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1章 忘れ形見のラブレター 2


 玄関からまっすぐ続く廊下を中心に、左右に部屋があった。左手側は台所やリビング、風呂場や洗面所、右手側は和室と洋室そして物置があった。廊下の突き当たり右手側に二階に通じる階段が延びている。

 結生は一部屋ずつ中に入っては、スマホのカメラを隅々にいたるまで向ける。どう見ても動画を撮っているようにしか見えない。

 手持ち無沙汰な僕は、従順な犬よろしく彼女の後ろをついていく。

 まず最初に入ったのは台所だ。かわいらしい花柄のビニールタイルで詰めた床とは対照的に、壁は触ると砂を固めたような感覚とともに、ぽろぽろ落ちた。ぎょっとして手を引っ込める。

 木製の大きな食器棚には重ねられた大小の皿、来客用のカップや湯飲みなどかなりの数がそろえられている。わずかに扉があいていたのか、食器棚の中に蜘蛛の巣や虫の死骸が転がっているのが見えた。冷蔵庫はこの中の家電にしては真新しい。結生の背丈を超える大型冷蔵庫だ。しかし、今ではただの箱。開けることはしないが、「味噌と牛乳。薬忘れず」というメモがここに人が住んでいた証を主張する。

 ガスコンロの上は綺麗に片づけられていたが、ダイニングテーブルに置かれた空のガラスコップと電気ケトルは、ついさっきまで使われていたような生活感があった。


「――結生、さん」

「何?」


 僕としてはかなり勇気を持って口にしたのだが、当の本人はあまり気にしていないようだった。好きに呼べと言ったのは彼女だ。苗字がダメなら名前を呼ぶことになるのは当然で。それをいちいち指摘してくるほど曲がった性格ではないようだ。

 でも、僕は違う。名前呼びは変に緊張する。縄張りに一歩踏み込んでしまったような、そんな感覚を覚えるのだ。


「この家の住人は、なぜ亡くなったのですか?」


 さっさと本題に切り込めば「知らない」とすぐに返ってきた。

 ため息を飲み込む僕に「なんで」と結生は聞く。


「特別何かがあるわけではないんです。なんというか、ふと気になって」

「おじさん、変わっているね」


 結生はスマホ画面を見つめながら言う。


「他人のことなんか放っておけばいいのに」


 そう言いつつ、結生は何かを思い出すように視線を浮かせる。


「依頼人とは基本的にメールのやりとりだし、鍵を受け取るときだけ会ったけど、そこまで踏み込んだ話はしなかったかな」


 先ほど聞いた話から察するに、依頼人はこの家の子供にあたる人物だ。物が綺麗に整理されていること、冷蔵庫のメモからして、この家の住人はそれなりに自身の死を覚悟していたのだろうと僕は思う。


「まあ、捜し物が見つかればそれまでだからね」


 所詮ビジネス。結生の言うとおり、依頼を受け達成し報酬を受け取れば切れる縁。踏み込んだ話をしたくない依頼人もいるだろう。だけど、少しだけその言葉が空しく腹の底まで落ちていった。

 結生はスマホ越しに家の中を見ながら、次の部屋へ移動する。

 まだ日が出ている時間とはいえ、雨戸に加え、カーテンや障子も閉めている家の中は暗い。当然、電気は入っていないので電球から延びる紐を引っ張ってもつかない。わずかに差し込む日の光で見えなくもないが、捜し物をするにはいささか不便な環境だ。本気で探すのなら懐中電灯がほしい。僕はポケットから自分のスマホを取り出す。バッテリー残量は、残り三十パーセントを切っていた。

 最近、ますますスマホの保ちが悪い。これでは、ライト機能を使うのも躊躇する。

 捜し物は日記と手紙。小さいものではないので見つかりやすそうなものである。しかし、やはり手元を照らす明かりがほしい。


「あの」


 僕は恐る恐る声を上げる。


「どうやって探すんですか」


 先ほどの様子を見るに、探す方法はあるのだろう。でなければ、わざわざ依頼なんか受けない。

 結生はちらちとこちらを見る。黒一色の彼女は、薄暗い部屋の中にいるせいかどこか人ならざるもののように感じる。しかし、手に持つ現代文明の機器がそれを強く否定していた。

