訪問者さくら
注:自作の挿絵が混入してます。嫌いな方は挿絵非表示にして頂くようお願いします
ピピピ、という機械的な音が響き目を覚ます。時計の針は六時半を指している。窓から光がもれ、薄暗い部屋をほんのりと照らす。
秋から冬に変わるような季節。部屋の中とは言え、朝の凍った空気にあてられゾクリと体が震える。
布団から起き出し、ブレザーに腕を通す。一分経たずして、着替えが終わり、学生となる。
リビングでエアコンを付け、部屋を暖めるように暖かな風が吹き出す。誰もいない部屋で、テレビを付ければいつものように、ニュースキャスターのお姉さんが淡々(たんたん)とした声で喋っていた。
コーヒーを淹れ、パンを焼く。ここ数年、朝飯はパンをコーヒーで流し込む程度だった。
朝食を終え、後片付けをすると、大体いつもと変わらない七時半。鞄を背負い、家を出る。
家から学校までは、徒歩で約五十分ほど。遅刻をしない程度に家を出るのもいつも通りだった。
長い長い道だった。この街並みが見渡せる公園を過ぎ、子供たちに人気の駄菓子屋を過ぎると、ようやくちらほらと人を見かけるようになる。
ここらまでくると、最近―と言っても十年ほど前だが―になってできた住宅街が広がり、一気に人が増える。そのほとんどは小学生だ。
数人程度で、はしゃぎながら歩いてる子供たちを見ながら、どこか懐かしい気分になっていた。
「よお! 明忠!」
突然、俺を追い越す自転車から、大声で名前を呼ばれる。
「おはよ、凉月」
その声が届いたかは、わからない。物凄い勢いで距離が離れていくそいつは、凉月翔也。俺の古くからの友人でもある。
凉月は、お洒落でかっこいい。そんな印象を抱いていた。気さくな奴で、女子からモテているのは小学生の頃の、プロフィールシートにある好きな人欄をこっそり覗いたときに明らかであった。
ちなみに、自分の事が書かれていることはほとんどなかったのは、当時は結構落ち込んでいたりする。
そんな事を考えていると、ようやく学校の目の前にいた。
時刻は八時二十五分。授業開始五分前であり、遅刻した生徒の面倒をみる先生方がスタンバイする時間でもある。
駆け足で校門を過ぎる人も増えだしてきた。
特に慌てることもなく、三階にある教室へと向かう。途中、一時限目担当の教員を見かけ、その教員とほぼ同時に教室に入る。
「全く、お前はいつも俺の後だな。さ、席に座れ」
と、教員から少し小言を聞くのも、毎度おなじみの事だった。
授業が始まれば、黒板の内容をひたすらにノートに写す作業が始まる。この行為になんの意味があるのか、それはテスト前に見返せるという安心感を得るため。
結局はテストのための一時しのぎであり、内容など全く頭には入らない。
午前中はそんな感じで進み、昼休み。
バタバタと駆け足で購買へ向かう連中の後を、のんびりと付いていく。人気の物はすぐになくなってしまうが、残り物が食えないほど不味いわけではない。というか普通に美味しい。
購買でざわざわと、昼飯争奪戦が行われている中、自販機でコーヒーを買う。ふと、目に留まる商品があった。
『野菜サイダー 半日分の栄養素を取りつつサイダーの美味しさを活かした新商品!』
と、書いてあるその緑色の飲み物。一体誰が買うのだろうか。
少し時間をつぶすと、購買にいた人だまりは少なくなり、適当に余りものを買う。
教室に戻ると、大半の学生は談笑しながら昼飯を取っている。凉月も、いつものメンバーと一緒にふざけあっていた。
自分の席に戻ると、これまた購買で買ったパンとおにぎりをコーヒーで流し込む。
その後は、何するわけでもなくボヤーっとしている。そうすれば時間は、あっという間に過ぎ去り、午後の授業が始まるのだ。
午後の授業もやることは、変わらず、ただ黒板の内容をノートに写した。そうして一日の授業が終わり、下校するのだ。
無意味である時間を重ねて、一体何になるのかはわからなかった。
人生そのものがルーティンワークとなり、そこらへんにいる蟻のように、餌を集めては巣に戻るという行為と何一つ変わってないのだなと感じた。
家に帰る途中に、スーパーに寄る。こうした食料確保も週に数回行わなくてはならない。タイムセール商品を適当に手に取り、買う。
こうして辺りが暗くなり始めるころに、誰もいない家に戻る。
家の明かりを付け、テレビを付ける。朝と同じように、淡々とした声を聴きながら、夕飯を暖めた。
こうして今日も一日が終わりそうだった。変わることなど何もない。無気力に、そして無意味に一日が終わっていくのだ。
そんな事を思っていたとき、ピンポーンという呼び鈴が鳴る。
こんな時間に珍しいなと、思った。少なくても請求などではないだろう。
「どちら様?」
玄関の戸を開けると、そこには想像もしない人がいた。
「えっと、横谷明忠さん、ですか?」
