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1章 忘れ形見のラブレター 3

「見つけた」


 僕が口にする前に結生が言う。

 一体何が書かれているのか。老眼鏡をかけた家主の表情は柔らかい。ときどき、微笑を浮かべている。幸せそうだと思った。


「そう言えば、さっき男性が映っていましたけど、なにか共通の趣味の友達とかですかね?」


 四十代くらいの物腰が柔らかそうな丸顔の男性。写真に映っている娘たちの年齢から見て、ご主人ではないだろう。しかし、親しい間柄なのは確かだ。

 二人掛けのソファーに座っていたとき、体が密着しそうだったからなあ。


「何言ってるの」


 結生は当然と言う。


「あの人が依頼主」

「え」


 開いた口がふさがらない。

 では、あの人がこの家の鍵を渡したということか。手紙と日記を見つけてほしい、と。

 スマホの中では、家主が缶の蓋を閉めているところだった。缶を大事に抱えたとき、老女は慌てた様子でソファーの下に缶を隠した。今度は老女に似た五十代くらいの女性が現れる。二人は何か言い合っているようだ。


「あの、これって音は聞こえないんですか?」


 純粋な好奇心からだった。しかし、結生はじとっと湿った目で睨んだあと「おじさんはいちいち癇に障ることを言う」と同じくじとっとした声音で言う。

 そんなつもりは、と弁明する時間すらもらえず、結生はまくし立てるように答えた。


「家解氏の能力差は大きいし、私は家に嫌われる方ってさっき言ったじゃん。聞こえてないの」


 耳遠いんじゃない、と言われ静かに傷つく。

 聞いてはいた。でも、そういう理由があるなんて知らなかったのだから、もう少し言い方ってものが――と、もんもんと心の中で不満を募らせる。


「……家解氏の中には、記憶の中に入り込むようにして見る人もいるみたい。砂の城の中を見ているようなものって言っていた」


 歩くことも触れることもすべて崩壊につながる砂の城。住むことができない城は、遠くから眺めるだけになる。確かに記憶を見るだけしかできないのならそれは的確な表現だと思った。

 声が聞こえたらな、と思ったとき紙を丸めるようながさがさとした音が聞こえた。それはだんだん大きくなり、次第にはラジオのチューナーを合わせるように音がはっきり形をなす。


「お母さん、一体こんな大金何に使ったの!」

「何に使おうと私のお金なんだからいいじゃない」

「そういう問題じゃないでしょ!」


 どうやら母親の様子を見にやってきた娘が、ダイニングテーブルに置きっぱなしになっていた通帳を見て問いつめているらしい。

 感情を露わにする娘に対し、家主はあくまでも穏やかに対応している。


「これ、老後の資金って言っていたじゃん。どうやったらこんな金額一気に使えるの。もしかして振り込み詐欺にあったんじゃ――」

「果歩!」


 母親の厳しい声に、娘の口が閉じる。


「滅多なことを言うもんじゃない。このお金は、母さんの意思で使ったの。もうこれ以上説明させないで」

「……お母さん」


 弱り果てた娘の声があがったとき、突然家主が体を折り曲げた。胸元を掴む手に青白い血管が浮かぶ。苦しげに喘ぐ声が部屋の空気を一変させた。娘の悲鳴に似た声がつんざき――スマホ画面は、静かに色を失う。

 ゆっくり絵が描き変わるように、スマホ画面は現在の部屋の様子を映した。

 結生が静かな足取りでソファーの元まで行くと、その下に手を突っ込む。次の瞬間、彼女の手には色鮮やかな缶があった。

 先ほど見たとおり――いや、埃をかぶり、色彩を欠いたクッキー缶だ。だが、この中に探しているものがあるのは明白だった。

 結生が蓋を開ける。ぱこんと間の抜けた音を上げ開いた缶の中には、ノートや手紙が丁寧に保管されていた。


「依頼達成」


 確かに依頼は達成だ。これ以上、他人の家を探索する必要はないだろう。しかし――腑に落ちない。


「僕は誰よりも君のことを想っている」


 耳元でささやかれるように聞こえた男の声。勢いよく振り返るが誰もいない。この家にいるのは、自分と結生だけだ。いつもなら空耳と受け流すところだが、今回は違う。

 家の、記憶か。

 家主と親密な関係に見える依頼主。家の状態から家主が亡くなってもう何年も経っているはずだ。家は、人が住まなくなると一気に傷むと聞いたことがある。きっと、何年も陽光が当たらないこの家も同じだろう。湿気と埃、カビが混ざったようなまとわりつく臭いが家の中を覆っている。

