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辺境の男  作者: Provenance Watcher
第一章
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1.監視哨

 陽は、西の空にあったが、まだ昼の明るさだった。時計の針は、午後3時を指している。庭から一望できる色の濃い海原は、まるで秒針の動きに合わせるように、右へ、左へ揺れている。じっと眺めていると、空がぐるぐると頭上で回っているような錯覚に陥る。

「それでも地球は――ってことだな」

 2027年8月10日。吉原みきおが、ここ筍島に設けられた監視哨に海上防衛隊員として赴任してから、およそ3ヵ月が過ぎようとしていた。監視哨といっても、白く塗られたコンクリートの、レーダー塔を兼ねた建物が一棟あるだけだ。駐在する者は、吉原ただひとり。

 任務といえば、決められた時間に、あらかじめ定められた項目――設備の点検と天候、周囲の異状の有無ぐらい――について、ネットで本部に報告するだけ。それ以外の時間は、テレビモニターを眺めたり、本を読んだり、トレーニングをしたり。

「こんな時代に、こんな仕事で金がもらえるだけ幸せだな」

 誰が聞いているわけでもない。それでも独り言をつぶやく。そうしないと、こんな環境で、人は次の行動に移れないからだ、と吉原は考えていた。その通り、吉原は島の西側にある唯一の砂浜に歩き出していた。


 2022年、国防に関連する法律が施行された結果、日本は、自国の領土とする島嶼に“監視哨”という名の施設を置くことを決定した。理由はただひとつ――それら島嶼の実効支配をするため。

 長らく燻りつづけていた日韓、日中間の領土問題は、ふたつの事件をきっかけに、もはや両国とも引き返せないレベルにまで燃え上がっていた。これまでの日本政府ならば、テーブルの上と、テーブルの下で行われる外交手段で事態を悪化させないよう、いわゆる“棚上げ”する方向に持っていったはずで、当事者である韓国、中国も、それを期待していた。

 しかし、2017年9月に起こった韓国での日本人修学旅行生襲撃事件と、同年10月に起こった東京韓国学校襲撃事件は、両国間の亀裂を決定的に広げ、国民の右傾化を加速させた。さらにそれは、日本の右傾化を誹る中国国内の反日勢力も勢いづかせるきっかけとなった。

 もはやそこに、世界が憧れ、称賛した、平和で優しく、美しい日本はなかった。全国の都市で在日中国人、韓国人の排斥デモが行われ、そのたびに暴動が起き、血が流された。

 そんな国民の後押しを受けるように、国防強化を標榜する極右政権が誕生する。新興政党“ゆうき”とその党首である八間は、国防強化と、地方分権推進による国全体の活性化を主な公約に掲げ、国民の多くの支持を獲得。さらに、徹底したポピュリズム政策により着々と支持層を拡大し、2020年、政党“ゆうき”と八間は、ついに政権を奪取する。

 米国の支持――つまり、内政に介入してこなかったのも大きな要因だった。その理由として、日本が長らく開拓と開発を進めてきた大量の天然資源の存在があった。米国は、一大エネルギー算出国となった日本の機嫌を損なうことを避けたかったのだ。


 吉原は、砂浜に漂着した、ハングル文字の書かれたペットボトルを認め、ふと、10年前――2017年のことを思い出す。だが、すぐに頭を振り、その記憶を追いだそうと試みる。そして、視線を無理やり、元いた建物に向ける。

 白い、コンクリート製の2階建ての建物。平らな屋上から伸びる白と赤のレーダー塔。地方の小さな空港にある管制塔にも見える。実際、レーダー塔は本土との通信のために建てられているのだが、建物のほとんどは駐在員の住居である。監視哨という名がつけられているが、実際は島の実効支配を表明するためだけに建てられ、そこに住人を置いているにすぎない。

 監視哨を挟んで、砂浜のある海岸から反対に位置する東の岸壁。そこから海を望むと、晴れているときには、沖合に竹島の輪郭がうっすらと見える。長らく日韓両国の領土問題の火種となっている竹島は、ここ筍島と、外周距離も面積もほぼ変わらない。異なるのは――韓国が実効支配しているということ。

