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2章 旅館の記憶 3


 役立たずって――。役立たずって――!


 さすがに親にも言われたことないぞ、と思いながら僕はエレベーターに乗り込んだ。

 もしかしたら「根無し草」という言葉の裏にそれに近い意味合いが込められているかもしれないが、さすがに直球でぶつけられたことはない。

 結生いわく「Aさん、外で行方がわからなくなっているんだよね」とのこと。

 それは新聞記事にも書かれていたことだ。しかし、その直前の行動を見てもなんら不自然な行動はなし。しかも、滞在中は館内よりも外を巡っていることが多かったようだ。


「徒歩圏内にコンビニや小さい神社、飲食店もあるから不思議はないんだけど、あまり人気ない場所だからなあ」


 そう言って結生は困ったように息を吐く。それもそうだろう。家解氏は、家の記憶を見るのだ。外に出てしまっては、記憶を見ることはできない。


「今回は依頼を達成できないかも」


 ぼそりとそう呟く声が聞こえた。そもそもなぜ彼女は捜し物屋をしているのか。率直なところ、他人のために何かしてあげたいという性格には思えない。


「依頼達成できなかったら、おじさんへのバイト代、減っちゃうからよろしくね」


 それは初耳である。しかし、前回はたまたま運良く見つけられたが、後味は最悪だった。また、後ろ髪引かれるような感じで依頼を達成するくらいなら、未達成の方がマシである。


 ――財布の方は全然マシではないが。

 ひとまず、まだ滞在期間は十分にあるのだ。周辺を見て回ることで得られることもあるかもしれない。

 結生はまだ眠いらしく、ひとりで行ってこいとのことだった。

 エレベーターで下に向かっていると途中で扉が開いた。二十代くらいの女性二人組が乗り込んでくる。結生より少し年上だろうか。大人びた雰囲気をまとった二人は「ここの朝食のオムライス、口コミ通り絶品だったね」と口々に話している。旅館なのにオムライスが有名なのかと不思議な気分になりながら、外に出た。



 空が茜色に染まり始めた頃、くたくたになりながら部屋に戻ったが結生は起きていなかった。風呂に入りたいと思っても、昨日のこともあり、大浴場に行く気分にはなれない。部屋にある風呂場で手早くシャワーを浴びる。幸い、家録は見えなかった。

 夕食の準備が整いました、と部屋に電話が入り、僕は再び寝室の扉をノックする。なんとなく、嫌な予感がした。

 結局予感は当たってしまい、結生は天岩戸の大神のように閉じこもったまま出てこず、再び夕食を部屋まで運んできてもらった。


「申し訳ありません」


 部屋にやってきた女性スタッフ二名が、てきぱきと座卓に料理を並べる。


「お構いなく。お料理について簡単に説明させていただきます」


 そう言って広い座卓いっぱいに並べられた料理の説明を受けたが、正直覚えられない。今が旬の魚の名前は聞いたそばからわからなくなるし、和え物なのか蒸し物なのかさえ忘れる。ソースになんの野菜が使われているとか説明してくれるが、食べてしまえば一緒である。

「お食事がお済みになりましたら、フロントまでご連絡ください」と言って出て行ってしまった。

 急に部屋の中が広く感じられる。


「はあ」


 座布団の上であぐらをかき、金目鯛の煮付けやマグロや白身魚の刺身を眺めていたら、自然とため息が出た。

 待てと命じられた犬の気分である。

 まあ、僕は犬どころか生物でもないけど。

 おひつに入った白米を茶碗に盛りつければ、いつでも食事にできる。いい匂いが鼻をくすぐり、腹の虫が鳴った。朝食――と言っても食べたのは昼――以降なにも口にしていない。旅館の外には、食べ歩きできる人形焼きや温泉饅頭が売られていたが、明日の寝床にも困る僕に贅沢できる金などない。

 おそらく、結生も食事という面では一緒だ。朝食以降、何も口にしていないはず。


 ――ならば。

 僕は部屋に備え付けられていたうちわを手に取り、料理を冷やさないようゆっくりあおいだ。

 いい匂いがすれば自然と腹が空く。そうすれば起きるのではないか。

 我ながら妙案だと思う。

 ここまでの策士もなかなかいないだろう。早く出てこいと口の中にあふれる唾を飲み込みながら念じていると、扉が勢いよく開いた。

 僕と彼女、ばっちり目が合う。

 硬直している僕より早く、彼女は目元を歪めた。頬をつねったときと同じ、いやそれ以上に冷たい目。


「何してんの、おじさん」

「え、あ、いやー、その」


 どうにかそれらしい言い訳を絞り出そうとするが、出てくるのは言葉ではない。意味のない音だ。


「とりあえず、埃が舞うからやめてくれる?」

「すみません」


 消えそうな声で答えつつ、僕は身を小さくした。

 結生はひとつに縛った髪を払いながら向かい側に座る。そして「いただきます」と呟いてから箸をとった。

 沈黙が息苦しさを増す。まだ、毒舌を吐いてくれた方がマシだ。ただ、黙っているわけにもいかず、空腹もあり僕も箸をとった。


「それで。結局何もなかったんだ」


 結生が再び口を開いたのは、デザートを食べているときだった。よく冷えたメロンをフォークで刺しながら言う。


「やっぱり外じゃ無能だよね」


 聞き込みなんて刑事みたいな真似できるはずもなく、ただ周辺の様子を眺めただけだった。ちょっと先にある山の中に入らない限り、迷子になることはない場所だ。極度の方向音痴だとしても、旅館の大きな門が目印になる。