 わずかな沈黙。もしかして聞いてはいけないことだったのでは、と焦りを覚え始めたくらいに「まあ、道具だし」と言う結生のつぶやきが耳を打った。


家録(かろく)を見るの」


 まっすぐこちらを見上げる瞳に、嘘や偽りは感じられない。ふざけているわけでも、誤魔化そうとしているわけでもないのだろう。しかし――。


「かろくって何ですか」


 そう言えば、まるで不出来な子供を見るような視線を向けられ、おまけにため息までつかれた。――解せぬ。


「家録は、家の記憶。その家録を読み解くのが()(かい)()


 また知らない言葉が出てきた。しかしそれよりも、頭の表面でひかかって、すっと飲み込めないことがある。


「霊媒師みたいに胡散臭いと思っている人もいるけど、そこに人が住んでいた以上、記憶が残る。白い紙にインクを落とせば消えないでしょ? それと一緒。人間である以上帰る家はあるし、家がなければそれを求める。安心できる場所だからね、家は。だけど築年数が経てば朽ちるし、ある意味人と同じ――」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 片手をあげて彼女の言葉を遮る。


「家の記憶ってなんですか。家ですよね? そもそも物だし、記憶なんかあるわけ――」

「ある」


 有無を言わせない力強さに、僕の方が口を閉ざす。


「まあ、あまり知られていないことだし、むしろ秘匿しているからね」


 家が記憶を持っているなんて知ったらくつろげる場所がなくなるでしょ、と彼女は言う。


「それに、家解氏は少ない。血筋だし、最近は個の能力に差があるから」

「じゃあ、結生さんは家解氏なんですね」


 家が記憶を持ち、それを読み解くなんて話を本気で信じたわけではないが、話の流れ的にそうことなのだろう。しかし、結生は怒りの炎を灯した目で僕を睨んだ。

 なぜ?

 困惑する僕をよそに、結生は手元のスマホを部屋に向ける。和室と洋室が襖でわけられた部屋だ。家主は和室で生活をしていたようで、シングルサイズのベッドが中央に置かれている。

 一方、リビングにはガラス製のローテーブルにソファーが置かれ、壁際には本棚、テレビ、腰ほどまでの飾り棚があった。飾り棚の上には白いレースの敷物がひかれ、写真が飾られている。ぱっと見た感じ家族写真だろう。少し色あせた男性の写真、そのそばに老年の女性を囲む三人の歳近い娘が映る写真が並ぶ。

 ふと視線を落としたとき、僕は思わず声を上げた。


「こ、これ」


 結生が振り向く。しかし、僕は彼女の持つスマホ画面から目が離せなかった。

 カメラモードになっているスマホ画面には、当然部屋の中が映っている。しかし、どういうわけか明るい。雨戸が開けられ、柔らかな陽光が部屋を満たしている。

 首を上げ下げして、何度も視線を通わせる。頬を摘んでみた。――痛い。


「どうなっているんだ?」


 僕の目には暗い部屋、しかしカメラ越しだと明るい部屋。録画していたもの――でもないだろう。ふと僕の記憶に、コンビニバイトで彼女に初めて会った日のことを思い出す。あの日も結生はスマホをカメラモードにしていた。そしてそこに映っていたのは――。


「これが家録」


 答えを告げるように結生が言う。

 呆然としている僕に構わず、スマホ画面の向こう側に誰かが現れる。老年の女性――おそらく家主だ。飾られた写真を見るに六十代後半から七十代の女性だと思っていたが、白髪染めをしているせいか、写真よりもずっと若く見える。淡い色のワンピースを上品に着こなし、ローテーブルにティーポットを置いている。