 吉原が筍島に赴任してきた当初は、いつあの竹島から韓国軍がやってくるかと怯えていたが、3ヶ月も経つと、そんなことはすっかり忘れていた。むしろ何もない日常に刺激がほしいとさえ思っていた。

「さて、今日も異状なし、と」

 そう言うと同時に、制服のズボンと下着を膝まで下ろし、砂浜の北側にある岩場に向かって小便を放出する。

「おい、ここは俺の縄張りだ。カニのくせに生意気だぞ」 

 素早く逃げるカニの行先を狙い、右手で竿を調整しながら小便を着弾させる。

「ビンゴ~」見事、縄張りに侵入したカニを撃退した吉原は、ズボンと下着を下ろしたまま、よちよちと監視哨に向かう。汗ばんだ股と尻に、海風が心地よかった。

 縄張りとはよく言ったもので、吉原は毎回の小便を、砂浜にある岩場でしていた。赴任当初、しばらくはトイレを使用していたが、そのうち小便は――ときおり大便も――外でするようになり、場所も同じところだった。トイレに流す水がもったいないわけではない。飲用水以外は、海水を自家用プラントで淡水化して使用しているので、使用量を気にする必要もない。

「マーキング完了!」


 監視哨に到着したとき、時計の針はすでに午後4時を指していた。いつの間にかくるぶしまで下りてきたズボンと下着を床に放置し、パソコンのデスクに向かう。すると、Skypeがメッセージ受信履歴を示していた。笛島に駐在する、南楊子からだ。

“なにしてるの?”

“いないの?”

“気づいたらメッセちょうだい”

 南楊子は――本人の言葉が真実ならば――吉原より3歳年下の29歳の女性で、筍島の南東に位置する笛島の監視哨に駐在している。務めていた会社を辞め、勢いで防衛隊員に応募したという彼女は、吉原と同時期に防衛隊員の研修を受け、監視哨に派遣されたということもあり、毎日、Skypeを通じて連絡を取り合っている。

“戻ったよ”

 そうタイプすると、すぐに楊子から着信があった。立ち上がったカメラウィンドウに、下膨れ気味だが、愛嬌のある顔が映る。

「ハロー」

「あぁ」

「なにしてるの?」

「なにってまだ勤務時間だからな」

「あらマジメ!」

 吉原は、ノーパンだけどな、と心のなかでつぶやく。楊子との会話を始めた当初は、ちゃんとズボンを穿いてパソコンデスクに向かっていた。しかし、そのうちに、いたずら心半分、興味半分で、下半身に何も身につけずに会話するようになった。

「ねえ、お盆休みはどうするの?」7日間以上の休暇を取る際は、申請すれば本土に帰れるらしい。その間、監視哨には代理の駐在員が来るという。だが吉原は、帰るつもりはなかった。監視哨での生活は、時間を持て余すほど暇だが、それでも居心地がいいと思っていた。家族と一緒に過ごすよりも――。

「まだ3ヵ月だしな。正月になったら考えるよ」

「ふーん。わたしもそうかな」そう言って陽子は、首を傾げニッコリと笑う。わざとらしい。だが、かわいく思える。そんなことを考えながら、いつものように大したことのない――テレビや映画の話をする。合間に、片手間で作成した日報を本部に送信し、パソコン上で監視哨にある設備とシステムのチェックをする。

「じゃあ、シャワー浴びてくるね」

「俺も。またな」

 気づくと午後7時をまわっていた。「まぁ、いつものことだ」と吉原は溜息をつき、バスルームへ向かう。潮風と汗でベトベトになった体を洗い落とすと、今日一日が終わったことを実感できる。そして、缶詰をつまみにビールを飲む。

「やっぱり、これって……俺って幸せだよな」

 本心だった。近頃、本当にそう思う。今日は、この幸せを噛み締めたまま眠ろう。吉原はそう決めた。いつもなら家族に電話する時間だった。たまにはしなくてもいいだろう。忙しかったと言えばいい。幸せに水を差されたくない。そうして、吉原は静かに目を閉じた。


test2!

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