「さて、どうしようかな」


 メロンを平らげた結生は、両手を背後につき、天井を見上げながら言った。八方ふさがりなのはよくわかる。


「一緒にいた男性について調べるしかないですね」


 とはいえ、警察でもない人間に旅館側が個人情報を明かすことはない。頼りになるのは家録だけだ。

 しかし――。


「どうだろうね」


 投げやりな声が返ってくる。


「多分、わからないよ」

「え」


 余った醤油に僕の顔が映り込んだ。結生の目がこちらを向く。


「同じ家録しか見えないんだよ」


 ぶっきらぼうに返された言葉に、僕は再び「え」と声を出していた。

 不特定多数の人間が利用する場所だ。しかも歴史が長い旅館である。同じものしか見えないというのは不自然だろう。


「それってどうにかできないんですか」


 家の記憶を見る家解氏ならば、記憶を引き出す方法がわかるはず――そう思っての発言だったのだが、どうやら彼女の地雷を踏み抜いたらしい。

 全身から怒りの炎が吹き出しているのを嫌でも感じる。


「おじさん、もう忘れたの?」


 何を、と喉まで出掛かった言葉を飲み込む。さすがに火に油を注ぐほどバカではない。


「ま、おじさんだもんね」


 小馬鹿にされた気分だが、怒りが収まるのなら何でもよかった。結生は座卓の上に腕を乗せる。


「私、家から嫌われているの」


 普通なら「家」は「家族」と受け取られるだろう。しかし、家解氏である狩屋結生の言う「家」は文字通りの家。建築物のそれである。

 家解氏によって致命的であろうその特異性を、家から好かれるという僕の存在で緩和している。

 それが僕、家守カナトが彼女の道具として引っ張り出される由縁。それはわかっている。さすがに僕もスライスチーズのような薄い記憶力ではない。


 ただ――。

 家に嫌われるだけで、記憶に干渉することもできないってことか?

 彼女にとっては当然のことかもしれないが、家解氏でもない僕にとっては初耳である。

 それじゃあ、彼女は家解氏として一体なにができるんだ?


「三度目はないから」


 彼女は空気を切るように立ち上がると、寝室に戻ってしまった。なかなか気むずかしい雇い主である。そのとき、インターホンが鳴った。食器を下げに来た従業員だろう。扉を開けると男性従業員がひとり立っていた。

 その顔を見て、あれ? と内心首を傾げる。

 どこかで見たような。

 しかし思い出せない。食器の片づけを手伝っている間も記憶の隅をなぞったがわからない。結生の指摘もあながち侮れないなと思っていると「お連れ様はどちらに」と問われた。


「ちょっと調子が悪いようなので」


 本当は僕が怒らせて機嫌を損ねただけなんだけど。

 愛想笑いを浮かべてそう返す。もしかして、今の会話を聞いて、飛び出してくるかもしれないと少しだけ思ったが、扉が開く気配はない。


「そうですか」


 座卓を綺麗に拭き上げながら、男は言う。


「お二人はどのような関係なんですか」

「え」


 思わずそう言ってしまった。

 旅館のスタッフが想定している答えは当然返せない。スマートな人間は、この場しのぎの嘘を適当につくのだろうが、僕はそんなに器用な人間でもない。

 不自然な間があく。

 時限爆弾を渡された気分だ。必死に頭を回転させた結果、なんとか最適解を導き出す。


「し、仕事仲間です――!」


 嘘でもなければ、間違いでもない。使用者と道具ですと言われるよりずっと常識的な回答だ。

 しかし、男性スタッフはそう思ってくれなかったようだ。


「ずいぶんと……仲がよろしいのですね」


 やってしまった、と内心膝を折りながら頭を抱える。

 仕事仲間、ましてや男女であれば普通別室にする。それにここはビジネスホテルと違い、値の張る高級旅館。仕事で利用するような場所でもない。


「け、経費の関係で一緒の部屋――なんです」


 苦し紛れに言葉を重ねてみるが、墓穴を掘っている感覚しかない。何を言っても言い訳になるくらいなら黙っている方が賢明だ。片づけも終わり、両手がふさがった男性スタッフのために部屋の扉を開ける。


「わざわざありがとうございました」


 部屋から出たスタッフに、決まりきった言葉を向ける。普通なら会釈なりなんなりして去っていくだろう。しかし、振り返った彼はじっと僕を見つめる。感情が見えない無機質な瞳を向けられ、僕はたじろいだ。


「な、なにか?」


 そう言っても返ってくるのは沈黙だった。

 気まずい。さっさと扉を閉めてしまいたい。そう思ったときだ。


「あなた、取り憑かれていますよ」

「え」


 僕の間抜けな声すら聞こえなかったのか、彼は真剣な眼差しでこちらを見据えたままだ。その異様さに少しだけひるむ。


「このままだと危険です。でも、大丈夫。神はあなたを見つけました。必ず救います」

「あ、あの。すみません。一体何のこと――」


 声を絞り出して尋ねたが、彼は何事もなかったかのように背を向けて行ってしまった。


「夢?」


 いや、たしかにあの人は救うとかなんとか言っていた。もう、訳が分からない。

 僕は髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。


「何なんだ、一体」


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