砂城で円舞曲を踊るなら
木の葉の揺らし風が吹く。
瑞々しい新緑を揺らし吹く風は、爽やかさを運ぶ――はずだった。
「暑い」
帽子を被った僕は、額から流れる汗を軍手をはめた手の甲で拭う。狩屋邸に戻ってきて三日。庭の草木は一日目を離すだけでだいぶ成長する季節になった。種をまいた花が成長するのはまだいい。だけど、雑草も同じようにぐんぐん育つ。僕はそれを抜き取りながら、庭の手入れにいそしんだ。
香織はすんなり結生を見つけた。笹本に知らせ、すぐに病院に連れて行ったあと、三人で話をし今回はこれまでということで千景の捜索は終わった。結生は足首を骨折していた。他にもいくつか擦り傷や捻挫をしていたが、命にかかわる怪我はない。
結生は、最後まで捜索を止めることに反対していたが、「その足でどうやって捜すんです?」という笹本の一言で渋々引き下がった。
手がかりなし、というのが僕らの共通認識だ。
――砂原さんたちのこと、笹本さんや結生さんに伝えるタイミングがなくなっちゃったな。
ホースで水をまいたあと、家に戻る。
部屋の隅にまとめられた荷物を見て、軽く肩を落とした。ずいぶん、荷物が増えたものだ。とはいえ、ボストンバック一つ分だが。
結生の怪我が完治してから出ていこうと思っていたが、それだとずるずる引きずりそうなので、今日と決めた。声をかけるべきだろうが、顔を合わせたらやっぱり決心がゆらぎそうなので、手紙をしたためた。札束が入っていそうなほど厚い茶封筒をリビングに置き、ふっと息をつく。
なんだかんだ、長居しちゃったなあ。
行く宛などない。けれど、出ていくべきだと思う。それが彼女の望んでいることならば。
根無し草に戻るだけ。ただ、元に戻るだけだ。
「なにしてるの」
唐突にかけられた言葉に、びくっと僕の肩が跳ねる。振り向けば扉の前に結生が立っていた。
「ど、ど、どうして。というより足――」
「松葉杖があるから問題ない。それより質問に答えて」
きりっと彼女の目元が細くなる。全身から怒りの炎が立ち上るのが見えた。荷物を持っているのだ。誤魔化しようがない。
「な、何って――」
僕は視線を逸らしながら答えた。
「……出ていくんです」
ぼそっと答えれば、「は?」と冷ややかな声が飛んできた。
「なんで」
「なんでって――結生さんが言ったんじゃないですか。『これが終われば道具を辞めていい』って。それって僕はクビってことですよね」
ひと思いにそう言えば、結生は目元を歪めたままこちらを見据えていた。
「私、そんなこと言っていない」
「え?」
「え、じゃない!」
結生は大きな声でそう言ったあと口をもごもごさせながら「まだいてもらわないと困る」と言う。
「――兄さんはまだ見つかっていないし、おじさんがいないと私は家解氏を名乗れない」
まっすぐな視線が僕を貫く。
「そのくらいのこと、考えなくてもわかるでしょ」
もちろん、わかっている。でも――。
「道具を辞めていいって言ったのは結生さんで――」
「だから、私は言ってない!」
僕は石のように硬直した。脳はすでに思考を放棄している。
え、なに。これどうすればいいの?
石像のように固まっていれば、睨んでいた結生の瞳が揺らいだのがわかった。跳ねた水が光を反射したように、彼女の両目がきらめく。同時にざわりと胸の奥がうずいた。じりじりと焦がすように沸くこの感情は――罪悪感。
「……もうひとりで過ごすのは」
そう言って結生は背筋を伸ばした。瞳の奥に強い意志が灯る。
「誤解させてしまったのなら、謝る。だけど、私はまだ家解氏を続けたいの」
細い肩がゆっくり、だけど大きくあがる。息を吸い込んだ彼女の薄い唇が開いた。
「お願い。――まだ道具でいて」
その声は震えていた。しかし、けっして情けなくはない。小高い丘に立った一本の大木のような。青い空にぽつんと浮かぶ大鳥のような。そんな気高い品があった。
――綺麗だ。
容姿がという話ではない。自然の雄大な景色、野生動物のしなやかな体裁き、地に咲く花の色。そういう美しさだ。
あまりに僕が呆然としていたからだろう。
結生は「聞いているの!」と憤りながら距離を縮めてくる。
だが、感情に体がついてこなかったのだろう。体勢を崩し「あっ」と声があがった。慌てて手を伸ばす。ふわりと風の匂いがした。
風に匂いなどない。それはわかっているのだが、花のような甘さでも石鹸のような爽快さでもない、すべて混ぜ込み包み込んだ何にも例えづらい匂いが鼻をかすめたのだ。
彼女に似合いの香りだと思った。
「結生さん」
立ちあがらせたあと、自然と口から言葉がこぼれた。
「僕は道具を辞めます」
目の前でぎゅっと唇が引き結ばれるのを見た。すぐに口を開く。
「僕は道具ではなく、パートナーとしてありたいです」
「パートナー?」
怪訝そうな顔でこちらをみる結生に「あ、その。恋人とかそういう意味合いじゃないです」と慌てて説明した。
「俗に言う、相棒――です」
頬を指でかきながら視線を逸らした。
彼女のようになりたい。
となると道具として使われるのでは、一生なれない。
沈黙が流れる。
だんだんと恥ずかしさが増してきて「やっぱり今のは」と言い出そうとしたときだ。
「いいんじゃない」
「え?」
視線を上げれば、結生が照れたように視線を逸らした。
「あ、相棒って呼ぶにはほど遠いけど、まあこれから時間をかければ、なれるかも? しれないし?」
だから、と結生は一度目を伏せ、そして僕を見た。
「まだ一緒にいてくれる?」
当然、僕の返事は決まっている。
今夜もオムライスかな、と思って僕は微笑を浮かべ頷いた。
いつか崩れる砂の城であっても、今はそれがすべてである。
かがんでいた足を延ばすように立ち上がれば、風は髪をかき乱すだろう。
今この瞬間も、砂の城はさらさらと小さな砂粒を落としていく。
いつか終わる。なら、ただ終わりを待つのは――やめだ。
多くの人が出入りする砂城で夜会が開かれるのなら、
僕は彼女の手を取れるようになりたい。
家解氏、狩屋結生と並び立てる存在に。
了
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ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
まだ、いろいろ途中じゃんか!というお声が聞こえてきそうですが、
もしかしたら続きを書く……かもしれません。とはいえ、物語の区切りとしては綺麗に終わっているはずです。
彼らの物語が、少しでも読者様の人生に彩りを与えられますように!
ほんのちょっとでも楽しんでいただけたなら幸いです。




