会話と言えるかどうかわからない会話ではあったが、俺は彼女の可愛らしい食事を堪能できて楽しかったし、彼女も食事と映画の話の両方が出来て楽しそうだった……はず。
映画の話とお互いの食事を終えた後に彼女が始めて言った言葉は「ごちそうさま」だった。
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デートが終わり時刻は間も無く夕暮れ時、駅のホームのベンチに彼女と座る。
しばらくの無言の後に、俺は彼女に話を切り出す。
「いよいよに今日のデートは終わり、後は帰りの電車を待つだけなわけだけど、俺はキミのお眼鏡にかなう事が出来たかい?」
「……ちょっと待ってくださいよ、女の子にグイグイと迫るのは……ちょっと……。」
「ご、ごめん……。」
「それに、マトモに会話するのは今日のデートが始めてなのに、貴方馴れ馴れしすぎたし……。」
「うっ………、よそよそしければ、良かったかな……。」
「デートする相手によそよそしいのは論外です。」
「……俺が気に入らないなら、そんな無理難題を言わずにハッキリと気に入らないと言ってくれても、良いんだぞ……。」
「……違います、デート、楽しかったんです。友達から話に聞いてたモノとはちょっぴり違ったし、ほとんど何も知らない相手とだったけど、楽しかったんです……、だからどうしたら良いかわからないので……。」
「………ので?」
「今度もう一回、……デートしませんか?つ、次で、決めます。」
「……来週の土曜日、また10時に駅で、どうだい?」
「は、はい……。」
それから俺達はしばしの無言。
何も喋らず、時おりチラチラと相手を見ては顔を赤くするだけ。
傍から見れば恋人かもしれないが実際は恋人未満。
まだ恋人になったわけではないのに、どこか甘い空気に包まれている。
お互いに心臓を煩く鳴らしながら、時々目を合わせたり逸らしたりを繰り返す。
そんな空気を、やって来た電車の連れて来た冷たい空気が吹き飛ばし、デートの終わりが訪れた。
彼女の頭が動き、彼女の大きな頭で影に隠れていた俺の顔に夕暮れの日差しがあたる。
「じゃ、じゃあ、私この電車に乗りますので……、お別れですね。」
「……ら、来週は、今日よりもキミを楽しませてみせるから。」
「その言葉、忘れないでくださいね、それじゃ……。」
そう言って彼女は立ち上がり、電車に乗ると思いきや、彼女は座ったままの俺と唇を重ねた。
「………!」
唇を塞がれて言葉が出ない。
いや、この唇を離された後でも言葉は出なかっただろう。
時間にしておよそ10秒ほど、俺の口にファーストキスの味がした。
今日のランチで食べた料理の、バジルの風味だった。
「つ、次のデートで恋人になったら、もっと良いこと……、してあげますね。」
唇を離した後に彼女は微笑みながら、電車に消えて行った。
駅のホームに残された俺はしばらく放心したのち、声にならない無言の絶叫と共にガッツポーズしたのだった。