 やっぱり、変だよな。

 親子なら役所の提出に必要でもない遺品を探すのに、わざわざ業者を使うだろうか。

 よっぽど急いでいるならわかるけど。

 部屋の中を見回す。不思議なところは一つもない、普通の部屋。家主にとって安心できる場所。

 そのとき、ソファーに見知らぬ女性が座っていて、僕は尻餅をついた。驚きすぎて声も出ない。


「なにしてるの、おじ――」


 僕の視線の先を見た結生は、静かに言葉を飲み込む。

 向かいのソファーに座る年嵩の女性。

 さっきまで誰もいなかったソファーに忽然と現れ腰掛けているのは、スマホ越しで見ていた家主その人だ。肩まで延びた焦げ茶色の髪、手や首、顔には隠しきれない皺が刻まれ、丸いめがねをかけている。しかし、微笑をたたえどこか楽しそうな雰囲気を全身から醸し出す姿は、少女のようだと思った。

 彼女は白い便せんに丁寧に文字をしたためると、丁寧に折る。そして、めがねを外し悪戯っぽい笑みをこぼすと、便せんを入れた封筒に鍵を滑り込ませた。


「愛している。――たとえ私の方が先に逝く運命でも」


 そして老女は、桜色をした封筒に優しい口づけをした。触れれば崩れる、脆い願いをそっと込めるように。

 さっき入れた鍵、あれはおそらくこの家の鍵ではないか。確信はない。けど、そうだと勘にも似たものが訴える。

 ――ならば。


「すみません!」


 僕は開きっぱなしの缶に手を突っ込むと適当に掴む。結生が驚く間もなく、掴んだ手紙を広げ、目を落とした。手紙にはどこか神経質そうな縦に長い字がつづられている。


「ちょ、いきなりなにするの、おじさん!」


 結生の声を耳から追い出し、文字に集中する。――やっぱり。


「ねえ、勝手なことは――」


 僕は手紙を結生に渡す。彼女は渋々それを受け取り、目を落とした。手紙の送り主は男性。おそらく、先ほどスマホ画面に映っていた人だろう。近況のやりとりに親子ならあり得ない甘い言葉が挟まっている。

 それだけならまだいい。今の時代、歳の差カップルなんて珍しくもない。

 問題は最後の方。送り主は家主に金を求めていた。それも、一万や二万じゃない。数百万単位だ。

 娘が母親に迫るのもわかる。年老いた母がこんな大金を使っていれば何に使ったのか聞かないと気がすまないだろう。


「依頼人は、詐欺師です」


 薄暗い部屋に固い声が落ちる。途端、しんっと静寂が包み込んだ。

 僕は結生の持つ缶へ視線を落とす。おそらくこの中に遺言書の類が入っているのだろう。そこには、男のことが明記されているに違いない。手紙を大事に保管しているくらいだ。きっと家主は、遺産の一部を男にも遺そうとしたのではないか。

 だが、それは男にとって余計な配慮だった。

 家族にバレる前に、家主に取り入っていた証拠を消し去りたいはずだ。

 ソファーに目を向ける。もう老女の姿はどこにもない。


「さっきの――あれも家録で合ってますか?」


 結生は不可解そうに目元を細める。


「そうね。画面越しじゃないのは初めてだから、断言できないけど」

「なら、依頼人が今になってそれを手に入れようとしたのも納得できます。家主は薬を服用していたくらいです。さっきの手紙、きっと何かあったときのために、遺言書の場所や相続の話を書いていたんじゃないですか。封筒に家の鍵も入れて」

「だったら、手紙を送って一週間以内には着くでしょ」


 僕は緩く首を横に振った。


「数年後に届くようにできる手紙もあるんです」 


 高校生の時、クラスの有志たちがそういう企画をしていたことを思い出す。手紙は手紙でも、未来に届く手紙だ。あのとき、自分は声をかけられることもなかったので詳しくは知らない。でも、だいたいは自分宛に書くものだろう。過去の相手から時を越えて送られる手紙は、埋めることのないタイムカプセルだ。

 あの、と僕は尋ねる。


「これ、渡しちゃうんですか?」


 結生の手元にある缶に視線を落とせば「当然でしょ」と間髪入れずに返ってきた。


「依頼主の素性なんて知らないし、こっちは頼まれたことをするだけ。これは仕事。遊びじゃないし、おじさんの言ったことが本当と決まったわけじゃない」


 僕はそれ以上なにも言えなかった。

 依頼を受けたのは結生で、それをどうするのかも結生が決める権利を持つ。あくまで僕はおまけ。彼女流に言うなら、道具にすぎない。


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