57.あんたなんてママじゃない ◆ 荒川 葵咲 ◆
厚生労働省から講師がやって来て、男性に関する特別講義をする予定だったのに、話はとんでもない脱線をして、男性の本気の暴力を見せつけられた。
衝撃的な現実に、中一達は深刻な顔をして黙りこんでいるだけ。
無理もないわよね、少女マンガとかに出て来る男の人は、女性に暴力を振るうけど、せいぜい耳を引っ張ったり、厚い胸板に女の子の顔を押し付けたりするだけなの。
威張っている男性にイジメられても、最後はちょっと激しいキスをしてくれる、そんな俺様系の男性にならイジメられても良いと思うわよね。
だけど、あのスライドはそんな生易しい物じゃなかったし。
やっと担任がやって来ました。
「さて、今日は厚生労働省から特別講義の予定だったが、過激思想の持ち主が紛れ込んでしまったようです、講義は日を改めて実施します。
それから、あの女の喋った事は妄言です、本来なら精神科にいるはずの人間が紛れ込んでしまいました。
今日の事は絶対に他には漏らさない様に、先輩や家族も含めて……」
部活も禁止され、全員が帰宅する様に言われたわ、わたしもカバンを持って帰ろうとしていたら、担任が目配せをしてきた。
「荒川さん、ちょっとお話し良いかしら?」
担任の上越先生、もうすぐ30だけど、今まで一度も男性と接した事がないそうよ。
まぁ、普通の女性ね。
「なんでしょうか」
「荒川さんは、クレセントの乙女だったそうね」
「ええ、短い間でしたけど」
「短くても、経験はあるでしょう、その、同級生達が色々と訊いて来るかもしれないけど、不用意に男性居住区の話をしない様に」
「もとより、そのつもりです」
「大変結構、それとですね、清瀬化々美と言うのは、荒川さんの保護者だったわよね」
「ええ、緊急連絡先に名前を記入した記憶があります」
聞きたくもない名前だけどね。
「そうですか、来なさい」
▽
職員室の隣にある小会議室、少し開いた扉からあの女の声が聞こえて来ます。
「…… まったく、日王市の中学校は大げさだな、子供達には多少過激な方が受けが良いのだ、居眠りされて、誰も聞いてないよりはましであろう」
「そう言う問題ではありません、こんな事をされたら誰もスタリオン学園に進学しなくなってしまいます……」
「分かった、分かった、うちの所沢には良く言い聞かせておくから、それで良いだろう」
相変わらず横柄な態度です、迷惑をかけたにも関わらず、謝罪も程々に席を立ちました。
「おう、葵咲ではないか、11区だから、いるとは思っていたけど、どうだった、今日は有意義な講義が聞けたであろう」
「皆さんに、迷惑をかけておいて、もう少し誠意を持って謝ったらどうなんですか?」
「そんなつまらない事を言うな、久しぶりの親子水入らずではないか」
▽
相変わらず強引な化々美“おばさん”にカフェに連れて行かれたわたし。
「……まったく、大勢に迷惑をかけて」
「そう言うな、わたしの大切な妹の事を思うと、控えめなくらいだぞ、わたしの妹の亜衣化は11歳で妊娠したのだ」
「ママの話はしないでください化々美おばさん」
「わたしでは母親になれないのか、寂しいものだな」
「あなたの娘は利葉美ちゃんだけですよ“ママのお姉さん”」
*** ***
男子が産まれた時から中学卒業までの疑似家族、クレセントの乙女、わたしのママも11歳の時にお呼ばれされたそうなの、そのまま妊娠、小学校を卒業する前に出産したなんて凄いわよね。
惜しむらくは産まれたのが男の子だったと言う事、そのまま子供を取りあげられ、悲観にくれてずいぶん苦しんだそうなの。
リハビリも兼ねて、人工受精をしてわたしを産んだそうなのだけど、その頃にはママの心は完全に閉ざされていた。
物心付いた時から、化々美おばさんの家にずっと居候。
ママは週末にお見舞いに行くか、時々調子が良いと言って、在宅になるけど、お薬で寝てばかりだった記憶しかないの。
わたしが三年生の時に、自ら階段を昇って行ってしまったけどね。
こう言っては何だけど、化々美はわたしに良くしてくれていると思う、だけどあの人の考え方に無条件で賛成と言う訳ではないわ。
ママが心を病んでから、厚生労働省で熱心に働き、男性の性暴力被害者のPTSDの治療の為に奔走しているのも知っている、だけど……
*** ***
「……ハミング・プログラムが軌道に乗れば、心を病み、誰にも言えない悩みを抱えた女性はいなくなるのだ。
もっとも、スタリオン学園を何とかするのが一番早いのだがな」
自慢気に話すおばさん。
「その様な過激な事を言っていると、政府から目をつけられますよ」
「そのわたしが、政府の人間、公僕だ。
そんな事を言っているとは、まだお兄様には可愛がってもらってない様だな」
「あなたの無神経な物言いには、返事をする気も起きません」
「そんなツンツンするでない、せっかくだ厚生労働省のわたしが、葵咲に恋愛の話をしてやろう。
誰が誰を好きになるのか、これには法則があってな、端的に言うと自分と共通点が多い相手をパートナーに選ぶ事が多く、その組み合わせが最も長続きするのだ。
マウスを使った実験で何度も検証されている事実だ」
「恋愛をネズミで例えるなんて、情緒のかけらもありませんね」
わたしの皮肉は耳に届いていないようですね。
「だが、ここで問題がある、自分と一番近いのは親や兄弟達だ、だが遺伝的にはこれは悪手、葵咲も中一だから、ここら辺は説明の必要はないだろう。
ところがマウス達は身内をパートナーに選ぶ事は無い、奴らの小さな頭で遺伝子工学が理解出来ているとは思えないだろう。
結論を言うと、幼少期を一緒に過ごした相手をパートナーに選ぶ事は無い、その様にプログラムされているのだ」
「厚生労働省の方から講義をして頂き、ありがとうございます」
「葵咲、とお前の大好きなお兄様は良く似ていると言われるだろう、だが一緒に暮らしているのに、未だに交渉が無い」
「 ………… 」
「幼少期を共に過ごした相手とは関係を望まないのは、マウスを使った実験だ。
もしかしたら人間には遺伝的に近縁な相手との交渉を避ける方法があるのかもしれんぞ、
何と言ってもお前達二人は……」
「それ以上言わないでください!
しっかり報告は送っていますし、指示にも従っています」
「そうだな、お前のお兄さんは情に厚いな、これから忙しくなるかもしれないが、よろしく頼むぞ」
幼少期を共に過ごした相手は性のパートナーに選ばない、
インセストタブーと言われております。