嵐のあと
彼の愛車のZ+〇七の重厚な駆動音がした。
車庫まで一糸纏わぬ姿で飛び出した時にはもう遅かった。
空では、鋼鉄の粒が風に乗って舞い始めていた。
今日もあと一時間もすれば〈スチール・ストーム〉──S.Sが街を襲う。あの人はそんなことお構いなしに、家から出ていった。
私は彼がどこに向かったのか突き止めるために、ベッドから起き上がる前にサイドボードに置かれていたデジタルパッドから痕跡を追った。
タッチパネルを光らせると彼からのメッセージが宙空に浮かび上がった。
『すまない。どうしても嵐の目を超えてみたいんだ』
それだけだった。だけど何を言っているのかわかった。
かつて彼の家族も同じように嵐の目の向こうへと旅立った。彼だけを残して。
「そんな…自殺行為よ……」
涙が止めどなく溢れ出した。口から溢れる嗚咽をどうにか手で押さえ込む。
S.Sが観測され始めて、人類はそれに対抗しうるドームシティへと閉じこもった。
嵐の弱い時間帯は外へと出かけることが出来たが、嵐を外で耐えるには特別な装備などが必要で、しかもその装備が与えられるのは一部の探索者か富豪や有力者だけだった。そして、その装備を持ってしても完璧に防げるわけではない。
なぜ人々はその嵐の目の向こうを目指すのか。その向こうにはかつて人類が開発したとてつもないテクノロジーが関係していると言う。そんな命知らずの夢を追う者は、ごく僅かだった。彼の家族はその一部の人間だった。そして彼もその血を引いていた。
いくら人体をハードカスタムしていようが風速三十メートルを超え、さらにスチールの鋭利な粒が吹き荒れる嵐の中にダイブすることはサンドブラストに生身を削らせるようなものだった。
それでも彼は私を残して探索隊へ参加してしまった。
彼の愛に不安や欺瞞など微塵も感じたことがなかっただけに、やり切れない悲しみが全身を襲う。
今まで探索に出た人たちの中で帰ってきた人は一人もいない。生還率の計算は算数を習っていなくても出来る。
祈るだけで助かるなら、とっくに誰かが帰ってきている。
流した涙を力に変えて立ち上がった。
キーを手に取ってから、フロートバギーに乗り込んだ。
「私を置いていくなんて許さないわよ!」
ナビを起動して、S.S予報円へと向かった。
耳の奥で電子音が鳴りジェニーと接続したのがわかった。
すでに荒れ狂う風が一部で吹き曝しているようだが、デジタルブレインメモリにインストールされているプロのドライビングテクニックと高性能AIジェニーによる予測演算によってそれを避けていく。
「まだ、時間はそんなに経っていないはず。ジェニー!彼の予測位置を正確に絞って!」
「ハロー、イリパス。エルヴヴェの位置はここから北西十一キロ地点のストームフロントよ」
「さすがジェニーね!風向予測演算ドライブに戻っていいわよ!」
「即座にドームシティに戻るべきよイリパス。これは明らかな自殺行為よ」
「私の心配はいらないわ……」
そう言うとジェニーは沈黙して自分の成すべき作業に戻った。
「ナノマシンコーティング起動」
体全体を特殊な強度のナノマシンが膜を作るように覆っていく。だが、これでも気休めに過ぎないのはわかっていた。
フロートバギーが進むごとに状況は悪化していった。
なんのコーティングもされていないバギーは目に見えて削られた。
『警告。耐久限界です』
諦められなかった。私が唯一愛した人、エルヴヴェの笑顔が脳裏に過ぎる。
──ボンッ!