 開いた口が閉じられない。

 瞬きすら忘れて見つめていると、四十歳前後の男が映り込む。二人は同じソファーに座り、仲むつまじそうに話をしながらカップに注がれた茶を飲んでいた。

 スマホから目を外す。ソファーの上には誰も座っていない。黒いベールをかぶったように静かに鎮座している。


「――やっぱりよく見える」


 突然聞こえた声に、ついに音声までつき始めたかと思ったが、声の主は結生だった。黒髪を揺らし、くるりと振り向く。


「さすが家に好かれるだけある」


 それは褒め言葉なのだろうか。

 複雑な気持ちで受け止めていると、彼女は薄暗闇の中でも目を奪われるような美しい笑みを浮かべた。


「おじさんがいて本当によかった」


 途端、心臓が不自然な動きをした。思わず胸元を掴む。最近寝不足気味なので少し調子が悪いのかもしれない。

 狂ったように打つ胸を拳で叩き、無理矢理落ち着かせながら僕は言った。


「と、特になにもしてないです」


 裏返った声を聞きながら、自分が思っている以上に重症らしいことを悟る。コインロッカーに預けた荷物を思いながら、今夜はどこに泊まろうかと思いを馳せる。一刻も早く休むことを優先させるなら、ロッカー近くがいいだろう。でも、あのあたりにネカフェはあっただろうか。

 残り三十パーセントのスマホで検索できるかと芋蔓式に思考を展開させていたとき「してる、してる」と彼女の声が遮った。


「おじさんは、存在してくれるだけでいいから」


 ぼっと顔から火が出る。実際、火は出てないが家守カナトという人間の内部で爆発が起きたのは確かだ。ドラムロールのように打つ心臓に加え、顔から火が出そうなほど熱さを覚えるなんて――変だ。

 今までなったことのない体の異変に、どう対処すればいいのかわからない。静かにパニックに陥った僕は、いつになく饒舌になった。


「いえ、そんなことは。僕は本当に何も。そのスマホの画面だって、家解氏の結生さんじゃなきゃ見えないものだろうし。逆にどうして僕が呼ばれたのか不思議に思っているくらいで――」


 視線をさまよわせながら、マーライオンのごとく言葉を垂れ流していた僕は、彼女と視線が重なった途端、黙った。

 怒ってる。

 まなじりをあげ、全身から静かな、それでいて確かな怒りの炎をあげている。

 え、どうして。

 彼女の地雷がいまいちわからない。突然あがった炎の消し方がわからず、おろおろしているとため息が聞こえた。


「おじさん、もう少し年上の威厳みたいなの身につけたら?」


 面目ないと心の中で謝罪する。むしろどうしたら身につくのか教えてほしい。

 結生はどこか投げやりな口調で続ける。


「人にとって家は家。住むところであって、記録される場所じゃない。家の本来の役割は安らぎを与えること。だから、家の記憶を見るには、それなりにゆるしがなければ見えないんだよ。わたしは、どちらかといえば嫌われている方。でもおじさんはものすごく好かれている」


 よく何でもないところで物音がしたり、物が落ちたり動いたりするでしょ、と言われ僕は何も言い返せなかった。

 今も僕を苦しめている悩みは、家に好かれているから――?

 それが事実なら、僕の安らぎの場は一体どこにあるというのか。

 どうせなら、家じゃなく人に好かれたいんだが。

 しかし、どこかわだかまりが溶けたのも事実。原因不明な症状に病名がついたような安堵が胸に広がる。

 ――原因がわかっても対処法がわからなければどうしようもないけど。


「だから私はひとりじゃ何もできない」


 ぼそりと呟かれた言葉の意味を理解する前に、結生の手にあるスマホ画面が動いた。いつの間にか時間は進み、電気がつけられている。男の姿はない。家主は、どこかに向かうと色彩豊かな缶を手に戻ってきた。ステンドグラスのようにきらびやかなカラーリングをした缶は、数年前日本中で一大ブームとなったクッキー缶だ。老女はソファーに座ると膝の上で缶を開ける。そして、手紙やノートを取り出すとそれを丁寧な手つきで扱い、書かれている文字に目を落としていた。

 これって――。


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