身長は俺よりも大分低く、幼さの残る顔立ちをした私服姿の女の子。背中にはご丁寧にランドセルまで背負っていて、この子が小学生であるという事は容易に想像できた。
でも、なぜなのだろう? 見たこともない小学生に訪ねられる覚えはなかった。少なくとも、見ず知らずの人と関わったのなら些細な事でも記憶に残っているだろう。
「そうだけど、君はだれ?」
「あ、さくらは、蓮根さくらって言います」
蓮根。聞き覚えはあった。俺を裏切った親戚の家だ。両親が死んだあと、俺が高校を終えるまでのお金と家だけを残して、他の財産を奪っていった親戚たちの一家だ。
苗字を聞くだけであの時の記憶が蘇り、蓮根というだけで、このさくらという子供に対しても嫌悪感を抱くほどだった。
「何の用だよ……」
意識して嫌悪感を抑えなければ、すぐにでも暴言を吐きそうだった。が、抑えてなお、機嫌が悪い声を出していたのは自分でも驚いた。
「あ、えっと……その……」
急に態度が険悪になった俺に、怯えたのかさくらは、自信なさげな声になった。
流石に子供を怯えさせるような悪趣味は持っていないのと、無意識とはいえ相手を怖がらせた事に、罪悪感を感じた。無理やりにでも明るくふるまう。
「まあ、なんだ。家にあがれよ、コーヒーぐらいなら出すから」
と、まあ明るくふるまったつもりが、結構冷たくなった。さくらはというと、申し訳なさそうな表情をしている。
「ありがとうございます。あの……さくらはコーヒー苦手なので……」
「そうか、と言っても牛乳ぐらいしかねーぞ? それでいいか?」
「あ、はい! 牛乳は好きです!」
そう言って少しはにかみながら、さくらは答える。さくらをリビングのソファに座らせ、俺はキッチンへ向かう。
いつも通りコーヒーを淹れていると、さくらに渡すカップがない事に気付いた。母さんが愛用していたカップはあったが、流石にそれを使う事はできなかった。
結局、俺は淹れたコーヒーを一気に飲み干し、それを洗ってから牛乳を入れ温めた。なぜ、俺はここまでしなくちゃいけないのだろうか……。相手が子供だからであろう、流石に罪のない子供に当たることはできない。もしかしたら、これすらもあの親戚たちの嫌がらせかもしれないと思うと、抑えていた感情がはちきれそうだった。
「ほらよ」
普段俺が使ってるカップに、牛乳が入ってるという違和感はあったが、それを他人が使っているという光景はかなりの違和感だった。
ありがとうございます、とさくらは言って、美味しそうにそれを飲む。
「で、何しに来たんだ?」
流石にいつまでも、この子供を家に置いておくのは、精神衛生上よくないと判断しさっそく本題へと話を振った。
「あの、この家に住まわせてもらえって、お母さんが」
さくらが何か続けようとしたが、それどころではなかった。頭にカッと血が上るのを感じる。
「なんだって!? なんなんだよ、蓮根っていう家は! そこまでして俺を苦しめたいのか!」
「っ……!」
さくらは怯える。が、感情は止まらなかった。抑えていた物が爆発したようだ。
「大体、大事な娘を俺みたいなとこに一人でよこすかよ! どうせ隠れて俺が狂うとこでも撮ってるんだろ! ほら、出てきたらどうだよ! どうせ近くで見てんだろ? あぁ!?」
叫んだ。腹の底から。こんなにイラついたのは久々だった。今まで無気力無感情で生きてきたとは思えないほどの、狂いようだった。
「くそっ! なんなんだよ!」
思わず机を思いっきり叩きつけるところだったが、流石に家の物に当たりたくはなかった。そうしてようやく落ち着いた。俺の暴れ様に驚いたのか、先ほどからさくらは声をあげて泣いている。だが、慰める気にすらならなかった。
しばらく自分の部屋にこもっていると、さくらの泣き声は収まった。いつまでここにいるつもりなのだろう。
『この家に住まわせてもらえって』
その言葉が脳内でループする。冗談じゃない。
リビングへ戻ると、さくらは寝息を立てソファで横になっていた。
時計は十時を過ぎたあたり、小学生にしては遅い時間なのだろう。単純に泣き疲れただけかもしれないが。
「はぁ……こいつどうすんだよ……」
溜息ひとつ、俺はしぶしぶと蓮根家へ電話をかけた。
『この電話番号は現在使われて――』
冗談だろという気分だった。こちらから連絡を取る手段はなくなってしまっていた。頼れる宛てなどあるわけもなく、
「全く、なんなんだよ」
リビングではさくらの寝息だけが響いていた。ったく、いくら暖房が効いてるとはいえ冬に、掛け布団もなしで寝たら風邪ひくぞ……。
仕方なく緊急時のための毛布を持ってきて、さくらにかける。暖房をタイマーで切れるように設定し、電気を消す。そのまま自室へ戻り、全てが夢であればななどと、くだらないことを想像しながら眠りについた。