110.特別昇任
▽第九歩兵科連隊、第一中隊中隊長室▽
中隊長室に呼ばれた曾根崎一曹、演習で山に入ると、中隊長とは共にポンチョをまとい冷たい雨に打たれながら、冷えた缶詰を分ける仲だが、幹部と陸曹の線引きはしっかりとしている。
中隊長室の応接セットを進められているが、幹部が座るまでは決して座らないのは先任陸曹の矜持。
「……お嬢さんは津樹子さんだったね、高校生だったかな」
「いえ、まだ中三です、毎日テニスばかりで困った娘です。
親を見て、もう少し勉強をしないと苦労すると言う事を、学んで欲しいのですが」
「以前バーベキューの時に話をしたけど、賢そうな娘さんではないか、面倒見も良さそうだし」
「まぁ、テニス部の部長を任されておりますが」
「そうか、そんな部長のママにご褒美があるのだよ」
芝居がかった仕草で、金色の筋が4本入った階級章を応接セットの机の上に置く中隊長。
「曾根崎曹長、君は中隊の基幹だ、特例だが昇任だ」
先任陸曹は怪訝な顔をしている。
戦う集団とは言うものの、軍隊は官僚組織、中隊長の権限で部下をポンポン昇任させるのは映画の中だけの話し。
美味しい話の裏には裏が有るのは長年の軍隊生活でしっかりと学んだ曾根崎曹長は中隊長に尋ねる。
「わたしの昇任には最低でもあと二年は必要なはずですが」
「まぁ、そう言うな、臨勤先では曹長の箔は必要だぞ」
臨勤とは臨時勤務の事、ほとんどの場合今よりも環境が悪い場所に行かされる。
「わたしの臨勤はどこですか?」
「地本で君の力を生かして欲しいのだよ」
以前は“地連”と呼ばれていた地域連絡部は、地方協力本部と名を変え、通称も“地本”となった。
閉鎖的な軍隊と外の世界をつなぐ数少ない窓口。
そんな地本の任務は大きく二つ、募集と援護、募集は分かりやすい、新兵の募集業務。
軍隊を動かすのは若い筋肉、毎年大勢の若者を採用する必要がある。
体力しか自慢できることのない、脳みそのシワが足りない高校生を言葉巧みに騙して、軍隊と言うオープンな刑務所に叩き込む。
援護はその逆、兵隊は二年任期、二年ごとに任期を延長するか、辞めて民間企業に移るかを選択する。
人並みの知能が残っている隊員は満期金と言う、若者には分相応な退職金をもらい、民間企業に再就職をする。
そんな知恵と良識の有る彼らの就職斡旋が援護。
募集と援護は車輪の両輪に例えられるが、輪の大きさは景気によって変動する。
景気が悪い時期は、軍隊を目指す若者が増えるが、除隊する隊員を雇入れたいと言う企業は少ない。
景気が良くなると、その逆になる。
地本勤務は今まで軍隊と言う組織で世間の荒波から隔離されていた隊員が景気の変動を肌で感じる業務だ。
多くの先輩方が臨勤で行った場所だが、中隊に帰って来た先輩は一人もいない。
数年間勤務すると、連隊の訓練班や総括班に帰って来る、歩兵でいられる時間はそんなに長くないのだ。
「そうですか、まぁ、野分市は駐屯地もあるし、軍に理解もある人達も多いですし、悪くない任務でしょう」
「いや、君の勤務先は日王市だよ、娘さんが受験の時期で大変だと思うけど受けてくれるね」
幹部の“受けてくれるね”とは命令だ。
「シンフォニア高校の有る街ですね、募集も援護も苦労しそうですよ」
「そう言うな、君は陸曹だが、地本勤務では佐官待遇だ」
「それはいくらなんでもおかしいでしょう!」
物事には動じないと自負する曾根崎曹長だが、思わず声を荒げる。
「君にしか出来ない任務を任せるのだよ」
「新兵の募集がですか?」
「七海美ちゃんだけど、君の娘にしてくれないかな」
「あの子をわたしの養女として迎えると言う事でしょうか?」
曹長に昇任したばかりの部下の質問に黙って頷く中隊長。
▽▽
夕食の食卓の向こうにいるのは中学生の娘、部活に打ち込み過ぎて、歩兵の母親よりも日焼けしていないか?
ジックリと見ると、顔はそんなに悪くない、日焼けが引けばそれなりの顔になるのでは、親の欲目も抜きにしてだ。
「津樹子あんた、将来のこと考えている?」
「また受験の話~ 大会が終わったら考えるからさぁ」
「いや、そうじゃなくて、あんた妹が出来たらどうする?」
「そりゃ嬉しいよ、一緒に遊んであげて服とかを買いに行ったりとか……
ちょっと、ママその歳で受精申請するの? 無理だよ、やめときなよ、門前払いされるって」
「津樹子、あのね……」
軍隊少女編、2話くらいで納めるつもりが、倍の長さになってしまいました。
法律関係の事を書き出すと、これでも足りないくらいなのです。




