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辺境の男  作者: Provenance Watcher
序章
1/3

新宿虐殺

 外苑東通りを往くその集団は、明らかに“異様”だった。およそ200名の男女が、黒いスーツの上下にネクタイ、帽子にサングラスとマスクに身を包んでいる。葬列ではない。なぜならば、その集団の頭上には、日本を象徴する――日章旗が掲げられていたからだ。

 そして、誰もが、その集団が何者なのかも、目的が何なのかも知っていた。



 1ヵ月前。韓国ソウル市。同地に修学旅行で訪れていた30名の高校生と引率の教諭3名が、暴徒と化した民衆に襲われるという事件が起こった。35名のうち、26名が傷を負い、7名が命を落とすというこの悲劇は、日韓両国だけでなく、世界に衝撃を与えた。

 しかも、事件はそれだけで終わらなかった。ソウル警察、つまり韓国政府は、加害者をわずか10名を逮捕・拘束するだけで、事件を収束しようとしたのだ。というよりも、彼の国のメディアと国民は、「愛国無罪」の言葉のもと、事件を正当化したのだ。

 当然、日本政府は様々な外交ルートを通じて、事件の全容解明はもちろん、謝罪と補償を求めた。だが、韓国政府はそれ以上取り合わず、結果、両国の間に――以前から関係は冷えきっていたが――決定的な亀裂が生じたのだった。



 平日の昼間に、シュプレヒコールも上げず、ただ、無言で道を往く「デモ隊」が目指す場所は――東京韓国学校。韓国大使館ではなく、その学校を目指す意味は明白だった。四谷三丁目から始まった行進は、東京韓国学校の近くに来る頃には3倍にまで膨れ上がり、2車線ある道路をすっかり埋め尽くしていた。

 学校に近づくにつれ、デモ隊は少しずつ落ち着きをなくしていった。所々から、怒声が上がる。その度に、誰かが「まだだ」とたしなめる。しかし、サングラスとマスクで表情は窺えないものの、デモ隊の誰もが上気していた。

 今回のデモは何かが起きる――。その場にいる誰もが――デモ隊も、警備隊も予感していた。


 吉原みきおは、全身をくすぐられるような感覚に、戸惑いを覚えながらも、一方でその心地よさに悦びも感じていた。

(たぶん、血がものすごい勢いで体中を駆け巡っているんだ)

 3年前、友だちの仙谷せんごくに誘われ参加したこの“脱亜デモ”は、吉原にとって、大学のサークルの延長のようなものだった。皆で集まり、デモ活動をし、そして酒を飲む。年齢も立場も違う人たちとの交流は、「他の学生とは違う」という優越感を持たせてくれた。加えて、デモへの参加は、社会に参加しているということを感じさせてくれた。


 隣を歩く仙谷が、おもむろに左腕を目の前に突き出す。

「おい、見ろよこの震え。腕だけじゃねぇよ。なんていうんだ、こういうの」

「武者震い、な」

 そう応えた吉原の声も、震えていた。サングラスの向こうにある仙谷の目は、きっと細められていたに違いない。マスクに覆われた口元は緩んでいただろう。

「何かあるよな」仙谷が同意を求めるようにつぶやく。「何かしなきゃな。あぁ、何かしちまったらしょっぴかれるかな」

「――わからんな」

 吉原の本音だった。デモ隊が暴徒と化し、機動隊とやりあって怪我人や死人が出るなんてことは、半世紀近く起こっておらず、先進国である日本においては、この先も起こることはないだろうと考えていた。いや、そもそもデモはあくまでデモであって、なぜ暴動に発展するのか理解できなかったし、今や「顔見知り」に近い機動隊に対して何かをする、というのは想像ができなかった。けれども――

「俺らがさ、国民の代弁者っていうか、遺族の無念を――」

 思わず言葉を詰まらせた。吉原自身、1ヵ月前に韓国で起きた日本人高校生襲撃事件の被害者に、身内や知り合いがいたわけじゃない。ただ、ネットで見たニュース記事に、これまでにない怒りを覚え、さらに現地の人間が撮影した動画をYouTubeで見て、感情が極限まで高ぶった。その感情が再び蘇ったのだ。

「――だから、俺らが無念を晴らすんだ。俺ら日本人を舐めるんじゃないってきっちり教えてやるんだ」

 仙谷に向けた吉原の言葉だったが、それに周囲が呼応し、高ぶった感情は瞬く間にデモ隊全体に伝播した。誰かが声高に叫ぶ。

「日本人を舐めるな!」

 その叫びをきっかけに、デモ隊――およそ600名にまで膨れ上がっていた――は暴徒と化した。シュプレヒコールとは言えない、怒声、奇声を上げながら、東京韓国学校目がけて駆け出す。周囲で、デモ隊と歩調を合わせるように進んでいた機動隊員たちは、突然豹変した目の前の人々に、あっけにとられ立ち尽くしていた。


 最初の犠牲者は、校門前に配置されていた機動隊員のひとり、嶋田裕太だった。向かってくる暴徒たちを押し返そうと、自分の背の丈ほどもあるジェラルミン製の盾を構える。何百もの怒声と足音。暴徒たちはあっという間に距離を詰め、そして次に来たのは――衝撃。自分の背が、腰が、膝がぐにゃりと折れ曲がるのが分かる。親や兄弟、家族のことを思い浮かべる間はなかった。すぐに首が折れ、絶命したからだ。


 かつて平和なデモ隊であった暴徒は、“邪魔をしない”機動隊員たちには目もくれず、門を乗り越え、次々と学校に侵入していく。そして、目の前にいる人々に容赦なく襲いかかり、相手が動かなくなるまで、殴り、蹴り、踏み続けた。腹を。背中を。頭を。子供も、大人も、男も、女も。


 2017年10月。この凄惨な光景は、ネットを通じ、あっという間に世界に拡散された。それと同時に、奇しくもこの事件が、これまでとは違う日本の東アジアにおける在り方を決定づけたものとなった。


test

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