『警告。エンジン損傷。直ちに──」
身体が重力に逆らって持ち上がった。スローモーションで視界が切り替わりすぐに暗転した。
「──リパス!イリパス!直ぐにここから逃げて!」
「ううう…」
目が覚めて見た車外の景色はすでに視界〇に近い状態だ。気絶している間に完全にS.Sに飲み込まれてしまったらしい。
エラーが垂れ流されているモニターも真っ暗になった。
「ナノマシンコーティングは…まだ生きているわね」
身体を触り確認する。
「ここは間も無く跡形も無く崩れ去るわ。すぐにこのバギーをナノマシンでコーティングして」
「わかったわ」
大脳付近のOSに集中してナノマシンに指示を出す。
「これで寿命が伸びたけど、ここまで早く壊れるのは想定外だったわ」
「行き当たりばったりはいつものことね」
ジェニーの皮肉は今日も鋭い。
「このマシンをオーバーライドしてパルス接続後に再構築するわ」
「早く彼を探しに行きましょ」
ドライブシートを包むようにして球体のエアライドマシンが組み上がった。
「液体金属の多重コーティングとナノマシンがあるとは言え、三〇分もすれば砂粒になるわよ」
「ありがとうジェニー」
「ナビも私がするわ」
ふわっと浮き上がった球体は豪風を受け流し、分散した。風の通った後には淀みもなくスチールブラストもうまく避けられているようだ。
「かなり時間をロスしたけど、この先のS.Sの目でエルヴヴェの在籍している部隊の信号をキャッチしたわ。すぐに追いつけるわよ」
空が一気に晴れた。
束の間の安息の地が目の前に現れ一瞬、気が緩んだ。
「こうやって見ると素敵ね」
「イリパス。そろそろ見えてきたわよ」
私は戦慄を隠せなかった。
エルヴヴェの参加している部隊の車両の残骸だけが異物のように佇んでいた。
彼ら探索隊の装備ならS.Sを乗り越えられないはずがない。一体何があったと言うのだろう。
滲み出る不吉な予感を拭い切れず、彼の姿を探すがその場に残っている死体は全て無惨でズタズタな姿になっておりひどい状態だ。
「エルヴヴェ……」
「イリパス。彼のシグナルをキャッチしたわ!」
「彼は生きているのね!?」
「ええ、でもありえないわ。エルヴヴェのシグナルは嵐の向こう側よ。到達不能領域へ行っているはずがない」
「この車両はまだ使えるわ。やはり壊れていない…何があったのかしら」
「本当にいいの?ここまで来れただけでも奇跡だったのよ。これ以上行ったら、もう後戻りはできないわよ?」
ジェニーの冷酷なようでいて暖かい言葉は本当の死を意味していた。
「彼を迎えにいくわ」
エンジンを起動すると同時にプロテクトドームが展開され、一気にアクセルを踏み込んだ。
視界ゼロの領域へまた足を踏み入れる。
ジェニーは地形と風向を高速演算し、辛うじて進路だけを示してくれる。だけど、何が起こっても不思議ではない。ここから先に向かって帰ったものはいないのだから。
「もう少しでS.Sを抜けるわ。耐えて!」
フロートバギーが大破した際に、内臓に深刻な損傷を負っていたがオートリペアが働いていた。それでも覆い隠せないほどのダメージだった。
「ゴホッ──」
口から鮮血が溢れる。それでも彼に会うまではなんとか……。
風が突然弱まり、灰色の空が左右へ裂けていく。
S.Sの嵐を過ぎ去り、空がいっきに晴れ渡った。
「そこを真っ直ぐ行ったらエルヴヴェのシグナルが発信されている場所よ!」
アクセルを更に踏み込んで加速する。
ドームシティ周辺とは違い明らかに植生が豊かだ。緑が溢れ、道も綺麗に整備され、朗らかで澄んだ空気に野生の鳥の囀り、蝶々が呑気に羽ばたいている。
「どうなっているの……?」
いつも問いに答えてくれる、ジェニーはドームネットワークから弾かれたのか、いつの間にか完全に沈黙していた。
大きなホログラム看板が見えてきた。
【─────────】
見たこともない言語が並んでいた。
しばらくすると、ジェニーが言っていた地点へ辿り着いた。
「エルヴヴェ!」
地面に横たわる彼を見つけ全速力で駆けつける。
「イ、イリパス。なぜここへ……」
首に右腕を回し、上体を起こす。
「何があったの?」
「ここは俺たちの立ち入っていい場所じゃなかった。チームのメンバーも家族もみんな殺されているよ…ぐはっ……」
「わかったわ!もうしゃべらないで!」
「き、君は気付いたかい?ドームシティの周辺にはない豊かな土地がここにはある」
「ええ、そうね……」私の内臓リペアにも限界が来ていた。
「僕たちはドームに逃げたんじゃなくて、追いやられただけだったんだ」
続けて彼は言った。
「外の世界はこんなにも綺麗だ。最後に君とこの景色を見られてよかった──」
ゆっくりと彼の心臓の鼓動は止まり、弱々しく動いていた他のカスタムインプラントも起動停止した。
「そうね。私もあなたと同じ気持ちよ──」
太陽が差し、情緒溢れる川のほとり。穏やかな水のせせらぎと吹き抜ける風を初めて感じた。
彼と一緒に、何者にも変え難い自由を手に入れた瞬間。
エルヴヴェをまた優しく横たえ、手を握ってから私も横になって目を閉じた。
かろうじて意識を繋ぎ止めていた人工臓器は、やがて静かに鼓動を止め、その豊かな自然へと還っていった。




